Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

否定は妄想よりも何も生まない

2016-07-23 03:38:00 | 交通
都知事選の候補者が通勤ラッシュへの緩和を公約化していますが、その「ブレーン」(?)の案が社会派諸氏やヲタの集中砲火を浴びています。2階建て電車なんか無理、というわけですが、確かに荒唐無稽で現在のシステムとの互換性も低く、それでいて着席サービスを「付加価値」として着席したらICカードで課金される、という誰得状態ですから、確かにめちゃくちゃです。

一方で今回も思うのが、この手の全力での批判を見るに、社会派諸氏やヲタの「たしなみ」となってしまっている川島氏叩きと一緒なわけで、よしんば荒唐無稽であってもソリューションを提示する側を、出来ない理由を貨車に山積みして全力で批判するという構図は、一般論として社会でどちらが批判の対象になるかということを考えると興味深い現象であり、「社会派」と目される存在が社会の常識に合致しないというパラドクスを抱えています。

通勤ラッシュの緩和、さらには着席通勤を目指す、という旗印はそこまで叩かれるものなのか。出来ない理由を百万遍繰り返すより、どうすれば出来るのか、そこにある障壁は何か、というアプローチでなぜ語れないのか。少なくとも前者を提示している都知事候補の「ブレーン」だけが検討や議論の土俵に上がっているのであり、出された意見にツッコミを入れるだけという「社会派」やヲタは、いわゆる「ヒョーロンカ」に過ぎません。

このあたりは会社勤めをしていれば普通に理解できるはずの話であり、様々な会議体のメンバーになれば、自分に求められていることは何か、議論をするために必要なのは何か、それを常に自覚していかないといけない話です。確かに批判は大事ですし、無茶な方向に進むことを止めなければいけない時もありますが、そこで問われるのは「じゃあ君はどうしたいんだい?」というお馴染みのセリフです。

その会議はテーマが決まっているのです。そのテーマに向かって何をすべきなのか。その前提が分かってないからヒョーロンカになってしまい、「じゃあどうするの?」と聞かれた瞬間に黙り込むのです。
そう、「通勤ラッシュの解消」がテーマの議論をしましょう、というのに、出来ない理由を最初から山積みしてどうするのか、という話です。もちろん「それは無理」という結論もあるでしょうが、それはいったんはそのベクトルで検討しての結論であり、そのプロセスを排除するということは、「無理」ではなく「考える必要がない」、すなわち「現状肯定」と取られても仕方がない話です。上記のような会議体でそのような態度をとると、そうとられますけどね。

それでも全力で否定する理由に説得力があればまだしも、そうでないわけです。おいおい、215系「アクティ」の失敗も知らんのか、と鬼の首を取った調子で畳みかけてくるドヤ顔が目に浮かびますが、平屋の3扉車と215系が同じスジ、というそれこそ無理筋が失敗の原因であり、特に拠点駅での乗降時間を確保した余裕あるダイヤを組んだらどうなのか。通過運転による所要時間短縮と拠点駅の時間確保の相打ちで対応していたらどうだったのか。快速だからといって別に先行列車を追い抜く「義務」はないのであり、並行ダイヤで対応すれば、2階建てという集客要素を活かせるでしょうに。

それでもラッシュ時にはさすがに、という人も多いでしょうが、一つの参考事例として、グリーン車はどうやって乗降を捌いているの?という話になるわけです。2階建てで通路は螺旋状、ドアの幅員も狭い(1人幅)で座席定員だけで90名です。立客がいると100名程度の乗客がいる車両ですが、これが乗降に手間取っている、という話を聞かないのはなぜでしょう。

実は総武快速線ではグリーン車の乗降が停車時間の設定を律しているわけで、折り返しの整列乗車の時間確保もそうですし、東京や新橋で降車(東京は先行の東京止まりを受けての乗車も)に手間取り発車待ちをかけることもしばしばですが、何とか捌いているんですよね。さらに言えば、ダイヤ乱れで津田沼始発の間引き(本数が2/3になる)でも致命的な事態にはならないわけで、乗降駅を絞った多座席型通勤電車をそこに挿入するとか、ダイヤ編成についてはメトロが導入したバッファインデックスを導入するとか、数多あるソリューションを検討しての否定なのか。

設備投資ガー、というお決まりの批判にしても、完全に新線で対応するよりは、拠点駅のホーム増設による交互発車の実施(それとて現在でも相当数の駅で実施されているが)で停車時間を確保するほうが圧涛Iに安価なわけで、なぜそこまで全力で否定するのか、結局は川島氏批判と同じで、「コロンブスの卵」に気づけなかった恨みなんでしょうね。

ついでに言えば、設備投資しても回収できない、という経済テツ筋の批判にしても、じゃあなぜ世の中の交通事業者、とくに鉄道事業者以外の製造業、サービス業は常に製品やサービスを向上させてるんでしょうね。改善、向上するたびにちまちま値上げはしてませんし、場合によっては値下げしてますけど。
もちろん顧客を増やせる余地が少ないのは確かですが、製造業でもサービス業でもそうした改善、向上が成熟した分野でも実施されてますが。

このあたりは「公共」と「営利」の都合のいい使い分けであり、利害に直結する事業者が主張するのならまだしも、「中の人」でない限りはユーザー側になるはずの「社会派」「経済テツ」やヲタが事業者の経営者になり替わって事情を忖度するというのも何ですよね。
一般事業法人でも社会環境の変化により、直接利益につながらないところにコストをかける必要があれば対応しているのです。ましてや「公共交通」、それも大都市部の重通勤路線を抱える事業者が、通勤事情の改善にコストをどうかけるべきなのか。昭和の時代なら許された「環境」が平成の今も基本的な部分で同じであっていいのか。

本来中長期的に物事を考えるのであれば、それくらいの視座で考えることが求められますし、今回の「公約」はそれを考えるいい機会です。正直いって、交通事業者、特に鉄道事業者の中期計画は、既存のシステムの延長線でモノを語っている面が多く、例えば自動車メーカーあたりが示す将来像の変化、改善、向上とはレベル感が大きく違います。

そうしたギャップが公共交通の衰退と無縁であるわけもないですが、ならばしがらみのない側から大胆なソリューションを提示するくらいの心意気があるべきですが、川島氏の「妄想」を現実が追い越すような状況ですから、事業者よりもコンサバティブな「社会派」がいかに中途半端かを、(私も含めてですが)自問すべきなんでしょう。





左派の口出しを許してはいけない

2016-07-23 02:16:00 | ノンジャンル
天皇陛下の生前退位の問題ですが、やはりというか、左派系メディアが口を出してきました。

ご公務の負荷が論点になっているのに乗じて、国事行為のほかにある「公的行事」は本来象徴天皇の「仕事」ではない、と、軽減ではなく見直し(廃止)論をぶっています。

国事行為の外側には、君主として一般的な「お仕事」があるのは誰もが認めるものであり、それは憲法上は規定されていないが、まったくの私事ではないから、「公的行事」というグレーゾーンを設けているのですが、天皇制そのものを無くしたい左派系メディアや学者どもがしゃしゃり出てきているわけです。

こうなると「有識者会議」など外野の口出しを許すと、「女系」の問題に加え、制度そのものの話でまぜっかえされることは必至であり、収拾がつかなくなりますし、それを考えると皇室典範の見直しにはいかに陛下のご意思があるとはいえ、それで取り返しのつかない「副作用」が出てくる懸念がある以上、諦めていただくしかない、という話になってしまいます。

なんとか陛下のご意思を尊重した結果に、というのであれば、便乗した議論を徹底的に排除して、そうした議論は時間の空費を招き、それがために陛下の苦悩が長引く、というコンセンサスを醸成しなければいけません。


野党の片八百長、与党の小物っぷり

2016-07-23 02:15:00 | 時事
都知事選は今週末で折り返し点になりますが、有力とされる3候補の「帯に短し」感がひどいですね。
参院選でも圧勝した与党が事実上の分裂というのは一歩間違えたら本来死角がないはずなのに野党の勝利を寄りによってという場所で許しかねない話ですが、そこで野党がこれまた残念な候補を繰り出すあたり、十分勝機がある選挙で本気で勝ちにいかないのは、なんでも反対の野党のぬるま湯に居続けたい、という本音が透けて見えるといったら言い過ぎでしょうか。どっぷり共産党なのでアレルギーを起こす都民が多いと思ったんでしょうが、まだ前回などに立候補した宇都宮氏であれば一泡吹かせる展開もあっただろうに、選挙運動で壮大な疑問符がつきまくる上に、下半身と金銭系のスキャンダルが見え隠れしているような候補者を擁立した野党連合は、「やる気あんのか?」といわれても仕方がない話でしょう。

与党側も都連推薦の候補を何とか推そうと必死ですが、親族が別候補を応援してもNGどころか処分、というのは組織引き締めとはいえ、なんともケツの穴の小さな話です。さすが顔を真っ赤にしてムキになるだけが能の都連会長ですが、自分の兄弟が対立候補を応援しているのには頬っかむりと言うのは全く説得力がないというか、前知事なみの「自分に甘い」対応です。