木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

命(自・他)と引き換えの経済

2015年10月07日 | Weblog

ノーベル賞の価値とは?
去年に引き続き日本人が二人も受賞した。これでバランス的には村上春樹の文学賞と憲法9条の平和賞の目はなくなった?
医学生理学賞を受賞した大村智氏は北里大学の研究所で研究生活のほとんどを送った人だ。
エリートコースではない異色の研究者の道が紹介されていた。
北里研究所というと、私は野口英世を連想する。学歴のない野口を下級の研究員として雇ったのは北里柴三郎の伝染病研究所だった。
その後アメリカに渡り、ロックフェラー研究所の研究員になった野口は当時「ノーベル賞に最も近い男」と言われながら果たせず、アフリカの地で自身の研究する黄熱病のウィルスに感染して無念の死を遂げた。
敗戦後間もない湯川秀樹氏の物理学賞受賞といい、ノーベル賞に何かと物語を見出してきた日本だが、欧米ではどうなのだろう。
これほど日本人の受賞が続くと、その価値はどうなのだろうとそんなことも考えてしまう。

軍隊が日常に溶け込む(政治学者姜尚中氏の意見・信濃毎日新聞より)
特定秘密保護法を制定し、武器輸出三原則を見直し、そしてついに集団的自衛権行使まで認めた政権。
これからは防衛費は確実に増大し、軍事産業が成長し、疲弊した地域経済を潤して「地方創生」の目玉になっていくかもしれない。学問の世界も軍事との接点が広がり、知識や技術の面で貢献するようになるかもしれないと。
この意見を裏付けるように「軍事応用可能な研究に費用、防衛省公募に16大学」の記事が9月23日の信毎の紙面トップになっている。
先の戦争中でも国民の生活が軍事偏在でどんどん不自由になっていく中、軍需産業に携わる者だけは景気がよく、生活に不自由しなかった。
経済界は「武器輸出三原則見直し」を歓迎している。「死の製造人・商人」を自ら買って出るというわけだ。
そこで働く人間もとりあえず自分の生活を維持するために武器が世界のどこかで使われ、無残な死を作り出すことに目をつぶることになるだろう。
原発立地と関連の産業の関係と同じだ。
福島の原発立地自治体とその周辺も事故が起きるまでは比較的豊かな生活を送っていたように見えた。
3世代で暮らす大きな家。野菜やコメは自給自足。働き盛りの世代も原発関連の仕事が地元にあるので、故郷から出ていく必要がなかった。
しかしずさんで無責任な電力会社の体質と自然災害で、そこは放射能汚染されほぼ永遠に帰れない場所となってしまった。
みんな見て見ぬふりをしてきた。原発は被爆労働なしには成り立たないし、海への循環水の放出は確実に海を汚染していた。
これは福島ではなく福井の原発だが、原発の建屋のすぐ近くの海で人々は喜々として海水浴を楽しんでいた。
命と引き換えの、それが誰の命であっても、得る仕事は仕事とは言えない。
安保法制が成立した後は経済へとばかりに「新しい3本の矢」とやらを安倍晋三は発表したが、GDPを600兆にとぶち上げた。その思惑は軍需産業の拡大でいうことではないかと言われる。なるほどそれしかあるまい。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする