羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

「ここにおいで」

2005年07月14日 | Weblog
「また恋をしてもいいよ」ってどういう意味かしら?
わたしはその真意を知りたくて、夫に手紙を書いてみました。
文章にすることで考えをまとめ、質問も感情的にならずに出来るから
わたしたち夫婦は(ことにわたしは)手紙を書くことが
これまでにもありました。

でも結局、夫は返事をくれなかったし、言葉の真意は明らかには
されませんでした。

わたしはパソコンの『読書仲間』という場所で出会ったひとに、
少しづつ、けれど確かに、ひかれ始めていました。
いつもいろんなことが分らなくて
いつでも森の中で迷っているような弧絶感と自己不信と、、、、。

けれど『自分は自分でありたい』という気持ちだけは強くて。
そんなわたしに「ここにおいで」と言ってくれたのが彼でした。
穏やかだけれど、静かに力強い言葉。
迷っていた森の中で出会ったように、わたしの次の恋は始まっていました。

再びの恋

2005年07月12日 | Weblog
ある日のことでした。
(今から2年くらい前でしょうか・・)
いつものように、夫がドライブに誘ってくれたので
窓から外の景色を眺めるのが大好きなわたしは
喜んでついて行きました。
その頃、夫婦関係は一見、平穏でした。
Aの存在もようやく見えなくなっていたし・・・。

携帯を夫に読まれてから、
わたしは携帯やパソコンに注意を払うようになっていました。
『文を書く』ことが大切なわたしはその領域に勝手に入ってこられるのが
嫌なのです。
携帯事件から半年経った頃、家族が留守の間に、
子供部屋(片隅にわたしの机が置いてある)から慌てて出てくる夫の姿を
長女が見た、と教えてくれました。

そのことで、わたしは夫を問い詰めたりはしませんでした。
また強い口調で否定するに決まっている。
また悲しい気持ちになるのは目に見えている。

わたしがバイト休みのときも、
夫にはわたしの行動が気になっているようでした。
つまり、いったん損なわれた信頼は復活しないのです。
それは『互いに』ということです。

夫はわたしを信じたいのに信じきれないもどかしさを感じていたと思うし
わたしはいつも『疑われている』ような気持ちを拭えなかったのです。

それでも互いに気をつかいながら、
わたしたちは<仲良く>ドライブにも出かけ笑い合ったりもしていました。
きっと、長年一緒に暮らしてきたうちに培われた相性、によるのでしょう。

その日のドライブで、夫はこんなことを言いました。
『きみがまた明るい笑顔を取り戻して輝けるなら
また、恋をしてもいいよ』と・・・。

ブログは秘密?

2005年07月09日 | Weblog
このブログのことは誰にも話していませんでした。
他のブロガーの皆さんはどうなのでしょう。
誰かに話すと意識して本音が書けなくなりそうで、、。

でも、先日知り合った女性(あるサイトで相談にのって貰った)には
これからも頼りにして行きたくて話しました。
わたしから見ると彼女はそのサイトではなくてはならない存在です。
彼女と出会えた幸運に感謝しつつ、『そのままの自分』も見せて行けたらいいな、
と思っています。

この『そのままの自分』というのは、意外に難しい気がするのですが
どうでしょう。自意識の問題かしら。
自己否定の暗いトンネルからわたしを救ってくれたのは
「そのままのきみが好きだよ」と何度も何度も繰り返し言ってくれた
いまの恋人でした。

彼にも、つい最近、ブログを書いてることを告げました。
「見たい」と言ってくれたし、見てもらっていいと思うのですが
詳しくはまだ教えていません。
ふとした思いつきでつけてしまったこのタイトルがやっぱり恥ずかしいかも・・・。
もう少し気の利いたタイトルに変えたいと思いつつ、
なかなか思い浮かばない状態。ブログは詩みたいにはいかないようです。

暗いトンネル

2005年07月07日 | Weblog
メールの内容は、少し前にわたしが出したメールへの返信で、
いつものようにA独特の理論展開になっていました。
『いつまでも待っているよ』とか『もう、一緒に暮らそうか』といった
文がちりばめられていると思って読んだ夫は拍子抜けしたそうです。

急いで読んだし意味もよくわからなかった、と言っていました。

『別れるから』と言いながら、きちんとした態度を誰にもとらなかった自分。
本当はどうしたいのかが、見えなかった自分。
Aも夫もわたしを必要としてくれているのに、どちらも愛してはいないように感じ、
その欠如を、空洞のように胸に抱えながら、
『すべては自分が悪いのだ』と責めて、苦しんでいました。

失われた信頼が復活するのは困難に思えたし、原因はわたしにあるのです。

「お母さん、元気ないね」、次女のこの一言にわたしはハッとしました。
そうだった、家庭外で誰かと何かがあってもそれを持ちこんではいけない。
どんなことでも受けとめる、と決心したことを思い出しました。

信用し、安心して甘えられる相手は、
もうどこにもいませんでした。
わたしは泣くこともなく、暗いトンネルの中にいるような気分を味わっていました。
子供たちには笑顔で、仕事もミスをしないように・・・。

他愛のないメールで気を紛らわせてくれるボーイフレンドもいたし、
ランチや美術館に誘ってくれるひとも、映画に連れて行ってくれるひとも
いました。わたしは自分のことはあまり話さなかったし、
友達は優しくて、けして強引に近づいてくるようなことはしませんでした。

そんなふうなときがあって、わたしの暗い日々にも時折そよ風は吹いていたのだと
今になって思うのです。
Aにはその後、1、2回会って、別れました。

信用と信頼

2005年07月06日 | Weblog
Aは深夜に仕事をしていることが多く、メールを送信して来るのも
夜中や明け方にまとめて何通も送ってくる状態でした。
ある朝、家族を送り出してから、充電しておいた携帯を開くと、
Aからのメール12通がすべて、開封されていたのです。
だいぶ前にも3通ほど開けられていたことがあり、自分の勘違いかと
思っていたわたしも今度ばかりは夫を疑いました。

通勤途中の夫にメールで聞いてみると
すぐに電話をかけてきて『何言ってるんだ』と怒鳴られる始末。
読んでいない、と強く否定するのです。
その勢いに気圧されて、わたしはひどく混乱してしまいました。

混乱した頭の中で「この家から出たい」と思いました。
いつかは自立したい、と夢みながら貯めた僅かなお金の事も思い出しました。

でももちろん、突然に仕事を放棄する訳にも行きません。
いつものようにバイトに行き、帰りには夫のワイシャツを洗濯屋で受け取り
習慣のようにスーパーに寄って、買い物カゴを手にしているのです。

その夜になって、夫はわたしを寝室に呼び、話をしました。
以前にも携帯を読んだことがある、夜にリビングで充電しているのを
試されているように感じていた、、と。
わたしは自分がそうしないように夫もひとの携帯や手紙や手帳を見ない、
と勝手に思いこんでいたのです。
「試す」つもりなんてどこにもありません。

翌日Aにそのことを言ったら、やはりわたしの迂闊さを指摘するのみでした。

自分がひどく鈍感で、間抜けな女に思えたものです。

昔の日記

2005年07月04日 | Weblog
ふと思いついて、あの頃の日記を取り出してみました。
わたしのは5年日記です。
Aと知り合ったのは、長女へ移植手術をした年の秋でした。
翌年の学校検診では、次女にプラス反応が出て、
腎臓病は兄弟揃ってかかる例もあるので、本当に衝撃を受けたものです。
精密検査を繰り返し、大丈夫、という結論が出るまでの数ヶ月は、
とても長く感じました。

長女は、大学を中退して、フリーターになりました。
食事制限もなくなり、もちろん透析からも解放されて
青春を楽しんでいましたが、まだ仕事を充分に出来るわけでもなく、
無理を重ねては発熱したりして、「また入院」という事も何度かありました。

移植後、2年目の夏にはウイルスの感染による白血病の疑いも出て
その危機を脱するまでは、本人も家族も、
大変な思いをしたのです。

夫は以前よりもずっと、協力的でした。
子供たちの病気、わたしの母の具合の悪いときも、気をつかっているのが
わかりました。
そして、わたしは、、、、。
わたしはどうだったのでしょう。
相談事のできないAには何も打ち明けられず、夫の労わりに安らぎながら、
それでも心のどこかに埋められない空白を感じていました。
深い話はしないボーイフレンドとの会話が、わたしのどこかを支えていたような
気がします。

夫の変身

2005年07月02日 | Weblog
ダイエット(食事の量を減らす)禁煙(自分で決めた)
そして歯医者にも通い、夫は朝はわたしよりも早く起きるように
なりました。
そして仕事を切り上げて帰宅した夜には、夜景を見にドライブに
一緒に行くようになりました。
わたしが行きたかった花の咲いている公園にも、休日には
せっせと誘い出してくれました。
わたしが会員になっている文学館の、宮沢賢治をイメージした写真展に
同行したときは、すっかり気に入って、
『写真』『宮沢賢治』というキイワードを手に入れたようです。
夫の趣味はドライブとカメラになりました。

わたしの体調も気にかけてくれて、もう、わたしの頭痛で不機嫌になることは
なくなりました。
この夫の変化にはもちろん子供たちも気がつきました。
これまでは外出しても、短気な父にいつも気をつかっていたのです。

『理想の夫』へとひたすら努力し進んで行くひとを目の当たりにして
わたしは内心、焦りさえ感じていました。
とりあえず、ずっと片付けていなかった引き出しの整理をしたり、
夫の喜びそうな食事を作ったり、ドライブへの誘いにも喜んでついて行きました。

一方で、まだ、Aとはきちんと別れられずにいました。
会う機会は殆どなかったけれど、メールのやり取りは続いていたのです。