錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『赤穂浪士』と『忠臣蔵』(その六)

2008-04-30 12:12:41 | 赤穂浪士・忠臣蔵
 小山田庄左衛門は、討入りに加わらず、「四十八人目の男」と呼ばれている。これは大佛次郎の命名であるが、いささか問題点がある。
 ちなみに、赤穂四十七士というが、実は、討入り当日に一人逃げ出している。いわば四十七人目の男だ。寺坂吉右衛門という足軽で、赤穂浪士の中では最も身分の低い者だったという。彼がいなくなった理由も時日も不明で、討入り直前という説と討入り後という説とがあるようだが、いずれにせよ、赤穂浪士が吉良上野介の首をとって引き上げる時には彼はすでに消えていた。だから、後日切腹もしなかったし、泉岳寺にも彼の墓はない。討入りをして本懐を遂げたのは、本当は四十六士である。
 それはともかく、もう一つ。
 「四十八人目」は、小山田ではなく、毛利小平太とするのが普通のようだ。森田草平は、夏目漱石の門下で、すでに忘れられた小説家の一人になってしまったが、彼は大佛次郎の新聞小説『赤穂浪士』に刺激されたのか、ほぼ同じ時期に『吉良家の人々』と『四十八人目』という二つの中編小説を書いている。先日私は神田の古本屋でたまたまこの本を見つけたので購入し、『四十八人目』の方を読んでみた。その中に小山田庄左衛門も少しだけ登場するが、主人公は毛利小平太である。この小説の内容は省略するが、通説の毛利小平太とは違った解釈で、隠し妻を登場させ、彼の悩める胸の内を連綿と描いていた。毛利小平太は、脱落者の中でも目立った人物なのでご存知の方も多いかと思う。が、小山田ほど悪し様に言われることはない。通説によると、彼は討入りの秘密を兄に打ち明けたため、諌められ、もしおまえが参加するならお上に通告すると言われて進退窮まり、討入りを断念する。毛利小平太は、大佛次郎も『赤穂浪士』の中で取り上げ、また、東映五周年記念作品『赤穂浪士』でも登場する。映画では片岡栄二郎が演じていた。
 さて、大佛次郎は、戦後になり、『赤穂浪士』を書いた二十三年後に、その中の小山田庄左衛門を主人公にして新聞小説を書いた。この小説は、1951年(昭和26年)4月から11月まで読売新聞に連載され、そのタイトルが『四十八人目の男』だった。大佛次郎は、よほど小山田という男に愛着があったのだろう。タイトルは、森田草平の小説の題名を借りたようだが、その辺の事情は分からない。それで、小山田という人物が戦後再び脚光を浴びた。私はこの本も古本屋で文庫本(徳間文庫)を見つけて購入し、目下読みかけである。ところで、この小説は単行本が発刊後すぐ、同じタイトルで映画化された。1952年の新東宝の作品で、監督は佐伯清、脚色には大佛次郎も加わっている。小山田をやったのは大谷友右衛門(現在の中村雀右衛門)で、恋人役は山根寿子、大石内蔵助が大河内伝次郎、吉良上野介が高堂国典だったとのこと。私はこの映画を観ていないが、観られるものなら観たいと思っている。

 くどいようだが、実際の小山田庄左衛門について最後にもう少しだけ補足しておきたい。赤穂浪士関連の本を何冊か読んで調べてみると、どれも小山田の記述はわずかだが、次のようなことが分かる。
 小山田庄左衛門が江戸の同志宅から逃亡したのは、元禄15年11月終わりか12月初め頃。討入りが、元禄15年(1702年)12月15日であるから、その二週間前である。この時小山田は数え年で25歳だったという。同志宅というのは、堀部安兵衛の借家のようだが、被害にあったのは片岡源五右衛門とも堀部安兵衛とも言われている。小山田は彼らの留守中、金五両(または三両)と小袖を盗んで逃げた。金品を盗んだのは事実のようだが、女と逃げたかどうかは、不明である。この頃小山田は身を持ち崩し、湯島天神下の湯屋の遊女に入れ込んでいたらしい。それで、女と逃げたということになったようだ。
 小山田庄左衛門という男は、苦労知らずのお坊ちゃんだったように私は思う。しかも独身で、それなりにイイ男だったのではあるまいか。浅野家が断絶する前、小山田は江戸詰めで100石の俸禄をもらっていた。20歳代にしては、相当な高給取りである。それは、老齢の父・十兵衛が隠居して、息子の庄左衛門に家督を譲ったからだ。十兵衛は、隠居して娘婿の家に住み、一閑(いっかん)と名乗っていた。厳格で一徹な父親だったらしい。彼が自害した時、81歳だったというから、庄左衛門は55歳の頃に出来た子である。母親のことは分からない。姉が一人いたことは確かだ。きっと家族みんなから跡継ぎとして大切に育てられたのだろう。こういうお坊ちゃんが、主君の刃傷事件でお家断絶、下屋敷の住居も引き払わされ、失業して浪人になってしまったのだから、身を持ち崩すのも無理はなかったと言えよう。(つづく)




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