散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記130118金(6/1晴 ランニング8km 防寒対策見直し )

2013年01月19日 13時55分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、午後からジムに行った。
ランニングが目的だが、前回も前々回も筋トレはしていなかったので、筋トレもしようと考えた。
16日もランニングで約7km走ったが、そのときは足に疲労を感じていた。
そして、一昨日の17日はプールに行ったが、疲労感はなくなっていた。
昨日18日は、体に疲労感もなく筋肉痛や違和感もないので、ジムで走ることにした。
ただ、16日のランニング終了後、疲労感があったので、昨日はジムに行く前から、ランニングが一昨日同様トータル45分間走れるか、気になったし、筋トレもするので疲労度はかなり高くなりそうだと覚悟した。
ランニング中、問題なければ、前回の45分から時間を伸ばし50分走ろうと思った。

走ったがやはりきつかった。
とにかく、後半20分以上走ることを考えて我慢しながら走った。
結局、時速9.3kmで前半29.5分、約2-4分間の休憩後、後半22分走り、トータル8kmを走った。
その後、休憩を取り、筋トレを一通り行ったが、当然のことながら、体力を使い果たし記録は落ちていた。

帰宅後は、寝るまで疲労感があった。
足の疲れだけでなく、筋トレによる全身の筋肉の疲労が加わり、体全体が重かった。
夜の間、強い疲労の際起き易い眠気は、なかったので、意外と疲労していないのではないかと思った。
しかし、今朝起きると、体の疲労感は消えていた。
感覚的な話だが、ランニングの時間を延ばしだしてから、体力が向上しているように感じている。
今までは、ランニングで疲労すると、翌日まで残ったり、筋肉痛になったりしたが、最近はそうしたことがなくなった。


ここ数日朝の室温が、6度台になり、昼でも7-8度台である。
最近、冬山用の厚いダウンジャケットを着ていても、肌寒く感じるようになった。
不思議に思い考えた。
机に向かって、長時間作業していると足が冷たくなるのだ。
足の冷え=放熱が体の体温を下げ、上半身の冷え感につながっているのでは、と原因を推測した。

たまたま、箪笥前に積みあがった衣類の中に、今年購入したオーバーズボンがあった。
そのオーバーズボンは、足首がゴム編みのバンド状になっていて、使い勝手が悪く、放置していたのだ。
それをもう一枚重ね着し、靴下も去年もしていたように2枚履きにし、更にスリッパも去年から用意していた断熱のよく効いたスリッパに履き替えた。
効果は直ぐに現れた。
今までの足の冷えはなくなり、上半身は、重ね着することもなく肌寒さがなくなり、問題はすべて解消し無暖房で快適に過ごしている。


現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
アルジェリア人質事件、多くの人質が解放されるも、まだ作戦続行中。
LINE利用者1億人突破。「通信ビジネスモデル革命の一つだ。」
中国GDP12年は7.8%「経済のターニングポイント?」
橋下発言波紋広がる。
テニス全豪オープン、クルム伊達公子3回戦へ
寒波・野菜高騰
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昨日記130117木(8/2晴 プール 気になるニュース)

2013年01月18日 12時45分14秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、一週間ぶりにプールに行きました。
プール内の室温、水温とも30度から32度ぐらいで、夏です。
昨日は、幼児の水泳教室はなかったようですが、水深1.3mのプールの3コースを教室に割り当て、小学生の、クロールや平泳ぎやバタフライの教室に使っていました。
小学生が、バタフライで、25m泳いでいるのを見て、なんとなく私もバタフライが泳げるところを見せたくなり、最初にバタフライで25m泳ぎました。
バタフライは、2011年2月ごろにやっと泳ぎ方を覚え、昨年何とか定着したと思っている泳法で、まだ完全にマスターしきっているとは思っていません。
昨日泳いだバタフライは、数ヶ月ぶりだったと思います。
バタフライを泳ぎ終わった後は、息が上がりました。
今「村ぶろ(散歩者)」に書いたバタフライに関するブログを読んで、バタフライ習い始めの頃の苦闘を思い出しました。
その後はクロールで100m単位(完泳)で、トータル500m余り泳ぎました。


現在までの気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
アルジェリア人質事件、アルジェリア軍の軍事作戦で制圧。犠牲者数不明。(人質多数死亡の情報も)
円安進行一ドル90円台に
鳩山氏、中国で尖閣問題に関し問題発言。
橋下氏の桜宮高校に対する要求(入試停止、教員総入れ替え、要求入れられねば予算執行停止等)に批判高まる。
   「橋下氏の独裁体質あらわ。いつもの手法というが、高い要求を吹っかけ多くの要求を実現する手法は、交渉術としてはよくあるが、行政の長としていかがなものか。そもそも都構想の二重行政がどれだけあったのか、例えば、水道事業、大学・・。忘れてはいけない、府知事時代に、大阪市が自分の思い通りに動かないから、都構想を持ち出し、大阪市を解体しようとしたのが原点だ。自分の独裁体制を築きたいのだ。維新が選挙公約したようには大阪市民の生活は良くなっていない。」
ボーイング787世界で運航中止。バッテリーが焼けているが、電気回路を含め原因追求
自殺者年間3万人下回る。
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昨日記130116水(9/0晴 文体の変更 ジム )

2013年01月17日 12時22分47秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
又、昨日の昨日記の日付と曜日の間違いました。
我ながら、言い訳や評価のしようがなく、こんなことでは書いたことに対する信頼性が著しく損なわれます。
ついでに、今後、記事の内容により、文体を変えます。

気を取り直して、改めて昨日記始めます。
昨日は、ジムに行きました。
ランニングで、時速9.3kmで29.5分間に4.6km走り、5分ほど休み、その後15分間で2.3kmで、トータル6.9km走りました。
ランニング後、少し足の疲れを感じました。
まだまだ、持久力強化に耐える筋肉が出来上がっていないようです。
これからも、当面の目標として、時速9.5kmで1時間走れる体を作っていきたいと思っています。


私の気になるニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)
ボーイング787の故障多発、 
  1/17 国交省ボーイング787 運行停止命令
  1/16 全日空機787高松空港に緊急着陸
      「電池や電気系統の故障は、破壊が進むと機体のコントロールを失い墜落の危険性がある超重大な       問題だ。緊急着陸できてよかった。」
アルジェリアの天然ガス施設で武装勢力が、外国人を人質に。日揮社員が含まれる。フランスのマリでの軍事介入にアルカイダ系武装勢力が対抗した?
桜ノ宮高校に対する橋下発言(スポーツ健康科の募集停止と教員総入れ替え)の波紋広がる。
      「「スポーツ健康科」を新しい指導方針で抜本改正すれば済むことでは。」
芥川賞に75歳の黒田夏子さん、「abさんご」で受賞、最年長記録
      「横書きで、ひらがなが多く、物の名前すら別の言い回しを使うという革新的文体、読みたい。」
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昨日記130115火(7/4晴 気になったニュースコーナー開始  関東大雪)

2013年01月16日 12時13分31秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は夕方にお茶を飲みに出かけた以外は、終日家に居た。
したがって、特に記載することはない。

このような時は、いつも自分の感じたことを自由に書いていたが、以前から言っていたが、そのようなことはブログとして話題ごとに分けて書きたいと思っている。
そしてこの欄には、私の主な行動記録だけを記載したいが、そうすると毎日ほとんど書くことがなくなるので、主なニュースのメモを残したい。
以前に「ニュースメモ」として書いていたが、報道機関の電子版の一部をスクラップを掲載していたために、報道機関から著作権に関する警告があったので止めた。
今回は、私が気になったニュースの項目を、一つのコーナーとして新たに昨日記の中に設け、特に気になったニュースには、短いコメントを付けたい。
コメントが長くなる場合は、独立のブログとして、書きたい。

さて、早速始めます。

昨日気になったニュース(各ニュース後の「・・」内は、コメント)

関東大雪
13.1兆円の補正予算閣議決定。  
 「確かに景気浮揚・デフレ脱却のためのカンフル剤が必要なことはわかる。しかし、財政規律とのバランスは  取れているのか心配だ。」
桜ノ宮高校の自殺問題、大阪市・市教委の対応続く。政府も調査に入り議論も活発化。
大島渚監督死去
新潟県胎内市の4世紀前半の「城の山古墳」から出土の鏡が、中国の「盤龍鏡」と判明したため、大和政権の北限が変わる可能性。
白鵬に土   
  「油断していたのでは」
伊達公子テニス全豪オープン、最年長勝利  
  「すごい」

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昨日記130114月( 2kwギャラリートーク 創作手法の問題 ギャラリー経営)

2013年01月15日 12時13分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、2kwギャラリーの4人展(奥田文子 しまだそう 中道由貴子 奈良田晃治)「とある未来のある日」のギャラリートークを聴くために、夕方から出かけた。
会場は、超満員だった。

司会の中島麦氏が、若い作家4人の経済活動としての別の仕事を含む作家生活との関係や、様々な本音を聞きだしていた。
普段聞けない、作家生活の実態や悩みが明らかにされて、非常に興味深いものだった。
更に、作家としての創作活動にかかわる原点の、作品を生み出す創作の動機や取材・材料集めとか、モチベーションの維持方法とかも語られ、その資料の現物も見ることが出来た。

今回は4人とも写真や印刷物や書き溜めたスケッチを元に、作品を制作している。
このことに関し、現地に行かずに描くことは、描くべき生の感動が得られないのではないかといった意見もあるが、全く問題ないだろう。
彼らの作品は、自分の頭の中で抽象化し、物語や美を再構築したり、画面上の世界を構築していて、そこに彼らなりの美術としてのメッセージがこめられている。

具象美術における、過去に写実の世界(自然主義や印象派等の世界)ではそのようなことが問題になったこともある。
今も多くの自然主義や印象派の流れを汲む具象作家にはそうした意識が強く存在すると思われるが、この問題は美術上のパラダイムの問題であって、現実に存在する美術の多くは、具象ですら現実の風景に頼らず、想像で構成もののほうが多いように見える。

もっと大きい目で見れば、このような写真や印刷物や他の絵画や画像や物語からインスピレーションやヒントを得て制作することは、古今東西美術ではジャンルを問わず通常行われていることである。
例えば、写真や印刷物を使うコラージュ等はその典型であり、具象をベースにした多くの抽象絵画や新表現主義絵画もそうであり、現代絵画でも多くの作品はそうであるし、過去の洋画(ルネサンス以前を含む古典派やロマン派)のみならず、日本画や山水画や南画やイラストや漫画その他ジャンルを含む絵画類は、神話や物語やニュースを元に想像して画面を構成し制作するのが普通であったであろう。
絵画作成のトレーニングとしての、スケッチや写生と、作品とは切り離して考えることが必要だろう。

今回のギャラリートークには、多くの問題点が含まれていた。
その一つに、ギャラリー運営者で自分自身も作家活動をするK氏の発言があり、ギャラリー経営の難しさと、ギャラリー運営に参画する若い作家達に期待する熱い思いが伝わってきた。
この問題は、関西の多くの現代系画廊に、共通する問題であろう。

ギャラリーを安定的に運営するには、経営学的視点から、逃げずにまず現状を正確に把握分析し、一つ一つの問題を解決することが必要だろうと思う。
その出発点としては、ギャラリーが存立する基盤として経済問題=経営問題抜きには語れない。
ギャラリーを、経済活動として成り立たせるためにどうすればよいかというとき、経営的観点からは、ギャラリーの顧客対策抜きにはありえない。
(対策してもマーケットの規模が小さくて、ギャラリーが存続できない可能性がある。)

良くも悪くも我々は、市場経済の中で生きている。
その中で、ギャラリーが経済的に自立しようとすれば、マーケットの創造をすることが必要だろう。
現状を表面的に見る限り、関西の現代美術に関するマーケットは、現時点ではほとんどないように見える。
関西の市民が、現代美術にほとんどい興味を持っていないように見えるからだ。

しかし矛盾するようだが、市民が現代美術に全く興味が無いかと言うと、そんなことはないとも言える。
例えば、以前に行われた草間彌生展の人気振りを見てもわかる。(その前提として、メジャーマスコミによる宣伝があることは、考慮すべきだが。)
一般市民の潜在的現代美術ファンは、少数だがある程度存在するように見える。

ギャラリーで仲間内同士、慰めあい励ましあい刺激しあっていい作品を作ることは、非常に必要であるが、そのことでは経済的にはなんら変化は起こさない。
ギャラリー内の、美術関係者だけの閉鎖空間でなく、どれだけ多くの外部の一般市民を巻き込みギャラリーのファンにするか、その努力の結果がギャラリーの安定度になって現れ、ギャラリーの存続につながるのではないかと思う。

その方策を具体的に出来ることから一つずつ考え、大胆に実行すべきであろうと思う。
具体的には、現代美術に無関心であった市民に、現代美術の面白さを分かってもらうことが必要だろう。
そのようなことは、例えば、過去に成功した美術館や現在注目されている美術館の運営の考え方も、一つのヒントになるかもしれない。(いかに一般市民に興味や関心を持ってもらうかという観点からの工夫)
(金沢21世紀美術館 水戸芸術館・・・)

全く別の観点からみると、ギャラリーをNPO化して、作家や美術愛好家が集まって運営し、市場や収益を気にすることなく、画廊運営経費を負担し合いギャラリーを存続させている例もあり、こうした手法は一般市民の関心の低い分野では有効かもしれない。




参考
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
参考ブログ集 散歩者gooより
(参考ブログは、数週間に1度追加削除しています。数か月以前のものは分野別<芸術 健康 エッセイ 歴史宗教思想 情報機関> に分類しています。)
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昨日記130113日(9/2曇 ジム・ランニング)

2013年01月14日 13時12分01秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、「昨日記」を書くのを忘れていたようだ。
一昨日は、朝寝坊したため朝食が遅くなり、ブログを書いたりしてて昼食も2時過ぎとなり、その後も3食分の調理等々で雑事に追われ、何もすることのない一日を送った。
その夜は、半ば日課にしているスポーツセンターのジムに行った。
前回の8日に行ったときは、約8.6kmのランニング後ということもあって、上半身のウエイトトレーニングの記録は、年末と比べ大幅ダウンしていたので、鍛えなおさなくてはと思い、初めから上半身のウエイトトレーニングを行った。
結果は、予想どうりの回復状態で、すべての筋肉が回復しつつある段階だが、元通りになるには、多分1ヶ月はかかりそうだ。

昨日も、朝は休日タイムで起床し、その上朝食後も眠くなり眠る始末で、正月の再来のような感じであった。
更にTVの女子駅伝を見てから昼食に取り掛かったので、一昨日と同様の時間が2-3時間ほどずれ込んだ形の一日になった。
それでも昨日も、5時過ぎからジムに行き、時速9.3kmで29分間、約4.6km走った。
体力は、今後もジムやプール通いを続けていれば、多分半月から1ヵ月後には、昨年末の体力を回復していると思う。

正月明けで、連休も続き、これからも飲酒の機会も多くなり、出費や生活のペースが乱れそうな危険性があるので、自戒しなければと考えている。
会計の、記帳が再び数週間分滞りだしたので、早くレシートをすべて記帳し、会計コントロールをしなければと思っている。
昨年末は、見たところ、大きな無駄遣いはないが、それでも予想より多く出費したようだ。

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昨日記130111金(8/3晴 京都の展覧会に)

2013年01月12日 13時42分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日午後から、FBでの招待や記事の掲載があったグループ展に、興味があって京都の展覧会場に出かけた。
二つの会場とも、始めていく場所で、事前にネットでも調べ、地図をカメラに写しこんで出かけた。
最初に、京都伝統工芸館で行われている、「胎内めぐりと画賊たち」に行ったが、場所が分からないので、時折カメラの地図を見ながら歩いた。
途中寺町界隈の画廊ものぞいたが、小品展をしていたところもあったが、パスした。
同時代ギャラリーでは、展覧会が開かれていたので立ち寄り、展覧会を見た。
画廊によって違うが、1月は画廊を開くのが中旬ぐらいにする画廊が多い。

京都伝統工芸館は、直ぐに見つかった。
展覧会は、胎内めぐりのインスタレーションではじまり、土俗的な民芸雑貨や、日本画や、イラスト、現代美術とジャンルを区切らず、表現している
胎内めぐりでは、春画のようなものもある。
縁日のような雰囲気と美術が合体した、奇妙な和風の空気をかもし出している。
現代美術といった、表現とかコンセプトといった押し付けるものはなく、各自が作りたいものをつくっている感じがした。
画賊というグループは、展覧会にあわせて、毎回本を出しているが、今回は「漫画」をテーマにして本を出し、出品者が書いているようだ。

その後、京都文化芸術会館で行われている「祈りの世界」展を見に行った。
カメラに保存した地図を見ても、よく分からず場所を探すのに手間取った。
ずいぶん長く歩いたような感覚がした。
日本画や書や工芸や現代アートが展示されていて、いい作品が多かった。

帰り道は、出町柳に出たほうがよいのか、丸太町または三条に出たほうが良いか迷ったが、三条まで戻ることにした。
夕闇の鴨川の遊歩道を歩いたが、気持ちよかった。
本当は、三条界隈の画廊も見て廻るつもりであったが、かなり疲れた感じがしたので、三条から帰った。
後で調べてみると、歩いた距離は6km余りで、出町柳に出たほうが近道だったようだ。
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昨日記130110木(8/3晴 プール プライバシーについて)

2013年01月11日 12時17分20秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日も、夕方からプールに行った以外は、家に居た。

ニュースでは、戎さんの祭りが取り上げられている。
戎さんも、たまにお参りするが、別に信仰しているわけでもなく、年中行事の一つとして祭りを楽しみに行くが、今年は行かない。
どの祭りや年中行事も、なんとなく元気付けられ、心が晴れやかになるので、祭りは好きである。

正月の年中行事も徐々に終わりに近づいてきた。
昔は年齢は数え歳で勘定していて、正月が過ぎると歳をとった。
今は、満年齢で誕生日が基準だ。

私は、昨年12月で68歳になった。
FBでは誕生祝云々がうるさいので、先月のはじめに誕生日の表示をロックし表示しないようにした。
私の場合、FBで、始めのころは、お祝いのメッセージを送ったが、昨年貼るごろから、よく知っている日とでも、誕生日祝いのメッセージは送っていない。
そのようなことをすると、きりがないし、こちらももらわないようにロックしたのだ。(多分表示してもほとんど来ないが。)

母が生きていた頃は、家族の誕生日を祝っていたが、母が亡くなってからはそうしたことも無くなったし、別段寂しいとか思ったことも無い。
ただFBのように他人の誕生日まで、お祝いのメッセージを贈らなければと強制するように毎回告知されるのは、いかがなものかと思っている。
例えば、その場で顔を合わせていて、様々な祝い事を知を知れば(たとえば、誕生日、出産、結婚記念日・・・)、その場に居合わせたことは縁があったのであろうし、見知らなぬ人でも私もお祝いの一言をかけるだろうし、そのような場面に多く遭遇してきた。
ただ、ネット上では、常に見知らぬ人や単に顔見知りの方もいて、そのようなことは形式的過ぎるので嫌である。

誕生日は、実質的にはいまや、重要なプライベート情報に当たらないという意見も多い。
個人の誕生日を調べる気になれば、ネットを使うとかなり分かるというのだ。
現実問題、様々なショップや劇場や公共施設や団体の、メンバーになるときに生年月日を記入することが多い。
それ以外にも、名簿で昔は誕生日が入ったものもあるし、名簿が売買されてる実態が社会問題にもなっていて、現在ではネット上から個人情報を集め売買するものもいるという。
そのような個人情報は、単に生年月日や住所のみならず、SNSやブログを調べれば、その人の嗜好やよく行くところや趣味や資産状況もみえてくる。
集める気になれば、そのようなきわめて個人的な、個人情報も簡単に集まるだろう。
その意味では、人によっては、調子に乗りすぎてプライベートなことを出しすぎるのも考え物かもしれない。

私の場合はそのようなことも意識した上でブログを書いている。
以前にも書いたが、私は貧困の独居老人で、資産も社会的地位や名誉も守るべき家族もないので公表して失うものは無く、思ったことや思い出を自由に語ることが出来るのだ。
また、小説家とか、芸術家といった表現者の場合は、表現者としてプライバシーをさらけ出す勇気が必要になるかも知れない。(中には露出を嫌った作家もいるが。)
今まで書いたことを集めると、私のプライバシーはすべて暴かれるだろう。
女性の場合は、ストカー問題もあるので気をつけたほうがよいと思う。(ストーカー問題は男女別なくあり、女性ストーカーも多いという。)

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昨日記130109水(10/3晴 プール)

2013年01月10日 11時48分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、プールに行った。
一昨日8.6km程走ったので、疲労がどの程度か気になったが、疲れはそれほどでもなかったようだ。
軽く体をほぐす感じで、5-600m程泳ぐ。

プールは、子供水泳教室で大賑わいだ。
4-6グループに別れ幼稚園から、小学校3年生程度までの子供達を教えていた。
母親達は、2階の窓からわが子の姿を追っている。

子供達の行動を見ていると面白い。
女の子は、行儀よく先生の指示に従っているが、男の子はプールの端で、休憩中はよくふざけて遊んだり暴れている。
例えば、男の子は練習でゴールに着く直前の子の頭をめがけボードで叩いたり、沈めあったりして、お互いじゃれあっている。
先生も、注意しない。(多分注意してもきりがないのだろう。)
風呂に行ったときでも感じていたが、幼い時から男性と女性の行動の差はかなり違う。
男の子は、好奇心旺盛で、動き回り、いたずらを好みある意味暴力的だが、女の子は、身の回りのもので遊び、おとなしく、会話していることが多い。

子供の行動と、今読んでいるラカンの学説の、鏡像と乳児からの成長の関係とは違うが、幼児の発達に関連する問題で面白いと思った。
本を読んでいて、ラカンの言う母親と幼児のときの鏡像と自我の間の成長の過程の説明には、疑問を持っている。
脳科学的に考えたらどうなのだろうとか、パブロフ的な条件反射と愛情との関係とか、類人猿との行動の差とか、自然科学や他の心理学も含めて総合的に考察することで、その学説が正しければ、様々な事象が矛盾なく説明できるであろう。
第一、乳幼児が、鏡像の元になる親の行動の流れを観察記憶する能力があるのかとか、周辺状況を目視でどれだけ認識力出来るのだろうか。
多くの事実と比べ、矛盾があれば、又分析者により考え方が違えば、その学説は正しくないかもしれない。
科学は、何度繰り返しても正しく再現できる必要がある。(ただし、観察者のデーターが読み間違っていれば正しい答えは出ない)

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昨日記130108火(10/2晴 ジム29分X2 4.6km)

2013年01月09日 11時37分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、今年初めてジムに行った。
前回ジムに行ったのは、12月18日なので3週間ほど休んでいたことになる。
体力がどの程度落ちているか、気がかりで、ランニングは、かなり厳しいものになるだろうと予想していた。

始めにランニングをした。
トレッドミルを使い、以前より少しペースを落とし、時速9kmで間に5分間の休みを置いて、29分ずつ2回走り、トータル約8.6km走った。
思ったより、苦しくはなかった。
汗だくになったので、トレーニングウエアを着替え、筋トレを行った。
筋トレでは、記録が大幅に低下していた。
夏のブランクで低下した筋力を、秋の間に長い時間かけてやっと取り戻しかけたと思ったら、再び元に戻った。
これから再び長い時間かけて、体力回復することになりそうだ。

帰りに、体重を量ると、1kg以上減っていた。
今回は運動中、に400CC程水分補給し、間に小用のためトイレに行っているので、その分の水分の出入りも考慮しなければならない。
普段は、運動中に体重が減っても減っても500g=500cc余りだ。

体重減少の原因は、トレーニングウエアーを着替えたことにあると考えた。(着替えた運動着に大量の汗が吸収されている。)
このことから、私の場合、少なくとも、ランニングで時速9kmで1時間程度走ると、1L以上(推定1.5L)程度の水分が失われることが分かった。
今後、運動中の水分補給に、充分気をつける必要がありそうだ。

帰宅後、少し休んでから、多少遅かったが、いつものようにコーヒーをを飲みに出かけ読書に励んだ。

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昨日記130107月(10/2晴 )

2013年01月08日 12時02分40秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、昨日記を書きながら再度講演会メモを読み直してみた。
一昨日に書いたまとめには記載していなかった講演メモの中に、重要な指摘のあった部分が欠落しているのに気付き、追加した。
改めて、まとめ全体を見通してみると、今まで美術史的観点でしか見てこなかったが、哲学的な視点を加えると、別の面が浮かび上がってくる。

構造的・記号論的視点、現象学的視点、精神分析的視点、美術史的視点、等重層的なパラダイムを意識して、人間の精神活動である芸術活動の本質・特に現代芸術とは何かという本質に迫っても、哲学の面から指摘があったように、迫れば迫るほど、見えなくなるような気がする。

夕方から、本を買いに、天満橋の本屋へ行った。
目的の本を買い、コーヒーを飲みながら、しばらく読書に浸ろうとした。
だが、隣の席にいたよく喋る20-30代と思しき女性連れの話し声が大きく、音楽まで口ずさんだり拍子をとるため、集中力が維持できず、早々にコーヒーを飲んで退散した。
寝る前になって、本の置き場所に困り、机の上の棚を整理していると、玉突き式にだんだんと大規模になり、収拾が付かなくなりとりあえず、適当にストップしたが、寝るのが1時になった。
機会を見て、大規模な整理整頓をする必要がありそうだ。

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昨日記130106日(9/0晴 講演会まとめ 市立中央図書館)

2013年01月07日 17時00分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、午前中昨日記で一昨日の講演会の講演会のまとめを試みた。
講演会で、特に興味のあった哲学からの視点を述べられた鷲田氏の話をメモしていた。
その前の新宮氏の話もメモしていたが、精神分析のラカンからの視点で話され、「構造に横切られた感覚」の説明は理解できなかった。
建畠氏の話も、草間彌生の話はよく分かったが、それ以外私の勉強不足で分からなかった。

哲学からの問いかけは、私にとって非常に刺激的で得るものが多かった。
特に、20世紀の現代美術の方向性についての分析は、哲学者らしく非常に斬新・的確で説得力があり面白かった。
現実に、純粋芸術のミニマル等では、何も描かないという傾向も見かける。
この分析を新しい視点として本にして見せてほしいと思った。
ただ、記号論的視点から見ると、芸術は又違った様相を見せるだろう。
思想、哲学には、自然科学のような絶対は、ありえない。

精神分析にしても、様々な問いかけが行われているし、最近の脳科学の発達により、精神分析と欝や統合失調の脳に起因する病理の研究も進んでいて、治療の有効性も問われることになるだろう。
現実に、うつの一部では、脳に起因する原因が解明され、薬物等の治療も進んでいると聞く。

午後も昨日記で講演会のまとめを行っていたが、図書館で本を借りたかったので、昨日記を途中で切り上げ、大阪市立中央図書館に行った。
そこで考古学関連の本と、一昨日の講演会で話のあったラカンの解説書とを借りた。
帰りに、いつものファストフードでお茶を飲みながら、早速ラカン関係の本を読んだ。
分量のある本なので、少し時間はかかりそうだ。
ラカンと精神分析と組織の問題が解説されていた。
フロイトの精神分析もいろいろ批判があり、当然その後継者と自負するラカンも同じだが、やはり徒弟制度のような形でないと正確な診断が下せないというのは、自然科学的な観点から言うと疑問に思う。
ある意味、きわめて文学的かもしれない。
文学的ということは、主観的もしくは恣意的になりやすいということだ。
精神分析では、まさに、小さな兆候を加工、拡大、誇張、して解釈する。
生の芸術は、解釈するほどもつれるという、鷲田氏の指摘は鋭い。
鷲田氏はそれをセレンディピティとして評価または批判しているのかもしれないと感じた。(どちらとも取れる。)

帰宅後は、残りのまとめを書きあげ、その後プールで初泳ぎを楽しんだ。
よくすいていたので、5-600mほどクロールでゆっくり泳いだ。
家に戻ってからは、大河ドラマを見ながら食事をした。
平清盛は話題性を狙い、大物歌手等も起用したが、過剰な演技や演出に加え、話がどろどろして愛憎劇が多く、なじめなかった。
今回の「八重の桜」は、初回を見る限り好感が持てそうだ。



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「精神分析・哲学・美術からの問いかけ」の講演会の続き。

2013年01月06日 22時22分51秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
マルクス、ニーチェ、フロイトの哲学の影響を受けた現代美術は、次の3つの流れに分かれるという。
即ち
生(なま)の芸術    アールブリュット  ソバージュ  メルロポンティやレヴィストロースらが注目した。
純粋芸術    ミニマル フォルマリズム
不純芸術    デュシャン等

生について
精神分析は、翻訳でしか理解できない。
記憶の本質は分からない。:特にトラウマ体験では歪曲変形が入り嘘が入るため、元の形は不明で、痕跡を通じて生(なま)に迫る。
生(なま)の芸術は、解釈すればする程もつれる。
本当の無意識は復元不可能。
意識の存在のため自分を「かいしゅう」できない。
セレンディピティ(わずかな兆候から本質・実態を知る:例真贋鑑定や精神分析等)の知力が精神分析にある。
それでも、生(なま)に迫るほど加工・圧縮・歪曲・誇張が入り込む。

20世紀美術は自己同一性を解体しているという。
表現は、純粋と不純に別れ、純粋はミニマルであり人格喪失といえる。不純は何でもありで多重人格といえる。
人は、ユニット的存在(均質的・ミニマル)とかけがいのない個性を持った個人(個性的・ユニーク・無限に増殖)がある。
人間に関しては、この二つの問題が常に存在する。
群衆には、人格喪失への誘惑(埋没)や、自己喪失(エクスタシー)存在する。

20世紀の巨匠は顔に拘泥した。
キリコ(顔の消滅)、ベーコン(顔が歪む)、キリコ(顔がない)、アンリ・ルソー(ステレオタイプの顔)、ウォーホール(プリント化されたスターの顔)
顔は造形を見るのではなく、想像することが芸術に関係しているのではないか。


建畠氏の話は、草間彌生の作品を中心に話されたが、映像に気をとられ、メモを取っていなかった。


(上記講演会の概要は、私用に参考程度にメモしたもので、勘違いや記憶違いの多くある可能性がありますので、決して引用等はしないでください。
各講演者の持論言説については、各氏の著書を参照してください。
前半部分は「昨日記130105」参照)

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昨日記130105土(6/0晴 講演会「精神分析・哲学・美術からの問いかけ」)

2013年01月06日 15時06分18秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、中ノ島の中央公会堂で行われた、「精神分析・哲学・美術からの問いかけ」の講演会に出かけた。
講師は、新宮一成、鷲田清一、建畠哲であった。
1時から5時半までの長丁場だった。

出かけたのは12時前で淀屋橋のファストフードでハンバーグを大急ぎで胃袋に詰め込んで、ぎりぎり開演時間に間に合った。
主催は、行くまで知らなかったが,京都大学大学院人間・環境学研究科の主催だ。
しかも、事前申し込み制だったが、当日受付もありそこで手続きをして入場できた。
会場は、満員だった。

精神分析からの視点による話は、始めのほうは良く分かったが、「構造に横切られた感覚」については理解できなかった。
精神分析については、フロイト含めいろいろ読んで理解しているつもりだったが、ラカンの思想について読んでいないせいもあるのかとも考えた、とにかく勉強不足による理解不足だろう。
ただ、フロイト的分析手法に、さまざまな意見があることも承知しているし、記号論的視点から見るとパラダイムが違うので見えないのかもしれない。
全体像はつかめなかったが、Now here の発想や、、繰り返し・起源と無限―メビウスの輪・クラインの壷、視点の移動・他者の視点で達成といった、キーワードが印象に残りパーツについては理解できたが、その断片の中に講演の要旨の一部が含まれるのであろう。(途中で寝たせいもあるが、)

哲学からの視点は、分かりやすく非常に面白かった。
多様性がすべてのものに、認められるのに、同一人物の人格の多様性は認められないことに疑問を持っているという。(多重人格になる。)(ユニティー・・ユニークとユニット)
この視点から、20世紀の芸術派(美術のみでなく音楽他すべての芸術に該当)は、同一性の解体、即ち芸術の自己解体にあるのではないかという。
音楽であれ、美術であれ、同じ芸術の中に、正反対のベクトルがあるといい、それは純粋への道と不純への道であるという。
具体的には、美術で言えば、作品そのもので完結するのが純粋であり、それは究極的には表現しないところまでたどり着くという。(抽象画、ミニマル、フォルマリズム・・・)
周囲を巻き込むものは不純であるという。(オブジェ、ジャンクアート、ディユシャン<ダダ>)
ピュアーは人格であり、ノンピュアーは人格喪失や多重人格であるという。
19世紀の哲学者で、マルクス、ニーチェ、フロイトが後世に影響を与えたが、彼らに共通なことは外に根拠を置いているということだという。(外輪山の外)
外出したいが、まだ時間がかかりそうなので続きは、夜に帰宅後。
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昨日記130104金(5/0晴  低温 講演会の予備知識補充)

2013年01月05日 11時44分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は冷え込んだ。
室温も朝は6度台だった。

昨日も家ではTVを見て過ごした。
スーパーに、今年初めて食材の買出しに出かけた。
寒かった。
多くの人が、食材の買物に来ていて、普段見かけない夫を含む家族ずれの買物が多かった。
夕方から、いつもの気分転換でお茶を飲みに行く。
昨日は、今日の講演会に備え、1997年に番組を見て大きな影響を受けた鷲田氏のNHK人間大学での「人はなぜ服を着るのか」のテキストを持って行って呼んだ。
テキストのいたるところに囲みやラインが引いてあったが、ほとんど忘れていた。
1時間半ばかりで、半分程度しか読めなかったが、読むとその当時の話が思い起こされ、デザイナー達の仕事が紹介された映像もよみがえってきた。
これから残り半分も、講演会の後読もうと思う。
これから、図書館に本を返却してから、中ノ島公会堂へ行こうと思うが、昼食がとれるか微妙だ。
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