東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 東田布施方面の史跡巡りウォーキング(1/3)

2020年10月01日 | 歴史探訪他ウォーキング

 約半年ぶりの史跡巡りウォーキングでした。4月の光市冠梅園~大峰峠方面ウォーキング以来でした。いつもは下見ウォーキングしてから本番ウォーキングしますが、年内は、私があらかじめ一人で下見した史跡巡りコースをウォーキングします。そのため、今後10月11月の下見はありません。
 さて今回は、東田布施方面の史跡を巡るウォーキングでした。今回のウォーキングの特徴は、遮断機跡や専門学校跡などの昭和の痕跡、そして季節柄今しか見ることができないヒガンバナの里を訪ねました。

       八坂神社に着くと、腰を下ろして小休止


 10時に交流館に集合すると、のんびりと歩き始めました。最初に見たのは、庁舎前に建つ江良碧松の歌碑です。「飲んだ水、汗にして働く」の自由律俳句が彫られています。今は汗して働くことが少なくなりました。今は「飲んだ水、知恵にして働く」でしょうか。現代の主要労働は、肉体労働ではなくIT産業を代表とする知識労働が多くなりました。そのためか、小学校ではプログラミング教育が始まります。私も少年少女発明クラブでプログラミングに関わることがありますが、今後の労働環境の変革に戸惑います。

   交流館を出発      道端のお地蔵様      国森の古塚
  

 江良碧松の歌碑を見終わる、あいさつ橋近くのお地蔵様を訪ねました。このお地蔵様、私が子供の頃は道の中央に向かって安置されていましたが、今は歩道側に向かって安置されています。歩道が設置されたときに向きが変わったのでしょう。続いて、国森の古塚に向かいました。この周辺はすっかり変わりました。十字路では新しいドラッグスストアが建設中でした。年内に開店するようです。

   線路脇の昭和の遮断機跡        八坂神社の石階段を登る
 

 国森の古塚は、この田布施で戦いがあったことの名残ではないかと思います。それは鎌倉時代にあった戦いではないかと思います。承久の変と平家と源氏の戦いの頃です。田布施には首切り場や刑場などの場所や言い伝えが残っています。実際、討ち死にした大内家当主弟の大内弘直の石碑が町内にあります。続いて、古道を歩いて線路横断箇所にあった遮断機跡に向かいました。遮断機には斜めに上がるものと、並行に上がるものがありました。交通量が多い道は後者で、遮断機を上げ下げする係員が常駐していました。

   八坂神社        神社裏手の孝徳碑    御嶽教教会の鳥居
  

 続いて、八坂神社に向かいました。長い石階段を登りきると町内を一望できます。ここで小休止して水分を取りました。小休止を終えると、八坂神社裏にある幸徳碑を見学しました。大内公園を整備して桜を植えた方の碑です。この桜を冠して、今の東田布施小学校は一時「桜~小学校」と呼んでいました。今でも当時植樹した桜の大木があります。続いて、坂を下り御嶽教田布施支部協会の鳥居横を通り、長合に降りました。

       東田布施方面の史跡巡りウォーキングコース

コメント
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