Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

水害から見えるもの

2016-07-05 00:48:00 | 交通
呉線須波∴タ訣K崎間の不通ですが、JRWの広島支社長が現地を視察して運休長期化を示唆したそうです。
中国新聞に出ていた写真だと、さほどの急斜面でもないですが、崩壊したら影響は不可避というシチュエーションであり、悩ましい状況です。


(すなみ海浜公園付近)

それにしても運休が長期化、とまで言われているのに、三原市のサイトには7月5日になってようやく「重要なお知らせ」として掲出されました。今治造船の工場(旧幸陽船渠)が安訣K崎にありますし、三原や柱エへの通勤通学など運休の影響は大きいはずですが、生活情報としてこの遅さは困りますね。しかも柱エ市のサイトともどもJRWの運行情報へのリンクであり、呉線の存在感のなさというのか、沿線自治体の「鈍さ」というか、あれこれ考えさせられる話です。


(旧幸陽船渠時代の安訣K崎駅)

今回の被害をもたらした大雨ですが、福山市域でも大きな被害を出しています。
特に海沿いの沼隈半島での被害が大きく、土砂災害のほか、道路へも大きな影響が出ています。


(r47は手前側沼隈から福山に出られず、r251は崩落、正面は鞆市街地の狭隘区間)

旧沼隈町方面へのメインルートであるr72が5日ほど通行止めになり、今も片側交互通行で凌いでいます。
その影響でr47で福山との間を松永経由で行き来するようになったため、R2の混雑が激化しています。赤坂から大門は4車線とはいえ、バイパスがない区間でもあり、かなり厳しい状況です。
福山へは稜線を通るr251(グリーンライン)もありますが、こちらは道路損壊が多発しており長期の不通が不可避の状態で、あの狭隘区間を抱える鞆市街地経由のr22にも流入しているそうです。


(稜線を行くグリーンライン)
このエリア、鞆の浦の景観問題でr22の架橋バイパス計画が中止に追い込まれたばかりですが、バイパス計画におかる鞆の旧市街地の狭隘区間の解消による効果として、沼隈半島の道路交通の改良、リダンダンシーの向上があったわけで、中止が本決まりになったとたんにr72やr251が不通になり、大回りを強いられるうえにR2まで影響という現実を見ると、メディア等が徹底的に無視してきた架橋推進派が謳ってきた「生活権優先」の重みを感じますね。鞆の浦の観光業界と、他地域の「市民団体」が「勝ち取った」効果は、沼隈や内海の犠牲を約束したのですから。


(この看板はどうなったんだろう)



「町内会長」の跋扈

2016-07-05 00:02:00 | 時事
バングラに限らず、この手のテロ事件で「テロとの戦い」を批判すると、テロリストに加担するのか、と脊髄反射で息巻く人が後を絶ちません。もちろんテロリストの目的は犠牲を前提とした恐武Sで「足止め」させることであり、テロが浮「から、と行動を中止することがテロリストの思うつぼということは一面の真実です。

しかし、一般的にみられるこの手の主張は、あらゆる批判を封じるとしか見えないわけです。テロに負けない俺ってカッケー、とでも思っているのかもしれませんが、問題点を見ないこの手の議論が、「テロに加担するのか」という絶対的正義を装うことで、物言えぬ雰囲気となり、結局は同じ悲劇が繰り返されるのです。

もう何回同じことを言ったでしょうか。我が国はテロとの「戦い」に「参戦」しているのです。であれば「非戦闘員の安全」をどう担保しているのか。「テロとの戦い」は当然、というのであれば、それがセットでないと非戦闘員、すなわち一般国民を無防備に戦場に立たせているのと同じです。

軍事的圧力も何もない我が国が「敵国」にどのようなプレッシャーをかけうるのか。同時に「グローバル化」を煽り、世界各地で「一億総活躍」というのに、自分の安全は自分で守れ、というだけなら世話なしですね。対策もなく参戦したせいで、経済活動を縮小、撤退するのでは踏んだり蹴ったりです。

沖縄戦直前に非戦闘員の内地疎開を拒んだ県知事などの文官、空襲対策を訴えたら敵の攻勢を想定するとは非国民だという批判、先の大戦でいたるところで見られたリスク対策無視の流れは戦後70年以上経っても脈々と息づいています。
そしてネットの世界を中心でいつも見られる「勇ましい」ご意見に従うことは、万全の対策が取られた正面に銃剣突撃を行うバンザイアタックと同じ結果になるわけですし、言いだしっぺはロクに責任も取る気もない「はだしのゲン」の町内会長のような手合いだと思っています。


過去の信頼今何処

2016-07-05 00:00:00 | 時事
バングラデシュでのテロ事件でまたも日本の海外案件の最前線で働く人たちが犠牲になりました。
アルジェリアの時もそうでしたが、インフラ整備などその国の基幹となる仕事をしていて、その国で事件に巻き込まれて落命するというのは何ともやりきれない話であり、大義も何もないテロへの憤りを強く抱きます。

一方で犠牲になった方が「日本人だ」と叫んだ、と聞くと、何ともナイーブな、としか思えないのです。
おそらく軍事介入などとは無縁で、経済支援などでその国に尽くしている日本人はテロのターゲットにはならない、遭遇しても見逃してもらえる、という認識でしょう。

確かに過去はそういう傾向があったかもしれません。でも最近では積極的にターゲットになっている、というか、日本人もターゲットのカテゴリーに入っているとしか言いようがありません。
そういう意味では、嫌な意味で「普通の国」になったということです。明治維新から第二次大戦までの近代において、現在「途上国」としてカテゴライズされる国々を支配してきた欧米列強に対して、独立を保ち、軍事的にも最後は破滅的な敗北になったとはいえ、ある時期までは互角に戦い、ある時は勝利してきた日本に対し、「途上国」は特殊な感情、シンパシーを抱いてきたのが、消え去ったということです。

有色人種であり、非キリスト教国という、「途上国」の多くと共通する属性を持つ日本が、白色人種が支配し、キリスト教国である欧米と渡り合っていることが「途上国」に与えた勇気はいろいろなところで見聞きすることですし、それがあるから「親日国」というカテゴライズが出来上がったのです。
逆に欧米支配を前提にして地位を築いてきた層が今の支配層になっているような国は「反日」的色彩が見られるわけで、現地人に対する間接支配の先兵になっていた華僑が支配層にいる国ではその傾向が顕著です。

そういう特殊な立ち位置は、経済面でも外交面でも日本に独自の国益をもたらす源泉になるはずでした。親ユダヤ政策を取る欧米諸国に対し、ロビー活動がなく親ユダヤ政策を取る必要もない日本はアラブに軸足を置くことが可能で、アラブボイコットの影響を回避できましたし、イランやリビアといった欧米が蛇蝎のごとく嫌う国家との国際社会での橋渡しができました。
それが「欧米とは違う」という印象を与えるわけで、「日本人だ」ということにも意味があったのです。

それが「欧米の一員」という方向に舵を切ったわけです。
中曽根政権当時の「日米同盟」は日本外交にある程度の独自性がありましたが、対米追随、いや、従属ともいえるスタンスに舵を切り、小泉政権でそれが完成したことで、確かに日米関係は安定期に入りましたが、日本外交は多様性を失いました。
湾岸戦争のときはクウェート解放という大義名分がありましたが、イラク戦争では言い鰍ゥりに近い状況というのに旗幟を鮮明にしてしまいました。「テロとの戦い」にしても、対イスラム戦争という側面が拭えない状態で追随したわけです。

湾岸戦争から四半世紀、イラク戦争からも開戦から13年という歳月が経過しているわけです。
過去の独自外交を知る人も少なく、ただ欧米に追随している日本しか知らない、その印象が強い、というのが「途上国」の実情です。逆に過去の「財産」に日本人だけがすがっているという指摘もできるわけで、そのギャップがいらぬ悲劇を生んでいる可能性があります。

キリスト教国である欧米との対立ではどうしても対イスラムという宗教対立の側面が拭えないわけです。欧米的な発想、価値観でイスラムの宗教的慣習を否定することが「正義」だと思っているのです。
そうした欧米に完全につくということが何を意味しているのか。相手から見たら「一方当事者」であり、戦争として考えたら「敵国」なのです。「テロとの戦い」はさらに踏み込んで「同盟」を謳ったわけです。

だから与するな、ということは言えませんが、「戦争」の一方当事者になることは、相手から見たら「敵国」になるという当たり前の事実が抜けているわけです。過去は親密な関係であっても、「敵国」となれば冷たいものです。江戸時代を通じて友好的だったオランダは、第二次大戦で敵対し、戦争では最終的には戦勝国となったものの、本国に富をもたらしていた植民地「蘭印」をすべて失う結果になったことで、欧州でも有数の反日国家になったことを忘れてはいけません。

少なくとも、今の日本外交により、欧米は「味方」だが、欧米の敵にとっては日本も「敵」と見做されるようになったという認識の変更を促さないといけません。「日本人だ」と叫ぶことで飛んで火に入る夏の虫になる危険性すらあるわけです。
軍事力を背景に自国民への攻撃がどういう結果になるか「分かってるだろうな」と無言の圧力が可能な欧米に対し、そういう理由での軍事力の行使が出来ない日本は殊更に立場が弱いのに、欧米と同じような強気の対応は、国民をリスクにさらすものです。欧米に追随するのであれば、欧米以上に自国民保護の手を尽くさないといけないのです。