散歩者goo 

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昨日記130109水(10/3晴 プール)

2013年01月10日 11時48分23秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、プールに行った。
一昨日8.6km程走ったので、疲労がどの程度か気になったが、疲れはそれほどでもなかったようだ。
軽く体をほぐす感じで、5-600m程泳ぐ。

プールは、子供水泳教室で大賑わいだ。
4-6グループに別れ幼稚園から、小学校3年生程度までの子供達を教えていた。
母親達は、2階の窓からわが子の姿を追っている。

子供達の行動を見ていると面白い。
女の子は、行儀よく先生の指示に従っているが、男の子はプールの端で、休憩中はよくふざけて遊んだり暴れている。
例えば、男の子は練習でゴールに着く直前の子の頭をめがけボードで叩いたり、沈めあったりして、お互いじゃれあっている。
先生も、注意しない。(多分注意してもきりがないのだろう。)
風呂に行ったときでも感じていたが、幼い時から男性と女性の行動の差はかなり違う。
男の子は、好奇心旺盛で、動き回り、いたずらを好みある意味暴力的だが、女の子は、身の回りのもので遊び、おとなしく、会話していることが多い。

子供の行動と、今読んでいるラカンの学説の、鏡像と乳児からの成長の関係とは違うが、幼児の発達に関連する問題で面白いと思った。
本を読んでいて、ラカンの言う母親と幼児のときの鏡像と自我の間の成長の過程の説明には、疑問を持っている。
脳科学的に考えたらどうなのだろうとか、パブロフ的な条件反射と愛情との関係とか、類人猿との行動の差とか、自然科学や他の心理学も含めて総合的に考察することで、その学説が正しければ、様々な事象が矛盾なく説明できるであろう。
第一、乳幼児が、鏡像の元になる親の行動の流れを観察記憶する能力があるのかとか、周辺状況を目視でどれだけ認識力出来るのだろうか。
多くの事実と比べ、矛盾があれば、又分析者により考え方が違えば、その学説は正しくないかもしれない。
科学は、何度繰り返しても正しく再現できる必要がある。(ただし、観察者のデーターが読み間違っていれば正しい答えは出ない)

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