「手にふるる野花はそれを摘み
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪える痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ」
(伊東静雄)
さらさらとこぼれ落ちていってしまう言葉がある。
立ち止まって読むとあらためてその詩句の的確さに驚く。
一方で、さらさらとこぼしてしまった手のひらになお残り、
「ほら見てごらん」と愚かなわたしに寄り添ってくれる詩も幾つかある。
手のひらに残った詩にすがって詩人を探し詩集をひらく。
ふとしたときにいつでもよみがえる、ここに残った詩の幾つか。
ここに残り棲みついて、すみれの土壌になってくれた言葉たち。
「花とみづからをささへる」とは何か。
頼りなきわれを支える野花の可憐、その存在を得たから歩いていける。
そういうふうに思っていた。
思いながらかれこれ何十年も経っていた。
伊東静雄の故郷、長崎の諫早。
昔この詩に誘われて行ったような、、時間がなくて行けなかったような、、、。
長崎に行こうと思う。今月末、ひとりで。
花とみづからをささへつつ歩みを運べ
問ひはそのままに答へであり
堪える痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ」
(伊東静雄)
さらさらとこぼれ落ちていってしまう言葉がある。
立ち止まって読むとあらためてその詩句の的確さに驚く。
一方で、さらさらとこぼしてしまった手のひらになお残り、
「ほら見てごらん」と愚かなわたしに寄り添ってくれる詩も幾つかある。
手のひらに残った詩にすがって詩人を探し詩集をひらく。
ふとしたときにいつでもよみがえる、ここに残った詩の幾つか。
ここに残り棲みついて、すみれの土壌になってくれた言葉たち。
「花とみづからをささへる」とは何か。
頼りなきわれを支える野花の可憐、その存在を得たから歩いていける。
そういうふうに思っていた。
思いながらかれこれ何十年も経っていた。
伊東静雄の故郷、長崎の諫早。
昔この詩に誘われて行ったような、、時間がなくて行けなかったような、、、。
長崎に行こうと思う。今月末、ひとりで。