Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「上皇」復活をどうするか

2016-07-17 14:47:00 | ノンジャンル
生前退位の話、皇室典範に生前譲位の規定がないのは、「上皇」が存在すると「天皇」との関係が云々、という日本国憲法制定時の皇室典範制定の趣獅ェメディアで披露されています。

確かに歴史を紐解けば、最後の「上皇」である光格天皇まで、実父である上皇は治天の君として存在したわけで、あるいは天皇親政であれば、上皇との間に緊張が走るという意味では、保元の乱という典型例もあるだけに難しいところです。

それどころか100年も経っていない戦前にも、昭和天皇に対して実弟の秩父宮を軍部の革新将校が担ぐ動きがあったわけですし、戦後すぐには「譲位」を視野に入れた発言が秩父宮からあったとも聞いています。そういう意味では決して歴史の話ではない「事実」を見ていたからこういう規定にしたのでしょうか。

しかしその当時と違い、日本国憲法の下での天皇の「大権」は国事行為に限定されているわけで、よしんば権勢欲があったとしても国家や国民にとっての実害は非常に限定的です。そういう状況の変化に鑑み、譲位及び兄弟間での皇位継承に関する皇室典範の「改正」は、憲法改正における国民投票の規定が憲法制定から60年もの間置き去りにされていたのと同様、法整備上の不備ともいえる事態であり、今回の陛下の「ご意思」があろうがなかろうが対応すべき事象です。

それでも、と懸念があるのであれば、例えば天皇から見て「目上」になる「上皇」や皇太后、太皇太后、また事情により皇位継承順位の変更があった場合の長兄にあたる親王は「ご公務」も行わない、というような「リタイア規定」を設けるなどの工夫はいるでしょう。

いずれにしても、今回皇室典範を改正するとしたら「上皇」の新設とそれに伴う修正、現行典範に従った皇位継承における、直系継承以外の立太子の規定に限定すべきであり、女系相続や女性皇族、旧皇族に関する議論は切り離すべきです。
そういう意味では、「有識者会議」が必要と主張している政治家は、これを機に、というどさくさ紛れをする気まんまん、という感じがするとともに、「臣下」がいいように決めてしまう懸念が払拭できません。



恣意的なバランス修正

2016-07-17 12:49:00 | ノンジャンル
ネットでよく見る光景ですが、何かトラブルがあった、という利用者サイドからの発信に対し、必ずと言っていいほどその利用者に落ち度があったのでは、という返信があります。
一方当事者の意見だけではなくバランスを取っている、とでも言いたいのでしょうが、利用者にとってみれば不利益を被った上になぜそんな言われよう、という話にもなります。

もちろん利用者の勘違い、過剰な要求も確かにありますし、それは少なくないのですが、だとしてもまず問うべきはどちらなのか、現状は逆を向いている感じです。
このあたりは交通系で顕著にみられる「事業者擁護」と完全に重なるわけで、利用者は常に事業者の都合に配慮しなくてはいけない、文句は言ってはいけない、と言わんばかりの論調がまかり通っているのと相似形です。

こうした状況で気になるのは、一方当事者ではありますが、まがいなりにもその場に居合わせた側の状況説明に対し、居もしなかったのに、何か特別な事情があったに違いない、それを斟酌すべき、と、もう一方の当事者である事業者を全力で擁護する傾向があること。事業者の事情は想像を逞しくしてまで最大限配慮し、利用者の事情は徹底的にそぎ落とす、と恣意的なバランスの修正を行ったうえで、両者の言い分を比較すると利用者が悪い、という結論に持ち込むのは、贔屓の引き唐オという言葉があるとはいえ、見ていて気持ちのいいものではありませんし、自分がその立場になったら「私が悪いんです」と引き下がるのか、興味深いところです。

顧客クレーム対応で、大半が無理難題だからと言って顧客の言い分を聞かなくなるようになると何が起こるか。
過剰な責任を顧客に負わせる格好になってしまい、深刻なトラブルが発生したときには、日常の対応、スタンスを踏まえての「厳しい評価」となるわけですが、深刻なトラブルの前段階を見ると、往々にしてそういう顧客に対する「責任転嫁」のような空気が感じ取れます。

ネットの世界で見られるケースは、「ぼくのだいすきなこうつうじぎょうしゃ」への身贔屓であればいいのですが、リアルの世界でもそういうスタンスを取っているとしたら良く考えるべきでしょうね。