羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

「彼」と娘

2010年02月13日 | Weblog
今日はわたしの誕生日だった。
次女から可愛いポーチを貰った。
彼女は手先が器用なので、ケーキにチョコペンで文字や絵も書いてくれた。
そしてしみじみと・・・「小さい頃はいつも誕生日パーティーといって、
母が料理を作り、ケーキにロウソクをたてプレゼントも貰って、
お祝いしてもらっていたけど、じぶんが母をお祝いするようになったんだな~。」

ほんとに、ね・・。
やっぱり時は過ぎ行くのね。
そして、ケーキに興味津々の駿。
この写真は二枚とも次女が撮影。
娘は瞬間のネコ写真を撮るのもうまい。



彼と一緒

2010年02月13日 | Weblog

いつでも一緒?それって楽しいかな。
好きな人とならやっぱり嬉しいかな。
でもやっぱり「じぶんだけの時間」「ひとりのとき」は絶対に必要。
それを分かり合えるひとがいいよね。
わたしといつも一緒の「彼」駿くん。だいぶ歳もとってきたネコ。

階段の真ん中で、ここに来るか思案中。
そして来たのがこの写真。
ゴミ箱まで写ってるマイルーム初公開!
赤いパイプベッドをちらり。前方のタオルケットが彼の寝床。
青いコードはパソコンのイノチ。



パペルブルグの天使

2010年02月11日 | Weblog
小雨もようの祝日。郊外の大型古書店へ。
伊坂幸太郎さんの「SOSの猿」や、沼田まほかるさんの新しい本をみつけて、
長女と「収穫ありだね」と笑顔。
彼女に借りていた川上未映子さんの「ヘヴン」を返して、
春樹さんの「1Q84」が戻ってくる。

帰途、八王子の古城のような喫茶店「パペルブルグ」へ。
外観も素敵。店内の壁画もいい感じ。
苦めの珈琲もチーズケーキも美味しかった。
奥の席に座ったら、頭上に天使がいた。


ささやかな悦び

2010年02月11日 | Weblog
たとえば、久しぶりにアスカをテレビでみたこと。
51歳のアスカ、カッコよかった。
チャゲ&飛鳥は息子からの影響で聴くようになった。
息子もみていたかな、テレビ。

それから、美味しいパン屋さんを見つけたこと。
たしか「虹の会」が関わっているパン屋さん。
自閉症のお嬢さんをもつ知り合いから教えて貰ったのはここだと思う。

パンを買ったら「おからをどうぞ」と笑顔で言われた。
「おから?」
「はい、ここに。無料です。」
とかわいい顔で言ってくれた。
ありがとう、おからを料理するのは久しぶりだわ、と頂く。
ほかほかと温かかった。
手袋を忘れたので、その温もりがことさら嬉しくて両手で包む。

やりきれないほど悲しい思いをしたとしても、
ささやかな愉しみはどこかにある。
今日はこうして、ささやかなよろこびを見つけた。

ささやかな愉しみ

2010年02月09日 | Weblog
家にかへる時間となるを、

  ただ一つの待つことにして、

  今日も働けり。


最近の新聞で読んだ石川啄木の歌。「悲しき玩具」より。
啄木は朝日新聞で働いていた。

朝、時計を見ながら急いで仕事に行く。
行きのバスの中で、もう「早く帰りたいな~」と思っている。
仕事場につき、デスクの上の時計を見て「早く六時にならないかな・・」と思う。
そんなくりかえし。
啄木がそのままを詠ってくれていた。

でも意外に一日が過ぎるのは早い。忙しければそれだけ早い。
古本屋の仕事は好きなので、それほど苦にならない。
もう一箇所の仕事は、「朝日新聞」と無関係ではないけれど、
わたしの業務にはまったく関係ないし、好きでもない。

六時ピッタリに公園の鍵をかけ、制服を着替えてバスに乗る。
夕飯のことを考えながら帰路に着く。
やめたい、と思いながら続けているこの仕事、僅かなパート代でも生活がかかっているから
おそらくまだやめられないだろう。
すべて投げ出してどこかへ行くこともないし、一人旅をしたいと思っても、
休みもうまくとれない。うまくとれない、というのは、不可能ではないのに難しい、
ということだ。

退社時間を待つように、次の休日を待ち、何か愉しみを見つけながら、
毎日を過ごしていく。だけど、ささやかな「愉しみ」が見つけられなくなったら、
どうなるんだろう。もう「明日」はいらない、と思うようになるのかな。

  

空也最中

2010年02月07日 | Weblog
父が亡くなって何年も経つのに、遺された母をいつでも気にかけてくださる人たちがいる。
「先生がお好きだったから」と言って、銀座の空也最中をお土産にいただいた。
たしかこれは予約しなければ手に入らないものだったと思う。
「上品」という形容がピッタリのこぶりな和菓子。
すこし焦がした皮が香ばしく、あっさりとした甘みが美味しい。
しおりを読むと、漱石の好物だったそうだ。林扶美子の小説にもでてくるらしい。
そういえば、父が好きだったかもしれないが、実は私も母も忘れていた。
家族の知らないところで、父の思い出が鮮やかに生き続けている。
照れくさくてあまり話をしなかった。
いま会えたらいろんな話をしたい、といつも思う。
こうして、関わりのあった方たちから思い出話を聞くのはうれしい。

残りの人生?

2010年02月05日 | Weblog
残りの人生、いらないものを処分し続けていこうと思う。
それでなるべく、余計なモノを買わなければ(これがかなり難しいんだけど)
すっきりと身軽に生きていけるかもしれない。

でもきっと思い出を懐かしむのは楽しい。
「思い出のものたち」と、どこでサヨナラするかは、すごく難しい判断になるだろう。

身の回りのものだけをカバンひとつに詰め込んで、どこか遠くでひとりで暮らしてみたいなんて思っても、寅さんみたいにうまくはいかない。

だけど、すこしずつ片付けたい、今はそんな心境。

先日書いた「カフェ・ゼノン」に行ってきた。
伝票がわりにこのロボットくんがテーブルに座った。
帰るときに立たせてパチリ。
吉祥寺の街はセール、セールで、目移りすること甚だしい。
ユザワヤの50%offに足が止まる。
でも、今日は何も買わなかった。とりあえずOK。

シクラメンのピース

2010年02月04日 | Weblog
お正月の鉢植えだったミニシクラメン。
白い小石や、飾り物を取り除いて、しっかりと植え替えた。
ガラス越しに冬の日差しを浴びている。
草を食べたい猫が必ず顔を近づけてチェックする。
隣の青い皿は「あきらめる」の日記で書いたイチゴ(らしい)。
諦めきれずにいたら、ほんのすこしの小さな緑が顔をだした。
それはあまりにも微小で、ミドリのゴミだといわれても仕方ないくらい。
もしも、この緑がほんとに双葉の芽ですくすく伸びたら嬉しいな。

外の世界は知らない小さないのち。
ミニシクラメンに霧吹きで水遣りをしてから出かける前に写真を一枚。
あどけない影のピース。

あの路

2010年02月02日 | Weblog
小川洋子さんの「貴婦人Aの蘇生」を読み終わってから、何冊かの小説を手にしたけれど、
何故か「面白い・好き」と感じることができなくて、途中でやめたりしていた。
小川さんの静かな迫力のある作品の余韻が残っていたからだろうか。

手帳にメモした本を書店で発見しても、いざ手にしてみるとあまり読みたいと思わない。

そして新聞で伊勢英子さんの新しい絵本の記事を読み、すぐに探し始めた。
「あの路」は伊勢さんと、詩人でジャーナリストの山本賢蔵さんの作品。
あえて帯をそのままにして写メを撮ったけれど、
「この世界で一番大切なことを、きみは教えてくれた・・・
孤独な少年と三本足の犬との出会い、魂の絆の物語」というコピーは、
ちょっとどうかと思ったが、
こういう宣伝文句はやはり「商品」なんだから外せないのだろう。

でもやっぱりわたしには「商品」ではなく、お二人の思いがしっかりと伝わってくる
絵本という作品だった。

小説を読まない夜には、好きな詩集や、大切な絵本を、何度も開いて見るのも
いいな、と考えている二月のはじめ。