羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

介護の日々(2)

2011年06月18日 | Weblog
子どもたちが巣立つ。じぶんが更年期の症状となる。
親の介護が始まる。こういう図式は知っていたけど、
何とかなるものだと思っていた。

たぶんどうにかやっていくだろう。
これからもっとタイヘンになる、まだ入り口だ、気楽にいこうと
思っていたつもりだった。
気がつけば、ふと気がゆるみぽろぽろと泣いている。

じぶんが動かなければ周りが気をつかって助けてくれる訳じゃない。
わからないこと、つらいこと、逡巡すること、
「介護制度はいかが?」と注文を取りに来てくれる訳じゃない。

調べたり、動いたりして、まだ三ヶ月か。

幼いこどものようでも、高齢者には確固たるプライドがあるはずだ。
だからプライドをを傷つけないように接しようと思っていたが、
現実的には老人性うつ病と認知症なのだから、対応がすごく難しい。

今日は歯科医に行くはずだったが結局また行けなかった。
こういうとき、車が運転できれば、サッと乗せて連れて行けるのにと、
思ったのは母と言い争ったあとで、言い争う、という事態は、
いま思い返してもここ数年はなかったことで非常にスリリングだったが、
もちろん、とても悲しかった。

母はメモ帳にひとこと書く習慣があって、
うまくすると食べたものや時間も書いてくれるし、思ったこともちょっと
書いてあるようだ。きっと記憶の糸を懸命に繋いでいるのだろう。
こちらが書いて渡すメモ(予定や食事)のところに書き足してある事もある。


言い争い(というほど大げさではないが)の一件もメモしてあるだろうか。
すこしでも書けるならずっと続けて欲しいので、それも有りだと思う。