Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

基本は場をわきまえる、だけの話

2016-07-30 11:16:00 | ノンジャンル
ャPモンGOが我が国でもリリースされてから数日で、熱狂的な様子が全国に広がると同時に、問題も噴出しています。
交通違反の摘発に続き、「ながら運転」による交通事故の発生も現実に起きているわけで、「正しく使えば問題ない」という擁護派のリスク認識がいかに楽観的かがよくわかりますね。

鉄道会社も駅構内での事故に神経質になっているようで、歩きながらのプレイを控えるようしつこく呼びかけるだけでなく、連名で駅構内にャPモンが出現しないように要請しています。
また宗教施設や公共施設の一部でも同様の動きを見せるなど、社会問題化している面もあります。

その反面、鉄道会社や宗教施設、公共施設や自治体などャPモンGOに乗っかる動きもあるわけですが、もともとゲームに寛容なネット界隈では協調する側の対応を称賛し、拒絶する側の対応を批判する傾向にあります。
この辺りは前にも言っていますが、自分が楽しむものについては許容範囲を極大化して、メリットをかき集めて是認するのに対し、自分に無関係なものは爪の先程のリスクでも論って許容範囲を極小化して否定するという、歪んだ、偏った評価に過ぎないわけです。

リスクやデメリットに目をつぶっている人は、人が集まれば何でもいい、というに等しいわけで、鳥取砂丘を解放区に、なんて言っている県知事なんかは一時の娯楽のためなら自然が長い年月をかけて形成した砂丘が踏み荒らされ、植生が持ち込まれ、姿を変えるリスクを何も考えていません、と言うが如しであり、鳥取砂丘が馬の背が崩れ、外来の雑草が生い茂る砂地と化する、ということに思いが及ばないレベルの思考回路ですが、それを「名知事」と持て囃すネットのゲーム界隈を見ると、眩暈がします。

宗教施設や公共施設における「容認論」も、そもそも一般常識がある人間であれば「場をわきまえろ」の一言で済むはずが、ゲームに夢中なあまり常識を置き忘れてきたようで、「その場所に行くことで宗教的意義に気が付く可能性ガー」とか「ゲームで遊べるということは平和の象徴ダー」という屁理屈にもならないような理屈を持ち出してくるのを見ると、それこそ叱られた小さい子供が泣きながら理屈をごねるのと相似形です。

そもそも論として、公有地、私有地問わず各種スャbトを勝手に設定することは許されることなのか。スャbトを設定することで、その場所を訪れる人が発生するわけですが、その場所にある施設に対し、本来の趣獅ナはない「意図せぬ」訪問を誘発する行為、さらには訪問を想定していない施設への訪問を誘発する行為は、本来の「業務」を支障する結果を惹起した「群衆を集める」という行為が「威力」に当たると見なされれば、威力業務妨害罪に問うべきかもしれません。少なくとも事前に誰も了承していませんから。

この部分、ゲームの提供者はプレイヤーが勝手にやったこと、と逃げる気満々でしょうが、プレイヤーが集まる場所を設定、変更できるのは提供者だけであり、「威力」をコントロールできる存在として責任を問うべきでしょう。
先行する各国での状況を見れば、不法侵入などを誘発することは分かっていた、すなわち結果予見性が十分認められる状態で、設定を変更しない、調整しないでゲームをリリースした行為は、その結果として引き起こされた事件事故への責任が十分にあるといえます。

これ、砂糖水や何らかの化学物質を私有地に撒き、アリなどの昆虫などをその私有地に呼び集め、土地の所有者(居住者、利用者)が迷惑を被った、というシチュエーションと左程の差はないわけで、迷惑行為とどこが違うのか。それをャPモンだからOKとするには、相当高いハードルと理論武装が必要ですが、それがOKと声高に叫んでいる人は何でしょうね。