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小児麻痺幼少時の思い出と、うろ覚えの知識・プロパガンダ(追)

2013年01月27日 22時31分04秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
両親から聞いた話では、私は、2歳ぐらいの頃小児麻痺にかかったという。
当然のことであるが、小学校の体育の成績はいつも1であった。
今の私からすると想像できない。

体操が出来ないからといって、いじめられたことはなかった。
1-2年生の頃は、同じクラスに車椅子で通う小児麻痺にかかった友達がいたのを覚えている。
小学校5-6年生のとき、男子は数組が集まっての合同体操があり、跳び箱や鉄棒やマットをすべてのクラスが合同でしていた。
そのときは、5-10人の班単位で各種目の運動に取り組み、一人でも出来ない班は全員残され、できるまでやらされた。
このような状態で、私は口では「小児麻痺のため運動神経が鈍いんや」といいながら、内心悲しくもなく、皆から発達が遅れて当たり前と思っていたし、皆も居残りにつき合わされても、文句を言わないどころか、跳び箱を飛ぶときのコツとか、アドバイスしてくれた。
当然私も皆に迷惑かけないよう必死でやり、目標をクリアした。
すると、次回には、目標を全員目標を引き上げられるという調子で、いつも皆に迷惑をかける体操が嫌だった。
私の班は、他の班といつも居残りのラストを競い合っていたが、私は皆にいつもお詫びを言っていたが、友達は「出来たやん」とほめてくれた。
しかし結果的には、それが私の体力の向上に大きく役立ったようだ。

中学生以降は、徐々に体力も人並みになったが、短距離や球技は人並みにはなれなかったが、腕相撲は強かった。
小学生以前のときは、余り覚えていないが、子供達で近所の少し年上のお姉さんに連れられ、皆で近くの田んぼ(幼児時代<1950年前後>は、まだ我が家の少し北側は一面の田んぼで、人糞を使っていて土壷もあり、はまったこともあった。)に行くときは、私が遅いので、いつも待ってくれたのを思い出す。
いつの頃かは分からないが、隣の一歳年下の子が長屋の前の20センチ足らずの排水溝を渡ってくるのに、私は這って渡ったのを覚えている。
治療のため、家から500m程のところにあった、市立の小児医療センターに通っていたという。
私が治療を受けるとき、脊髄に針を刺すらしいのだが、母親も子供が泣き叫ぶので、その場を追い出されるが、近所のおばさんが私のわめき声を聞いていたという話を聞いたことがある。
父母からいつも聴かされていたのは、堺の出島海岸に海水浴に行っていると、私が急に震えだし風邪のようになり、家に戻って数日後ダランとして全身動かなくなったという。
その後、診断が確定してからも、病院以外、針やあんま等いろいろ治療を受けたという。
長い間寝たきりであったが、徐々に回復し、私が物心付いたころには、不十分ながら立ったり歩けたりするようになったらしい。
その意味で、亡くなった父母や叔父さんには、今も強く感謝している。
これが、私の小児麻痺の思い出である。(これはうろおぼえの話ではありません。)


ところで、ある飲会でそんな話の断片をすると、ある人が「その頃は小児麻痺はやったんや、そのときに開発されたんが、ポリオワクチンや。あんたそれ使うて治ったんや。」とその人はのたまう。
一瞬、「ポリオワクチンって最近じゃないですか。」と聞き返すと、「そのとき開発されたんや」と自信ありげにいうので、そうかなと矛を収めた。
しかし、調べてみると、私が思っていたとおり、ポリオワクチンは1960年代の話だった。
一旦発症するとポリオの治療法は現在も無いと言う。
厄介なことに、治ってからもポストポリオ症候群になる可能性もたまにあるという。
一時期、筋肉痛をPPSではないかと疑って心配したことがあるが、その心配は取り越し苦労であった。

ここで、飲んだ上での話とはいえ、よく考えると当たり前であるが、人の話をすべて信じていい人と、悪気は無いが往々にして早とちりしやすい人がいることに気が付いた。
人をしっかりと見分ける能力も必要なことを感じた。
人を見分けるには、時間がかかる。
ある程度の時間、その人の言う事や書いていることを取り込み、その内容が正確かどうか検証することが必要である。
仲がいいと信じやすいが、仲のいい人で、悪意を隠している場合も多い。
実際、今までに、その人のいるところや関係者の前では、その人にとっていいことをいい、別の人たちには、散々悪口や非難している人を何人も見てきた。
無論勘違いやうろ覚えで、誤ったことを堂々と述べる人もいる。
そういう場合はすぐにわかるし、話の内容は利害は関係していないことがほとんどだ。
利害関係のある話で、誤った内容を話す場合は、勘違いやうろ覚えでなく、確信犯的な場合が多い。
間違った話をして、冗談やったという人は要注意だ。
プロパガンダが目的で、逆の事実や不利なことを隠して、いいことだけを話す人も要注意だ。
政治的プロパガンダ(政治も含むあらゆる広告宣伝)を言う人は、いつも一貫して同じことを言うので、周りの人は気付き飽きられるが、誰も面と向かって、その話前にも聞いたとは言わないので、本人は気付いていないことが多い。
それに、プロパガンダには、嘘でも多くの人が同調したり、繰り返し言っていると本当の話のようになるという事実は多く経験していて、政治や営業や、人をだますしたり貶める場合に使用されている。(誇大宣伝、政策、誹謗中傷・・)
同様のことは、報道でもあり、マスコミですら無罪の人を、極悪人のように書き立てたことも何度もある。
正確でない話を真実らしく話したり書いたりすることが積み重なると、人でも組織でも信頼を失う。




うろ覚えの話の前置きで私的小児麻痺の話が長くなり、後半に、肝心のうろ覚えや不正確な話についても書きましたが、本来分けて書くべきだったのかもしれないけれど、このままにします。
私自身、過去に人に話するときに、何度もうろ覚えの知識を語ったり書いた事もあり、後で後悔したことがあります。
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