教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

用水路の子犬、近世日本における「科学」

2007年02月28日 19時19分08秒 | 教育研究メモ
 タイトルが2つのテーマで構成されていますが、今日起こったことという以外に関係はありません(笑)。
 今朝、妙な鳴き声で目が覚める。ウチのベランダ側にある用水路に、子犬が「また」落ちて、上がれなくなったらしい。様子を見にいくと、以前の子犬より結構大きいかな。以前の事件の顛末はこちら救出編事後編)に書いたのですが、もうあれから1年半前になるのですね。今回は、目が合うと吠えられたので(助けてやろうかなと思って見たのに…)、素手で助けなければならない私では、以前とは違って、ヘタをすれば噛まれるかもしれないなと感じました。もう午前7時を過ぎて明るくなっていたし、それほど寒くはないし、結構走り回っていたので、誰かが気づくか自力で上がれる場所を見つけるだろうと思い、助けるのはやめました。いつの間にか鳴き声が聞こえなくなったので、何とかなったのだろうと思います。しかしまぁ、用水路に落ちた子犬に二度も起こされるとは(苦笑)。
 今日は、中村邦光・板倉聖宣『日本における近代科学の形成過程』(多賀出版、2001年)を読み切り。内容は、近世日本における科学的概念の形成過程を明らかにしたものです。論じていない通史的内容に多分に依拠した結論や、仮説的な結論がちょっと多くて、読後感はいまいち納得いかない感じです。現代における科学の概念や数値にどれだけ近いかという観点から、近世日本の概念や数値を分析している部分には、ちょっと違和感を感じました。ただ、「近世日本における科学的数値の精度が時を経るに従って改善されていったとはいえない」という結論や、「西洋近代科学における自然認識と近世日本に在来した自然認識との間には類似点・共通点があったが、明治以降の日本における近代科学の形成は、両者の「折衷・融合」ではなく「徹底的な模倣」の形をとったからこそ可能となった」という結論や、「科学的概念・数値の発展・停滞と和算家の流派や出自などとの関係性の追求」といった問題意識などは、興味深く読ませてもらいました。
 また、小林傅司・中山伸樹・中島秀人編『科学とは何だろうか-科学観の転換』(科学見直し叢書4、木鐸社、1991年)もざっと読みました。教育学史研究を本格的にやるようになったら参考になる内容だろうけど、今はまだその時期ではないかな。ただ、内容が理解できないわけではなく、むしろスイスイ読めるようになっていることに少し驚く。科学史や科学哲学について、昨年から今まで勉強してきたことが、そこそこ身に付いているようでうれしい。わかりやすい本なので、また時間があるときに読みたい。
 あと、読書しながら、某学会への再投稿論文について考えました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする