ふと思いついて、あの頃の日記を取り出してみました。
わたしのは5年日記です。
Aと知り合ったのは、長女へ移植手術をした年の秋でした。
翌年の学校検診では、次女にプラス反応が出て、
腎臓病は兄弟揃ってかかる例もあるので、本当に衝撃を受けたものです。
精密検査を繰り返し、大丈夫、という結論が出るまでの数ヶ月は、
とても長く感じました。
長女は、大学を中退して、フリーターになりました。
食事制限もなくなり、もちろん透析からも解放されて
青春を楽しんでいましたが、まだ仕事を充分に出来るわけでもなく、
無理を重ねては発熱したりして、「また入院」という事も何度かありました。
移植後、2年目の夏にはウイルスの感染による白血病の疑いも出て
その危機を脱するまでは、本人も家族も、
大変な思いをしたのです。
夫は以前よりもずっと、協力的でした。
子供たちの病気、わたしの母の具合の悪いときも、気をつかっているのが
わかりました。
そして、わたしは、、、、。
わたしはどうだったのでしょう。
相談事のできないAには何も打ち明けられず、夫の労わりに安らぎながら、
それでも心のどこかに埋められない空白を感じていました。
深い話はしないボーイフレンドとの会話が、わたしのどこかを支えていたような
気がします。
わたしのは5年日記です。
Aと知り合ったのは、長女へ移植手術をした年の秋でした。
翌年の学校検診では、次女にプラス反応が出て、
腎臓病は兄弟揃ってかかる例もあるので、本当に衝撃を受けたものです。
精密検査を繰り返し、大丈夫、という結論が出るまでの数ヶ月は、
とても長く感じました。
長女は、大学を中退して、フリーターになりました。
食事制限もなくなり、もちろん透析からも解放されて
青春を楽しんでいましたが、まだ仕事を充分に出来るわけでもなく、
無理を重ねては発熱したりして、「また入院」という事も何度かありました。
移植後、2年目の夏にはウイルスの感染による白血病の疑いも出て
その危機を脱するまでは、本人も家族も、
大変な思いをしたのです。
夫は以前よりもずっと、協力的でした。
子供たちの病気、わたしの母の具合の悪いときも、気をつかっているのが
わかりました。
そして、わたしは、、、、。
わたしはどうだったのでしょう。
相談事のできないAには何も打ち明けられず、夫の労わりに安らぎながら、
それでも心のどこかに埋められない空白を感じていました。
深い話はしないボーイフレンドとの会話が、わたしのどこかを支えていたような
気がします。
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