東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

綿の種子をいただく

2016年12月15日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 現在、羊の原毛を使って毛糸を作っており、簡単な織物でも作ろうかと思っています。来年はさらに発展させて綿を栽培して糸を作ろうかと思っていました。そんな時、大波野に住んでいるOさんから綿の種子をいただきました。Oさんは、綿の栽培から、反物を織るまでの工程を一人でしているそうです。本当にありがとうございました。

      いただいた、三種類の綿の種子(右より洋綿,緑綿,和綿)


 江戸時代、田布施町では綿栽培,紡ぎ,布を作る産業がありました。綿産業が盛ん過ぎた弊害が記録として残されています。綿が不作の時、織物産業が痛手をうけたそうです。そのため、織物で生計をたてていた人が給金をもらえなかったとか。そのため、食べ物を買うことができず飢えたそうです。それほど、田布施では綿産業が盛んだったのです。

  くるくる回す紡錘車   糸紡ぎ器を使って作った糸   Oさんが紡いだ糸
  

 かつて使われた綿産業の道具が数多く郷土館に残されています。例えば、綿から種を外すための種取り器,糸紡ぎ器,かせくり器などです。さらに、古代も田布施は綿産業が盛んだったようです。古代の遺跡の中から、紡錘車が出てくるのです。紡錘車とは、くるくる回るコマのような糸紡ぎ器です。なお、綿ではなくからむしのような繊維だったかも知れませんが。

  〇の部分で紡ぐ、通称タヌキの糸車      紡いだ糸を整えるかせくり器
 

 となりの柳井市では、柳井縞として今に引き継がれています。郷土館に織機が一台残されていますが、使い方を知っている人はいません。この織機を直して、反物の一つでも織ってみたいものです。そのところについてなど、有志とOさんの家を訪ねてみようと思います。よろしくお願いいたします。私は、綿については全くの素人です。しかし、いつか田布施の子供達にその一端でも体験させる日がやって来ると良いなあと思っています。まずは、いただいた綿の種子を来年まいて、綿を作ってみようと思います。染色する野草もできれば育ててみたいと思っています。

           田布施町に残された、一台の傷んだ織機

コメント
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