小川洋子の「ことり」のあとに、ハン・ガンの「菜食主義者」の話を
NHKのラジオで聞いて考えた。
前者の孤独がこんなに温かいのに、
後者がこんなに寒々としてねっとりとして暗く重くつらいのは何だろう。
前者が誰も責めないのに比べて、後者は社会や人間の世界や
いろんな他者を、そして自分自身を?責めているからか。
どっちが正しいのかはわからないけど、
責められるのはとてもつらいからね。加害者でいることはとてもつらい。
つらいから目を背けたり否定したりする。
「ことり」でわたしは共感者になれるけど、
「菜食主義者」ではわたしは加害者側にいるかもしれない。
だから、この本を読むのがこんなにつらかったのかなと思いました。
NHKのラジオで聞いて考えた。
前者の孤独がこんなに温かいのに、
後者がこんなに寒々としてねっとりとして暗く重くつらいのは何だろう。
前者が誰も責めないのに比べて、後者は社会や人間の世界や
いろんな他者を、そして自分自身を?責めているからか。
どっちが正しいのかはわからないけど、
責められるのはとてもつらいからね。加害者でいることはとてもつらい。
つらいから目を背けたり否定したりする。
「ことり」でわたしは共感者になれるけど、
「菜食主義者」ではわたしは加害者側にいるかもしれない。
だから、この本を読むのがこんなにつらかったのかなと思いました。