教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

表現される可能性のあった文章

2007年02月16日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日は、鈴木直『輸入学問の功罪-この翻訳わかりますか?』(ちくま新書、筑摩書房、2007年)を読み切り。第四章「ジャーナリズムとアカデミズムの乖離」の論証が他の章に比べて強引だなぁと思い違和感を感じた以外は、かなり興味深く読ませてもらいました。わかりにくい翻訳が存在する背景には、ドイツをモデルとした日本の近代化の問題と、身分社会から離脱した市民社会の問題を引き受けてしまった結果生じた、アカデミズムと一般読者の断絶があったという結論は「なるほど」と思わされます。また、原文と一語一句対応の翻訳スタイルを変えていく論理として、次のような論理が示されていたのには感銘を受けました。執筆者が文献の中で実際に書いた原文は、執筆者が言いたいことを説明するにあたって、たくさんあった(あり得た)文章の候補の中から選ばれた文章の一つにすぎない。したがって、執筆者が言いたいことを伝えるための文章は、文献に書かれた原文が唯一ではない。もちろん執筆者の意図を誤認・歪曲することは問題外であるが、翻訳者は、原文の一字一句に忠実である必要はないというのです。
 さて、今日は広島市内で教育学教室の卒業生・修了生を送る会。深く関わりを持てた後輩たちはあまり居ませんが、何にしても後輩たちの卒業・修了を祝いたいので参加しました。送る会は、「ここを卒業・修了するんだ/したんだ」ということを内面化する儀式であり、同窓の者の関係を深める大事な機会です。異論はあるでしょうが、私はこういう会は大事だと思っています。
 さて、最後に教育基本法のお勉強。

  【第10~11条】
○旧教育基本法
 (該当条文なし)
○新教育基本法第10条(家庭教育)
 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
 2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。
○新教育基本法第11条(幼児期の教育)
 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、用事の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。

 旧法では、家庭教育については第7条(社会教育)において、社会教育の一部に位置づけられていた。新法では幼児教育とともに家庭教育について独立した条文が定められ、新法第10条では家庭教育について、新法第11条では幼児期の教育について定められた。旧法では家庭教育第10条では、父母・保護者の子の教育に対する責任、家庭教育の基本的な内容、国・地方公共団体の家庭教育に対する姿勢・支援が定められた。第11条では、幼児教育の基本的性格と、国・地方公共団体の幼児教育に対する姿勢・支援が定められた。
 ちなみに、子に対して父母・保護者が持つ「第一義的責任」とは何ぞや? 法律用語?
コメント
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