数年前からゼミ生や周囲の方々と議論してきたことや、2月からこのブログで議論してきたことを踏まえて、今考えていることをまとめました。まだ不十分な状態ですが、お礼に代えてお披露目します。
(この記事にいただいたコメントが素晴らしく、本文のいう教師の教育研究の具体例を示してくれますので、ぜひ合わせてご覧ください)
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今後の教師・保育者には研究能力が必要である。今の現場ではチームで教育・保育することが求められている。教師・保育者以外の職種もチームに加わる。その中で教師・保育者はどのような役割を果たすべきか。個別指導や補習なら学習ボランティアや支援員、受験学力の形成や単純な知識一斉伝達なら塾講師(近年、学習塾と連携する公立学校も増えている)、部活動やスポーツ・文化活動指導なら部活動指導員、障がい支援なら言語聴覚士や特別支援コーディネーター、福祉の必要な子どもの支援ならスクールソーシャルワーカー、心理的支援ならスクールカウンセラー、地域住民や外部組織との連携なら地域連携コーディネーターなどとの分担が可能である。このような役割分担を前提にしたとき、教師・保育者の専門性はどこにあるべきか。授業や生徒指導こそ教師の専門的役割と考えることに異論はないが、すべての場面での授業や生徒指導が教師しかできないわけでもない。中でも知識技能の一斉伝達や個別対応は、上記の通り、教師よりも巧みな者は存在する。加えて、AI技術の発展にともなって個別最適化学習が軌道に乗れば、それこそ機械に代替されてしまう仕事である。
私は、これからの教師・保育者には教育・保育を自分たちでデザインし、それをマネジメントする力が必要だと思っている。すなわち、教育課程の編成能力、カリキュラム・マネジメントの力である。国や自治体の教育目的・方針をふまえて学校・園の教育目標を立て、一回一回の授業や教育活動を教科・領域横断的に組み合わせ、指導要領・教科書や単元・教材、児童生徒や人類・国・地域の課題を徹底的に分析考察して、人的・物的な資源(機械=AI・ICT機器も物的資源である)を効果的に活用できるように長期的な教育計画を組織する。教師・保育者がすべてを行うことを前提とせず、時には他職種やボランティア・支援員に任せ、子どもたちの観察と交流を十分に行って、教師・保育者が直接関わる効果的な場面を見計りながら教育・保育に当たる。このような教育課程・教育計画の編成と運営・実践を確かに進めて行くには、計画の立案時や途中の調査研究が重要である。カリキュラム・マネジメントには、継続的で適切かつ実践的な教育・保育研究が必要であり、計画が行き詰ったときには本質的・体系的な教育学研究を踏まえた根本的な再検討が必要になってくる。国や県がこう言っているからではなく、教育とは何か本質的に考え、自校の環境・児童生徒の実態に応じて適切な教育とは何か考えなければ、よりよいカリキュラムは生まれない。また、学校・園の働き方改革として、現在、教師・保育者の仕事の見直しが行われているが、その学校・園に必要な仕事は地域や子どもの実態、目標に応じて異なってしかるべきである。カリキュラム・マネジメントを前提としなければ、教育上必要な仕事を取捨選択することはできず、真の働き方改革はできない。カリキュラム・マネジメントには教育研究と教育学研究が両方必要である。つまり、今の教師・保育者にとって、これからの専門職のあり方を見極めるためにも、子ども達の教育をよくするためにも、働き方改革を進めるためにも、確かな研究能力が必要なのである。
私はマネジメントの本や外国の事例を踏まえて述べているのではない。かつての日本では、1940年代末から1950年代にかけて、コア・カリキュラム運動や地域教育計画という、地域に即したカリキュラムを教師たちが協同で作り出し、子どもたちを育てきた実績がある。コア・カリキュラム運動のリーダーの一人であった教育学者の梅根悟は、カリキュラムとは「その土地、そのあずかっている子どもたちに合うように創っていくべきもの」とし、「カリキュラムを作る責任者としての教師」の役割を強調した(梅根1949)。また、同時代に地域教育計画の指導をしていた教育学者の海後宗臣は、「教育者は教育内容編成の専門家として、市民と協力し、児童と共に学習を発展させながら学科課程をその社会から新しい姿のものとして編み上げるのである」と、教師を激励した(海後1947)。梅根・海後が発言した歴史的文脈とは異なるけれども、「カリキュラムを作る責任者」、そして「教育内容編成の専門家」としての教師は、今まさに、ふたたび必要となっている。研究なくしてカリキュラムをマネジメントすることはできず、今の学校・園が子どもたちのために改革されることはできない。教師・保育者は、自らの職責を果たすために、研究能力を身に付けなければならない。
研究は学者のやることだと思っている読者も少なからずいることだろう。しかし、教師・保育者は、研究を学者の独占的活動とみるべきでない。学校・園の研究の中心を担うべきは、外部から来た教育学や心理学などの学者ではない。学者たちは協力者やアドバイザーではあっても、その学校・園の教育・保育の責任者になることはできないのである。その学校・園の責任者代表は校長・園長であるが、実際の教育・保育を担っているのはその学校・園のチームであり、その中心にいるのはその学校・園の教師・保育者である。学校・園のカリキュラムをつくり、動かすための研究は、教師・保育者自身が中心になって責任をもって行わなければならない。これからの教師・保育者に必要な専門性の一つはカリキュラム・マネジメントの力であるが、その基礎には研究能力がなければならない。
[略]これからの教師・保育者の専門性を考える上で、カリキュラム・マネジメントの基礎として研究能力に注目するべきことを強調した。1回1回の授業改善はもとより、複数の授業・教育活動のまとまる単元・カリキュラムの改善を担うべきは、教師・保育者を中心とした学校・園のチームである。教師・保育者の長時間労働を分担や業務見直しで解消していこうという働き方改革の方向性に異論はないが、何のために、どのような計画でそれらを進めるかという視点がなければ、非常にあやうい。また、他職種やボランティアを含めたチームで教育・保育にあたる時、チームにいてもいなくてもいいような立場に教師・保育者が埋没するわけにはいかない。教師・保育者が自らの専門性を発揮し、自らの職責を果たし、子どもたちの教育環境をよりよくするために、その研究能力の伸長が望まれる。自分の実践を良くするためはもちろんだが、これからはチームの実践を良くするためにも、教師・保育者は研究能力をますます磨いてほしい。
<引用文献>
・梅根悟『コア・カリキュラム―生活学校の教育設計』光文社、1949年。(『梅根悟教育著作選集』第6巻、明治図書、1977年)
・海後宗臣「新しい学科課程の編成」『日本教育』第7巻第1号、1947年。(寺﨑昌男・斉藤利彦・越川求編『海後宗臣教育改革論集―カリキュラム・教育実践・歴史』東京書籍、2018年、74頁)
(この記事にいただいたコメントが素晴らしく、本文のいう教師の教育研究の具体例を示してくれますので、ぜひ合わせてご覧ください)
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今後の教師・保育者には研究能力が必要である。今の現場ではチームで教育・保育することが求められている。教師・保育者以外の職種もチームに加わる。その中で教師・保育者はどのような役割を果たすべきか。個別指導や補習なら学習ボランティアや支援員、受験学力の形成や単純な知識一斉伝達なら塾講師(近年、学習塾と連携する公立学校も増えている)、部活動やスポーツ・文化活動指導なら部活動指導員、障がい支援なら言語聴覚士や特別支援コーディネーター、福祉の必要な子どもの支援ならスクールソーシャルワーカー、心理的支援ならスクールカウンセラー、地域住民や外部組織との連携なら地域連携コーディネーターなどとの分担が可能である。このような役割分担を前提にしたとき、教師・保育者の専門性はどこにあるべきか。授業や生徒指導こそ教師の専門的役割と考えることに異論はないが、すべての場面での授業や生徒指導が教師しかできないわけでもない。中でも知識技能の一斉伝達や個別対応は、上記の通り、教師よりも巧みな者は存在する。加えて、AI技術の発展にともなって個別最適化学習が軌道に乗れば、それこそ機械に代替されてしまう仕事である。
私は、これからの教師・保育者には教育・保育を自分たちでデザインし、それをマネジメントする力が必要だと思っている。すなわち、教育課程の編成能力、カリキュラム・マネジメントの力である。国や自治体の教育目的・方針をふまえて学校・園の教育目標を立て、一回一回の授業や教育活動を教科・領域横断的に組み合わせ、指導要領・教科書や単元・教材、児童生徒や人類・国・地域の課題を徹底的に分析考察して、人的・物的な資源(機械=AI・ICT機器も物的資源である)を効果的に活用できるように長期的な教育計画を組織する。教師・保育者がすべてを行うことを前提とせず、時には他職種やボランティア・支援員に任せ、子どもたちの観察と交流を十分に行って、教師・保育者が直接関わる効果的な場面を見計りながら教育・保育に当たる。このような教育課程・教育計画の編成と運営・実践を確かに進めて行くには、計画の立案時や途中の調査研究が重要である。カリキュラム・マネジメントには、継続的で適切かつ実践的な教育・保育研究が必要であり、計画が行き詰ったときには本質的・体系的な教育学研究を踏まえた根本的な再検討が必要になってくる。国や県がこう言っているからではなく、教育とは何か本質的に考え、自校の環境・児童生徒の実態に応じて適切な教育とは何か考えなければ、よりよいカリキュラムは生まれない。また、学校・園の働き方改革として、現在、教師・保育者の仕事の見直しが行われているが、その学校・園に必要な仕事は地域や子どもの実態、目標に応じて異なってしかるべきである。カリキュラム・マネジメントを前提としなければ、教育上必要な仕事を取捨選択することはできず、真の働き方改革はできない。カリキュラム・マネジメントには教育研究と教育学研究が両方必要である。つまり、今の教師・保育者にとって、これからの専門職のあり方を見極めるためにも、子ども達の教育をよくするためにも、働き方改革を進めるためにも、確かな研究能力が必要なのである。
私はマネジメントの本や外国の事例を踏まえて述べているのではない。かつての日本では、1940年代末から1950年代にかけて、コア・カリキュラム運動や地域教育計画という、地域に即したカリキュラムを教師たちが協同で作り出し、子どもたちを育てきた実績がある。コア・カリキュラム運動のリーダーの一人であった教育学者の梅根悟は、カリキュラムとは「その土地、そのあずかっている子どもたちに合うように創っていくべきもの」とし、「カリキュラムを作る責任者としての教師」の役割を強調した(梅根1949)。また、同時代に地域教育計画の指導をしていた教育学者の海後宗臣は、「教育者は教育内容編成の専門家として、市民と協力し、児童と共に学習を発展させながら学科課程をその社会から新しい姿のものとして編み上げるのである」と、教師を激励した(海後1947)。梅根・海後が発言した歴史的文脈とは異なるけれども、「カリキュラムを作る責任者」、そして「教育内容編成の専門家」としての教師は、今まさに、ふたたび必要となっている。研究なくしてカリキュラムをマネジメントすることはできず、今の学校・園が子どもたちのために改革されることはできない。教師・保育者は、自らの職責を果たすために、研究能力を身に付けなければならない。
研究は学者のやることだと思っている読者も少なからずいることだろう。しかし、教師・保育者は、研究を学者の独占的活動とみるべきでない。学校・園の研究の中心を担うべきは、外部から来た教育学や心理学などの学者ではない。学者たちは協力者やアドバイザーではあっても、その学校・園の教育・保育の責任者になることはできないのである。その学校・園の責任者代表は校長・園長であるが、実際の教育・保育を担っているのはその学校・園のチームであり、その中心にいるのはその学校・園の教師・保育者である。学校・園のカリキュラムをつくり、動かすための研究は、教師・保育者自身が中心になって責任をもって行わなければならない。これからの教師・保育者に必要な専門性の一つはカリキュラム・マネジメントの力であるが、その基礎には研究能力がなければならない。
[略]これからの教師・保育者の専門性を考える上で、カリキュラム・マネジメントの基礎として研究能力に注目するべきことを強調した。1回1回の授業改善はもとより、複数の授業・教育活動のまとまる単元・カリキュラムの改善を担うべきは、教師・保育者を中心とした学校・園のチームである。教師・保育者の長時間労働を分担や業務見直しで解消していこうという働き方改革の方向性に異論はないが、何のために、どのような計画でそれらを進めるかという視点がなければ、非常にあやうい。また、他職種やボランティアを含めたチームで教育・保育にあたる時、チームにいてもいなくてもいいような立場に教師・保育者が埋没するわけにはいかない。教師・保育者が自らの専門性を発揮し、自らの職責を果たし、子どもたちの教育環境をよりよくするために、その研究能力の伸長が望まれる。自分の実践を良くするためはもちろんだが、これからはチームの実践を良くするためにも、教師・保育者は研究能力をますます磨いてほしい。
<引用文献>
・梅根悟『コア・カリキュラム―生活学校の教育設計』光文社、1949年。(『梅根悟教育著作選集』第6巻、明治図書、1977年)
・海後宗臣「新しい学科課程の編成」『日本教育』第7巻第1号、1947年。(寺﨑昌男・斉藤利彦・越川求編『海後宗臣教育改革論集―カリキュラム・教育実践・歴史』東京書籍、2018年、74頁)
作って遊ぼうの浅野です。またコメントさせていただきます。公教育の歴史を踏まえての未来の教育の方向性ということだと受け取りました。
現実問題としては白石様の認識より進んでいるのにと感想を抱いてしまいました。
まず自身のことを書かせてもらうと、授業をするとき研究なくしては授業できませんでしたから、事前に学習指導要領の教科の解説書を読み教科書とその指導書を見て本日の授業を組み立てて授業に臨みます。若いときには生徒の実態は良くわからずやってみることが大切でした。段々生徒一人ひとりの状況が見えてきて改善点が明らかになってきて改善に努めました。
次はもっと積極的に中一は〔楽しい授業〕中二は〔わかる授業〕中三は〔できる授業〕というわけです。
その次は〔一人ひとりに「学び」のある授業〕です。
レディネステスト、授業の最後に「今日のまとめ」をして次時に5分間テストをしました。
若いときからずーと続けて来たのが、モニターの生徒を作ることでした。生徒本人は自分がモニターということは知りません。生徒全員がモニターになることもあります。要は「今日の授業はどうだった。」と授業が終わってから質問するのです。「⚪⚪が楽しかった。」「⚪⚪の実験は××でしたよ。」「⚪⚪は△△したらどうでしょう。」なんて感想を応えてくれます。「わかった。参考にするね。」なんて返します。モニターで一番参考になったのが評価の低かった生徒でした。その子に「⚪⚪が楽しかった。」「⚪⚪が難しかった。」など言ってもらうと改善点が明確になります。「わかった、参考になるな~。」と返します。繰り返していくと呼び止めなくても感想を述べに来てくれた生徒もいます。
グループ研究では30歳になったころ小中教師の有志で〔理科サークル〕を作りました。50代の校長先生に指導者をお願いして、私が中学校チーフ、J先生が小学校のチーフです。全員で15人ほどでした。月に2回ほど夜8時~10時集まって勉強しました。それぞれの研究テーマを持ち寄って検討しました。担当教師が指導案という形にして持ってきます。それをより良いものにしていきます。一番勉強になったのがテーマを決めて指導案を持ち寄ることでした。指導者の校長先生の指導案を見たとき、児童の姿が見えるほどの記述でした。
私が40代になったとき行政にいったり管理職になったりするんですが、そのときから若い教師を指導する立場になりました。そのときによく指導したのが教師としての研究とはということです。一般の研究は公教育にはありません。実践研究です。自分の授業が間違っていればすぐ改めること。必ず成果をあげなければなりません。仮説―評価の研究であれば仮説が正しいとわかっていれば続けてもいいがダメだと思ったら仮説修正を必ず求めました。教育論文の審査もたくさんしましたがそこを踏まえていない内容もたくさんありました。よく話をしたのが〔シナリオと俳優〕です。より良いシナリオでも演技が今一つではいい演劇とはいえません。指導案が良くできていても授業のときのあなたの姿がどうなのかです。
いっぱい書きましたが以上です。参考になったかわかりませんが。「現場の先生も頑張ってやっていますよ!」というところです。他にも学級経営研究や学校経営研究も実践してきました。別の機会がありましたら、、、、。
学校と生徒のことを書き忘れていました。
まず学校
校長をしているとき「本校の課題は何ですか、それの解決に向かってみんなで取り組みましょう。こんな指定研究があります。どうせ取り組みますから支援を受けて取り組みましょう。お金も使えます。」と言って毎年指定研究をしてきました。そこで生徒が育ち先生が育ってきました。
生徒のこと
自由研究に取り組んできました。個人の研究もですが、特にグループ研究です。するしないは自由です。しかしプラス評価として通知表に反映されます。研究後は授業の中で発表会をします。後日私から展示物を前にして理由をつけて評価します。学級別での自由研究もしました。学年での自由研究もしました。学級では1組は川の石、2組は川の流れ、3組は河口の流れという風に、夏休み前の理科の授業で話し合って準備しました。学年ではいつもその地域の気候について取り組みました。みんなが温度計を持って帰り、夏休み期間中定時に気温を測定します。朝7時、夕6時の2回です。晴れた日の1日は2時間おきに終日記録します。つまり寝ることなく測定します。私の提案で取り組んでもらいますが、そこには色々なドラマがありました。協力もありますし失敗もあります。兄弟や家族の応援も欠かせません。データのまとめは生徒の希望で10人ほど集まってもらいます。どの回も得られたデータは校区各地の気候を表したものが得られます。海岸部、山奥部、谷部、平野部、北(東南西)向の斜面などに分けられます。これまで誰も研究していない真理を自分達で知ることができたことを誉めます。
理科の成績なんて関係なく自分の力で自分達の力で取り組んでくれます。
私が指導主事になって学校を離れたあと、その学校で⚪⚪中学校女子バレーボール部という団体で地元の海岸の化石を研究したものがありました。バレー部の顧問の先生に話を聞いたら「毎日バレーの練習に集まるので練習が終わったら化石採集と自由研究に取り組んでいました。」ということでした。地区で最優秀賞、県で優良賞だったと思います。
その数年後でしたが短大生から声をかけられて「理科は成績は悪かったですが、自由研究が好きでした。誉めてもらって自分にもできることがわかって嬉しかったです。」と言ってくれました。
長々とまた書いてしまいました。すみません。こんな教師もいたんだと思ってもらえたらいいかな。
私の専門は、教師たちの組織的な教育研究活動の歴史でして、明治期から昭和60年代頃までの教育団体や研究会の史料にあたってきましたので、先生方の研究の歴史が山ほどの蓄積を持っていることは承知しているつもりです。同時に、いつでも・どこでもは「当たり前でないこと」「一様でないこと」も知っております。例に挙げたコアカリや地域教育計画を実施できた地域も、土地の先生方が研究に励まれたことが勝因でした。今回の文章には、そのあたりのことに配慮がうかがえない文面になっていたことを反省しました。
私の科目では、学び研究し続ける教師の歴史について1コマ分教えております。学生たちも、その歴史を知ることで奮い立つようで、「研究する教師たち」の思いは伝わっているように思います。そのあと現場に出して、引き続き、浅野先生のような方々が後継者を導いてくださればよいのですが、なかなかそうもいかないらしい、ということばかり聞いておりましたので……全国的には研究に対する形式的な姿勢も増えている(もともと一定数いた?)ようです。押し付け・やらされ仕事だと思っているところもあるようで、教師の多忙化がそれに拍車をかけているように感じていました。先生のおっしゃる自発的な研究団体やサークルの場合は、そんなこともないはずですがね。研修歴をカウントするなら、そういう自発的な経験こそ大事にすべきとかねがね思っています。
働き方改革もなかなか進まない、または迷走する地域・学校もあるようです。私の卒業生の中からも嘆く声をしばしば聞きます。その当たりが私も危惧しているところで、執筆のモチベーションの一つでした。
入学したばかりの学生たちは、先生方の研究活動や裏の努力については何も知りませんし、実習や若手時代も運が悪ければそういう様子に出会えないこともあります。また、そもそもそういうことに対する感度が研ぎ澄まされていなければ、機会があっても見逃しかねません。出会いの機会づくりを今後も心がけていきたいです。
その他で追記されたことも、とても関心があります! 貴重なご経験、またお聞かせいただければ、参考になります。
うれしいお話でしたので、長文になってしまいました。失礼しました。
校長や管理職の研究的なリーダーシップ、やはり大事だなと改めて実感しました。先生のような方々が今後も続いて欲しいです。このような教師文化を支え励ましたい、その一心。教育政策形成の現場にも届いて欲しいです。