花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

娘と日帰りドライブをする(2)

2018年08月21日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
③「増毛町」散策

この町の観光案内によると、日本海に面した「増毛町」は江戸時代から北方警護の拠点の一つとして「秋田藩」に警護が命じられた所だ。
また、昭和初期までは「ニシン漁」で栄えた漁業の町だった。

駅前の駐車場に車を止め、散策開始。
まず「旧増毛駅」。
この駅は「JR留萌線」の「終着駅」だったが全国一の赤字路線だったので、2016年12月に廃線になった。待ち合い室では「軽食店」が営業していた。奥には「増毛駅」の歴史が展示されていた。
かっての「ホーム」が残されていたので写真に収めた。ホームの所だけ赤錆びた「レール」が残してあった。私は敷石に生えていた雑草を10本程抜いて来た。



     

              

次は明治18年創業だと言う日本最北の造り酒屋「国稀酒造」に行った。
明治から昭和の初期までニシン漁で繁栄した町には、出稼ぎの労働者が多く集まったので、この酒屋の酒も人気があったと思われる。
奥に試飲コーナーがあった。美味しかった8月の地元限定販売酒「蔵出し」を記念に1本求めた。



    

傍にあった「旧商家 丸一本間家」の外観を見、隣の「鈴木蒲鉾店」で揚げたての蒲鉾を食べた。蒲鉾の価格が高いと思った。
娘は木造校舎を知らないので、残されている「旧増毛小学校」を見たいといって立ち寄った。
私はそんな校舎で小中高を過して来たので、あまり興味は湧かなかった。

町を上げて観光に力を入れている雰囲気が伝わり、今後の過疎化地域の参考になるように思った。
今後は難しいかも知れないが「ニシン漁」か何かの歴史的なものを実演するなどのイヴェントを考えると、ヨーロッパの歴史的な町や村の様に更に多くの観光客を呼び込めそうだと感じた。
ガイドのパンフレット「増毛さんぽ道」は、町内の地図として分かり易く役に立ったが、パンフレットのどこかに「増毛町の簡単な歴史」を載せると更に理解が深まると思った。


④「雄冬岬展望台」

「増毛町」から国道231号線を南に下り、いくつかトンネルと覆道を抜けると「雄冬」に着いた。
ここはかって「秘境」「陸の孤島」と言われ、断崖絶壁の海岸にある村には増毛から1日1往復の船で行き来するしかない場所だった。
札幌方面からの道路建設が望まれて1981年11月に「雄冬トンネル」が開通したが、一月後にトンネル内崩落で不通となった。やっとの再開通は1984年5月の事だった。
この海は「甘エビ」の良い漁場だが人口減少が続き、2013年には37戸70人だと言う。

道路横に「展望台」の標示があったので急な坂道を登ると、中腹の平地が駐車場になっていた。南側の山を見ると溶けた溶岩が冷えてできる「柱状節理」がむき出しになっていた。
駐車場から鉄製の階段があったので登った。その階段は、ごろごろした大きな岩の上に沿って折れ曲がりながら造られていた。全部で153段登って「展望台」に着いた。
ガラスで囲まれた「展望台」内にも螺旋階段があり、39段登ったら最上階だった。360度の展望が開けていた。
眼下には「雄冬岬」と家並み、雄大な「日本海」が臨めた。この「展望台」を含む「岩石公園」が整備されたのは1999年の事だと言う。


 (中腹の駐車場から「柱状節理」を臨む。墓がいくつかあった)

 (階段の途中から「日本海」沿いの村を見下ろす)

 
                        (この大きな安山岩は、地すべりで移動していると言う)

朝8時過ぎに出発した頃は時折小雨も降ったが、午後から晴天になり、娘のお陰で意義あるドライブができ、良い思い出になりあり難かった。
札幌に戻った時に私の行きつけの回転寿司店「トリトン」に入り、運転し続けた娘を労ってから帰宅した。






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