日本がかって直面した「地球環境問題」においては、1998年の【温室効果ガスの削減目標問題】が試練の時期であった。
京都で開催された国連の議定書作成交渉会議では、日本は当時は最先端の環境技術を持った「先進的国家」と位置づけられていた。
1990年の排出実績をもとに、2010年目標(2008年〜2012年の5年間の平均値)の取り決めにおいて、8%削減を国際交渉で合意した。
欧州は7%で低い目標、アメリカは6%削減であった。
日本が主導的役割を果たしたことに敬意を評して、「京都議定書」と呼ばれたが、その後にアメリカはブッシュ政権になって離脱した。
途上国であった中国が削減義務を負わずに、不公平であるとの印象が拭えずに、2012年以後の削減目標は、交渉が難航して日本は離脱した。
これ以後に日本は温室効果ガスの削減目標において、消極的姿勢にこだわって、世界からは【温暖化対策のブレーキ国】と批判され続けた。
2010年代を通じて、温暖化対策の国際交渉では、常に後向き姿勢を批判されて、問題国の汚名を着せられてしまった。
この後向きの政策によって、技術面でも産業面でも世界の先進国から、大きく遅れて、周回遅れに甘んじているのが現状だ。
この機会に、【海洋プラスチックごみ汚染問題】が、世界的課題となってくクローズアップされた。
汚名挽回の機会が到来し、財源の裏ずけを持った積極的対策で迎えよ。