花好き・旅好き80代の北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だったが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり外国は見合わせている。

ベトナム・カンボジアの旅(4)

2011年01月28日 | 海外旅行「東南アジアⅡ」ヴェトナム、カンボジャ
ガイドブックによると、カンボジアの国名は「カンボジア王国」で面積は日本の約1/2、そこに1360万人(2005年世界銀行)の人が暮らしている。民族的にはクメール人が90%、華人3.7%、ベトナム人3%などである。
現在の宗教は、大半が上座部仏教を信仰しているが、キリスト教などを信仰している人もいる。現在の首都は、南部のプノンペンだ。
北西部の町シェムリアップのホテルは、部屋が広くて設備も良く、部屋付きのベランダに出ると植栽が素晴らしく整備された中庭と、そにある大きなプールが望めた。
私たちはこのホテルに3泊して、デラックスバスに乗り、3日間、ゆったりとアンコールワットの観光をした。

資料によると歴史的にカンボジアは、古くは中国の一部だったこともあるし、北部や南部がベトナムやタイに支配されていた時期もあるのだ。
9世紀から15世紀にかけてインドシナ一帯を制圧したクメール王朝は、11世紀には王位継承を巡って内部分裂を起こし、ベトナム中部チャンパ王国から攻撃を受けるなどしていたが、1113年に国内を平定したスールヤヴァルマン2世が王位に就いてからは、広大なアンコールワットの建設に取り掛かった。
およそ3万人の精鋭職人が30年の歳月を費やし、当時としては他に例を見ない一大石造建造物をアンコールワットに誕生させ、15世紀迄首都としたという。

9時にホテルを出て、先ずアンコール王朝が最も盛んだった時に建てられた「アンコールトム」(大きい城都を意味する)の遺跡に向かった。
途中で見学料を払って「アンコールパス」を取得したが、それはガイドの顔写真と見学者の顔のカラー写真が入った首から下げる立派なカードだった。2008年発行のガイドブックには、1日券が20ドル、2~3日券が40ドルと書いてあった。

「アンコールトム」は、1辺が3kmの四角形の敷地の東西南北に門が設けられているが、私たちは南大門から入って東の勝利門から出るコースを辿った。
この城の特徴は、チャンパ王国などからの侵入を防ぐための城塞も兼ね備えていて、仏教徒だった7世王が、悟りを求める者は誰でもが救われるという日本と同じ大乗仏教の世界観を現した物を造ったのだ。

南大門が近づくと大勢の観光客が詰めかけていた。門につながる橋の両側には、阿修羅と神話に基づく神々が54体づつが、太い大蛇の胴体を抱えて引きあっていた。①
門の高さは25mあり3mもの大きさの菩薩の顔が、「クメールの微笑」をたたえて4体刻まれていた。②

 ① ②

次々と「シクロー」に乗った人たちが門から入って来た③が、私たちは門の中で待っていた小型バスに乗り、中央の「バイヨン寺院」まで1kmちょっとの森林に囲まれた道を進んだ。降りるとパスの確認を受けた。
入り口に日本国政府アンコール遺跡救済チームが1999年5月~2005年4月にかけて最外周壁の崩落部材を850個修復したという立て看板が立っていた。④
見ると向こうに高さ42mの本殿が聳えていた。⑤

 ③ ④

 ⑤

第1回廊の壁画には、当時の生活が絵巻の様に掘られていて、チャンパ王国との水上決戦や地上決戦などを見る事ができた。⑥
闘鶏の場面では、耳が長いクメール人と髪を束ねた中国人の姿もあった。豚を処理して串焼きにしている壁画もあった。⑦
第2回廊に進むと、ヒンズー教の神話や伝説をモチーフにした彫刻がぎっしりと彫られていて、当時の彫刻師たちの忍耐強い精緻な芸術的表現に感動させられた。

 ⑥ ⑦

中ほどに進むと中庭があり、大きな4体の女神の顔が迎えてくれた。⑧ 上に上がって回り込んだ所にも微笑を浮かべた女神の顔が彫られていた。⑨

 ⑧ ⑨

「アンコールトム」より少し東に規模の小さい「タプロム遺跡」があった。ここは、ジャヤバルマン7世が母親の菩提を弔うために、先に建てた仏教寺院である。
ここは深い森に接しているため、長い歳月の中で自然の浸食を受けていた。野鳥が糞と共に落とすガジュマルの種が芽吹いて、やがて巨大な根を張り、遺跡を破壊し覆い尽くしているのだ。インド政府の協力で今、修復が進められているが、根を取るとバランスをかろうじて保っていた遺跡が崩れてしまう危険性もあるのだそうだ。⑩
敷地内の他の遺跡にも行ったが割愛したい。

 ⑩




昼食後、ホテルで1時間半の休憩を取ってから、いよいよ「アンコールワット寺院」の観光に出かけた。⑪
この寺院は西が正面になっていて、大きい濠に囲まれた530mの参道を歩いて行くと幾つもの頭を持つ蛇のナーガ神が迎えてくれた。
この寺院の高さ5mの回廊には、インドのヒンズー教にまつわる物語が克明に彫られていた。長さは数百メートルに及ぶそうだ。⑫
急な階段を上って第二回廊に行くと、美しい女神像が幾つも彫られていた。⑬ さらに上の第三回廊に上る階段は急だが、その日は登ることができない日だった。⑭

 ⑪ ⑫

      ⑬ ⑭

外へ出てから池に映る寺院を鑑賞した。当時の日本でここは「祇園精舎」だと考えられていたと言うが、そんな雰囲気が伝わってくるようニ思った。⑮

       ⑮




コメント (2)
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