羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

「春を待つ手紙」

2010年02月18日 | Weblog

最近よく聞いているのが拓郎さんの「春を待つ手紙」。
昔よく聴いていた歌は時を経てふと蘇えってくるものだ。「ここでも、春を待つ人々に会えるでしょう、泣きたい気持ちで冬を越えてきた人」というところが印象的だった。


 「春夏秋は冬を待つ季節」というみゆきさんの歌もそういえば好きだった。

若い頃は、冬と秋はおなじくらい好きだった。
詩を書くのも秋と冬が多いような気がする。それなのに、この冬は詩も眠っている。

現実の出来事に目を奪われてあたふたしているうちに、詩となるべき言葉は沈黙してしまったようだ。
ほんとうをいうと、すこし焦りも感じている。
書かれなかった言葉たち、、。書こうとしなければ詩は生まれないのだから、生まれなかった言葉たちに努力を怠ったような申し訳ない気もしている。
「最近、書いていますか?」と松下育男さんも言ってくださったのに、「あまり書いてません・・・」と答えるしかなかった。
書くことができなくても、せめて「読む」ことは続けたい。
春がくるまでに、かすかな産声でも聞ければいいのだけれど。

 


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