「ひばりちゃんの今度の相手、カブキの中村時蔵のボンで錦之助ちゅう名前やそや」
京都の下加茂撮影所で働く人たちは、中村時蔵と言ってもピンと来ない人の方が多かった。「それ、どこのだれや?」といった具合である。時蔵の芝居を見たこともなければ、顔も知らない人が大半であった。まして、その倅の錦之助など知っている者は皆無に近かった。
「錦之助? 聞いたことあらへんな」
カブキから映画にまた若いモンを引っ張ってきたといった印象しかなかったであろう。映画の現場では錦之助の家柄も過去の経歴も、見向きもされない履歴書の数行にすぎず、無価値同然だった。
錦之助自身も語っているように、錦之助は「すっぽり裸にされ、完全に自由のからだになった」。父時蔵のこともよく知らず、自分がどこの馬の骨だかも分からない人たちの間に入って、映画作りの上で重要なパートをになうことに、錦之助は言い知れぬ自由と生まれ変わったような気分を抱いた。錦之助は幼児の頃からずっと身に付けてきた古い衣裳を剥ぎ取られ、真っ裸にされて、まるで知らない映画の現場へ投げ込まれたのである。
撮影初日、錦之助は朝早く撮影所の楽屋へ入った。メーキャップは自分でやった。頭は結髪さんがつくってくれた。まあ、慣れているのは着物を着ることだけだった。鏡の前に立つと、なかなか格好のいい前髪の若武者筧燿之助である。が、颯爽と出て行く先は檜の舞台ではなく、ゴミゴミした撮影所内の土の上だった。仕度を終え、スタジオに連れていかれる時は、手術室にでも運ばれていくような気持ちだった。
カメラに向かっての最初のワンカットは、筧燿之助が剣術の道場で凛々しくたすきを結ぶところだった。錦之助は目をどこに置いてよいか分からなかった。すかさずカメラの後ろに立った内出監督から注意の言葉が飛んだ。
「メセンはここ、ここ!」
メセンという言葉が分からなかった。なんのことはない、視線のことだった。
ほかにも現場用語で分らない言葉がたくさんあった。ピーカン(快晴)、中抜き(カットを飛ばして撮ること)、なめる(画面に入れること)、わらう(画面からはずすこと)など。
一番困ったのは、覚えてきたセリフを撮影現場で変更されることだった。覚えたセリフが邪魔になって仕方なく、セリフの方ばかりに気をとられて、演技のほうがお留守になってしまうのだった。
撮影所ではスタッフがみんな実によく働いているのに錦之助は目をみはった。まるでこま鼠のように動き回っている。みんな忙しく働いているが、楽しそうで生き生きしていた。現場の人たちには、映画を作ることが嬉しくて仕方がない様子である。みんな、映画作りにあふれんばかりの情熱を注いでいるのだ。自分も全力を尽くして、みんなの中に加わろうと錦之助は思った。
錦之助にとって何よりも解放感を覚えたことは、スタッフのみんなが上下関係や年齢差があるにもかかわらず、まるで対等のようにぞんざいな口をきき合い、冗談を言って高笑いしていることだった。錦之助は彼らの乱暴な会話を聞いて、今にも喧嘩でもはじまるのではないかと思った。が、撮影がすめば、お互いにっこりと笑い合ってみんな走って次の場所に移動するのだった。身分や礼儀作法に厳しく、人と人とが打ち解けない歌舞伎の世界とはまったく違っていた。ここでなら思ったこともズバズバ口に出せるし、気の利いたシャレも言える。冗談好きで明るい錦之助にとってこんな気楽なことはなかった。
美空ひばりと母の喜美枝とも錦之助はすぐに打ち解けて話せるようになった。
とくに母の喜美枝は、元魚屋のおかみさんだけあって、言葉遣いは悪いが、江戸っ子気質で、あけっぴろげだった。喜美枝は、ブロマイドで見た錦之助の甘いマスクに抱いたイメージと実際の錦之助の話し振りや態度にギャップを感じたようだが、二、三度度会って話してみるうちに、錦之助の竹を割ったような人柄と他人思いで人情のある性質がすっかり気に入ってしまった。
ひばりも同じだった。ひばりは人見知りで、赤の他人にはウサギのような警戒心を持つタイプだったが、この人は感じが良いと思ってしまえば、気さくに話すし、あれやこれやと世話を焼くことが大好きだった。映画界に入ったばかりの錦之助がまごまごしているのを見て、ひばりは居ても立ってもいられなくなった。むくむくと世話好きの親切心が涌いてきた。
「ボンボン、ここはこうした方がいいわよ」
「さあ、これで額の汗、ふいて」
「ほら、あたしの目をちゃんと見て」
「うん、すてき」
美空ひばりは、共演者である錦之助のファンになってしまった。歌舞伎役者の錦之助のファンは、もちろんたくさんいたであろうが、映画俳優中村錦之助のファンでその正真正銘第一号は、美空ひばりであった。
京都の下加茂撮影所で働く人たちは、中村時蔵と言ってもピンと来ない人の方が多かった。「それ、どこのだれや?」といった具合である。時蔵の芝居を見たこともなければ、顔も知らない人が大半であった。まして、その倅の錦之助など知っている者は皆無に近かった。
「錦之助? 聞いたことあらへんな」
カブキから映画にまた若いモンを引っ張ってきたといった印象しかなかったであろう。映画の現場では錦之助の家柄も過去の経歴も、見向きもされない履歴書の数行にすぎず、無価値同然だった。
錦之助自身も語っているように、錦之助は「すっぽり裸にされ、完全に自由のからだになった」。父時蔵のこともよく知らず、自分がどこの馬の骨だかも分からない人たちの間に入って、映画作りの上で重要なパートをになうことに、錦之助は言い知れぬ自由と生まれ変わったような気分を抱いた。錦之助は幼児の頃からずっと身に付けてきた古い衣裳を剥ぎ取られ、真っ裸にされて、まるで知らない映画の現場へ投げ込まれたのである。
撮影初日、錦之助は朝早く撮影所の楽屋へ入った。メーキャップは自分でやった。頭は結髪さんがつくってくれた。まあ、慣れているのは着物を着ることだけだった。鏡の前に立つと、なかなか格好のいい前髪の若武者筧燿之助である。が、颯爽と出て行く先は檜の舞台ではなく、ゴミゴミした撮影所内の土の上だった。仕度を終え、スタジオに連れていかれる時は、手術室にでも運ばれていくような気持ちだった。
カメラに向かっての最初のワンカットは、筧燿之助が剣術の道場で凛々しくたすきを結ぶところだった。錦之助は目をどこに置いてよいか分からなかった。すかさずカメラの後ろに立った内出監督から注意の言葉が飛んだ。
「メセンはここ、ここ!」
メセンという言葉が分からなかった。なんのことはない、視線のことだった。
ほかにも現場用語で分らない言葉がたくさんあった。ピーカン(快晴)、中抜き(カットを飛ばして撮ること)、なめる(画面に入れること)、わらう(画面からはずすこと)など。
一番困ったのは、覚えてきたセリフを撮影現場で変更されることだった。覚えたセリフが邪魔になって仕方なく、セリフの方ばかりに気をとられて、演技のほうがお留守になってしまうのだった。
撮影所ではスタッフがみんな実によく働いているのに錦之助は目をみはった。まるでこま鼠のように動き回っている。みんな忙しく働いているが、楽しそうで生き生きしていた。現場の人たちには、映画を作ることが嬉しくて仕方がない様子である。みんな、映画作りにあふれんばかりの情熱を注いでいるのだ。自分も全力を尽くして、みんなの中に加わろうと錦之助は思った。
錦之助にとって何よりも解放感を覚えたことは、スタッフのみんなが上下関係や年齢差があるにもかかわらず、まるで対等のようにぞんざいな口をきき合い、冗談を言って高笑いしていることだった。錦之助は彼らの乱暴な会話を聞いて、今にも喧嘩でもはじまるのではないかと思った。が、撮影がすめば、お互いにっこりと笑い合ってみんな走って次の場所に移動するのだった。身分や礼儀作法に厳しく、人と人とが打ち解けない歌舞伎の世界とはまったく違っていた。ここでなら思ったこともズバズバ口に出せるし、気の利いたシャレも言える。冗談好きで明るい錦之助にとってこんな気楽なことはなかった。
美空ひばりと母の喜美枝とも錦之助はすぐに打ち解けて話せるようになった。
とくに母の喜美枝は、元魚屋のおかみさんだけあって、言葉遣いは悪いが、江戸っ子気質で、あけっぴろげだった。喜美枝は、ブロマイドで見た錦之助の甘いマスクに抱いたイメージと実際の錦之助の話し振りや態度にギャップを感じたようだが、二、三度度会って話してみるうちに、錦之助の竹を割ったような人柄と他人思いで人情のある性質がすっかり気に入ってしまった。
ひばりも同じだった。ひばりは人見知りで、赤の他人にはウサギのような警戒心を持つタイプだったが、この人は感じが良いと思ってしまえば、気さくに話すし、あれやこれやと世話を焼くことが大好きだった。映画界に入ったばかりの錦之助がまごまごしているのを見て、ひばりは居ても立ってもいられなくなった。むくむくと世話好きの親切心が涌いてきた。
「ボンボン、ここはこうした方がいいわよ」
「さあ、これで額の汗、ふいて」
「ほら、あたしの目をちゃんと見て」
「うん、すてき」
美空ひばりは、共演者である錦之助のファンになってしまった。歌舞伎役者の錦之助のファンは、もちろんたくさんいたであろうが、映画俳優中村錦之助のファンでその正真正銘第一号は、美空ひばりであった。
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