錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

『武士道残酷物語』

2006-03-19 01:19:53 | 武士道残酷物語・仇討


 『武士道残酷物語』(昭和38年)は、今井正監督の問題作であり、錦之助のまさに鬼気迫る演技が見られるすさまじい映画であった。原作は南条範夫の「被虐の系譜」で、脚本は鈴木尚之と依田義賢。共演者は、男優陣が東野栄治郎、森雅之、木村功、加藤嘉、西村晃、女優陣が岸田今日子、有馬稲子、渡辺美佐子、丘さとみ、三田佳子といった錚々たる面々。
 とはいえ、いったいこの作品をどう評価したら良いのか、私は悩まざるをえない。好きかと尋ねられれば、私はあまり好きな映画ではないと答えるだろう。それが正直な気持ちだ。錦之助のからっとした明るさや、うっとりと見とれてしまう甘美な魅力を愛するファンにとってみれば、こうした映画に失望を感じるのは当然かもしれない。ここには錦之助が世話物を演じた時の心に滲みるような人情味もなければ、戦国武将を演じた時の剛毅さもなければ、殿様を演じた時の気品に満ちた寛大さもない。ただただ暗く、忍の一字を守り、主君に仕える下級武士や青年の絶望的な生き方が描き出されていく。

 「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは「葉隠」の言葉であるが、この映画は武士道精神の理不尽さと自己犠牲の愚かさを嫌というほど暴いている。今井正にかかれば、封建道徳は人間を縛る忌まわしい悪弊であり、それが時代を経て連綿と続き、近代から現代に至るまで日本人の生き方に染み付いていることになる。そのあたりの解釈には強引さを感じなくもないが、この作品は、言ってみれば武士道精神を称美する時代劇全般に投げつけた強烈な問題提起なのかもしれない。その意味では、時代劇を逆手に取った反時代劇映画でもあったと言えよう。

 『武士道残酷物語』で登場する錦之助は輝けるスター時代の彼ではない。まったく別人の錦之助である。では、これが錦之助の失敗作かと言えば、断じてそんなことはない。この映画はオムニバス形式で現代から過去に遡って七つの話が描かれるが、主役はすべて錦之助で、一人七役である。これはみな、この頃の脂の乗り切った錦之助でなければ、演じることのできない役ばかりだったと思う。三船敏郎は論外だとして、市川雷蔵でも到底できないし、仲代達矢ですら、これほど幅の広い役柄を完璧にこなすことは不可能だったに違いない。気の弱い若衆から腹の据わった古武士まで演じられるのは錦之助以外には考えられない。この映画で、錦之助は自らの役者魂を衆目の前にまざまざと見せつけた。そして、東映時代劇が衰退期を迎えた昭和30年代終わりに、錦之助は演技に開眼し、すでに自らの進むべき道を固めていたのだった。だから、この作品で錦之助がブルーリボンの主演男優賞をもらったのも当然の成り行きだった。また、ベルリン映画祭ではグランプリを受賞したが、それも確かにうなづける。

 この映画の見どころを挙げておこう。第一に、錦之助がなんと現代劇に登場する。これが珍しくまず目を引く。鬘もかぶらず、時代劇のメイクアップもしない素のままの錦之助が出てくるのだ。婚約までかわした恋人(三田佳子)に自殺未遂をされ、病院に駆けつけるところから話は始まるが、煮え切らない会社勤めの青年飯倉進を錦之助はそつなくこなしている。そこから、家に残されていた先祖達が綴った日誌を手がかりに、戦国期から江戸時代の封建社会に生きていた彼らの忌まわしい来歴が次々と明かされていく。
 そのなかでひときわ凄絶な挿話は、江戸時代天明期の第四話で、平穏無事に暮らしていた飯倉一家が政略と主君(江原慎二郎)の気まぐれでズタズタにされる話である。一家の主人飯倉修蔵が錦之助で、主君の思し召しもめでたい剣の達人だった。それが突然悲運のどん底に落ちていく。
 まず許婚までいる娘さとが他藩の殿様に人身御供にされる。次には美しい妻まき(有馬稲子)が主君の目に留まり、無理矢理寝所に呼ばれ、辱めを受ける前に意を決し自害する。それを諫言した錦之助は閉門処分を受ける。さらには送り返されてきた娘と許婚の門弟の一馬(山本圭)が家にいるところを見張り番に見つかり、捕縛される。そしてこの話の最後は目を覆うほど残酷で、そのすさまじさのあまり、有名になった場面である。閉門中の錦之助がある日城内の庭に連れ出され、目隠しをしたまま剣の技を披露し二人の罪人の首をはねるように主君に命ぜられるのだが、斬リ捨てた二人がなんと娘さとと許婚の一馬だったのである。目隠しを取ってから錦之助はそれを知るのだが、ここはまさに言語を絶するシーンで、主君の前で憤死する錦之助の形相の物凄さ(冒頭の写真)。それがしばらく目に焼きついて離れないほどだった。




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