羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

手にふるる野花はそれを摘み

2011年06月12日 | Weblog
「手にふるる野花はそれを摘み
 花とみづからをささへつつ歩みを運べ
 問ひはそのままに答へであり
 堪える痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ」

   (伊東静雄)


さらさらとこぼれ落ちていってしまう言葉がある。
立ち止まって読むとあらためてその詩句の的確さに驚く。
一方で、さらさらとこぼしてしまった手のひらになお残り、
「ほら見てごらん」と愚かなわたしに寄り添ってくれる詩も幾つかある。

手のひらに残った詩にすがって詩人を探し詩集をひらく。
ふとしたときにいつでもよみがえる、ここに残った詩の幾つか。
ここに残り棲みついて、すみれの土壌になってくれた言葉たち。


「花とみづからをささへる」とは何か。
頼りなきわれを支える野花の可憐、その存在を得たから歩いていける。
そういうふうに思っていた。
思いながらかれこれ何十年も経っていた。


伊東静雄の故郷、長崎の諫早。
昔この詩に誘われて行ったような、、時間がなくて行けなかったような、、、。

長崎に行こうと思う。今月末、ひとりで。