木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

生殖医療の進歩はあらたな苦悩を生む

2021年06月06日 | Weblog

生殖医療の発達ゆえの苦悩
子供ができない夫婦は昔からいた。生殖のメカニズムがこんにちほど明らかではなかった時代は養子をもらって育てることで家の存続をはかった。
日本は敗戦までは「家の存続」が結婚の最大の目的だった。
子供ができない夫婦がいる一方、受胎調節が一般的に知られていない時代には子供が次々に生まれる夫婦もいて、そんな場合養子に出したりしてその代わり教育をきちんと受けさせる約束をしたりして、人々は折り合いをつけて来た。
愛情ある両親の元成長するというのは最も望ましい形だがそうはいかない場合が多いのはこんにちでもよくあること。
しかし生殖医療の発達は人の子供を養子にしなくても人工的にDNAを受け継ぐことも可能になった。
男女どちらかが他人の卵子や精子をもらって子供を持つこと場合もある。
しかしこれは「子どもを持ちたい」という親の願いで実現したことであって生まれて来た子供の願いではない。
そこで自分の出自を知りたいという子供の願いが生まれる。秘密にしていてはならないことだ。
かつては医学生が精子を提供して生まれ、その場合父の存在は知らせないという形ではあったが、将来の遺伝による病気などのこともあり、自分の生物的出自を知っておきたいという人がそうした思いを主張するようになった。
子供を持ちたいという思いは生まれて来る子供のことも考えた選択でなくてはいけない。

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