羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ささやかな愉しみ

2010年02月09日 | Weblog
家にかへる時間となるを、

  ただ一つの待つことにして、

  今日も働けり。


最近の新聞で読んだ石川啄木の歌。「悲しき玩具」より。
啄木は朝日新聞で働いていた。

朝、時計を見ながら急いで仕事に行く。
行きのバスの中で、もう「早く帰りたいな~」と思っている。
仕事場につき、デスクの上の時計を見て「早く六時にならないかな・・」と思う。
そんなくりかえし。
啄木がそのままを詠ってくれていた。

でも意外に一日が過ぎるのは早い。忙しければそれだけ早い。
古本屋の仕事は好きなので、それほど苦にならない。
もう一箇所の仕事は、「朝日新聞」と無関係ではないけれど、
わたしの業務にはまったく関係ないし、好きでもない。

六時ピッタリに公園の鍵をかけ、制服を着替えてバスに乗る。
夕飯のことを考えながら帰路に着く。
やめたい、と思いながら続けているこの仕事、僅かなパート代でも生活がかかっているから
おそらくまだやめられないだろう。
すべて投げ出してどこかへ行くこともないし、一人旅をしたいと思っても、
休みもうまくとれない。うまくとれない、というのは、不可能ではないのに難しい、
ということだ。

退社時間を待つように、次の休日を待ち、何か愉しみを見つけながら、
毎日を過ごしていく。だけど、ささやかな「愉しみ」が見つけられなくなったら、
どうなるんだろう。もう「明日」はいらない、と思うようになるのかな。