錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

中村錦之助伝~『ひよどり草紙』(その3)

2012-11-29 19:26:55 | 【錦之助伝】~映画デビュー
 ひばりは、『ひよどり草紙』に出演するまでにすでに四十本以上の映画に出ていた。ひばりは、映画界の先輩として、映画初出演の錦之助に撮影中、いろいろ細かいことを親身になって教えた。自分の撮影がない時でも、錦之助のことが心配になって、わざわざロケ現場へ出向いた。スタッフとトラブルを起こしはしないか、立ち回りで怪我をしまいかなどと錦之助のことが気になって仕方がなかった。ひばりは、この時、自ら縫って作った可愛らしいポーチにメンソレータムや赤チンやガーゼなどを入れて、錦之助に手渡したほどだった。
 ひばりがこれまで映画に出て、共演した男優と言えば、自分よりずっと年上のオジサンが多かった。嵐寛寿郎、高田浩吉、岡春夫、若原雅夫、川田晴久などで、比較的若い佐田啓二、鶴田浩二、片山明彦でも十歳以上年上だった。北上弥太郎だけは昭和一ケタ生まれで例外だったが、世慣れていてひばりが好きになれるタイプではなかった。
 ひばりが小さな胸をときめかせ、初めて恋をしたのは『あの丘越えて』で共演した鶴田浩二だったが、鶴田の方がひばりを恋愛相手とは見ず、妹のように可愛がるだけだった。
 錦之助は二十一歳、ひばりより五歳年上に過ぎない。歌舞伎界の御曹司で血統もよく、最初は坊ちゃん育ちのなよなよしたヤサ男と思ったところが、すかっと竹を割ったような男らしい性格でズバズバ物は言う、軽口は叩く、憎まれ口はきくはで、口喧嘩もするが、その飾り気のないやんちゃな人柄に、ひばりは錦之助がすっかり気に入ってしまった。母の喜美枝も同じで、錦之助といると話が弾み楽しくてならなかった。
 クランクインして間もなく、撮影が終るとひばり母娘は常宿にしている高級旅館へ錦之助を呼んで、一緒に鍋料理を食べ、酒を飲みながら夜遅くまで歓談するほどになった。
 錦之助はひばりのことを「ずいぶん気遣いの細かい人だな」と思った。食事中、グラスのウィスキーが空きかかると、すぐにオンザロックを作って、出してくれる。「何が好き?」と言いながら、食べ物も小皿にとって勧めてくれる。至れり尽くせりの供応ぶりだった。五歳も年下の少女とは思えないほどで、姉さん女房のようであった。ひばりの方でも錦之助は世話の焼き甲斐があった。強がりばかり言っているくせに錦之助は甘えん坊でどこか頼りないところがあり、そこが魅力的だった。二人は実に相性が合ったのである。
 悲愴な覚悟で単身、映画界に乗り込んできた錦之助にとって、ひばり母娘の親切は、心細さを忘れさせてくれる支えになった。単に感謝の気持ちからではなく、錦之助は、ひばりも母の喜美枝も身内のように好きになり、信頼するようになった。

 映画の撮影中、錦之助が親しくなったのはひばり母娘だけではなかった。新芸プロ所属の川田晴久、堺駿二、山茶花究も、何かと錦之助に気を遣ってくれた。錦之助のことを「若旦那」と呼んで、いろいろ面倒を見てくれる。錦之助は映画界には入ってまでも若旦那と呼ばれることに抵抗はあったが、彼らの好意をありがたく受け入れようと思った。共演者でベテラン俳優の保瀬英二郎は、錦之助のコーチを買って出て、メークの仕方からキャメラの前で注意すべきことまで、事細かに教えてくれた。監督もスタッフもみんな錦之助に暖かく接してくれた。
 クラックインしてから約三週間、錦之助は無我夢中だった。
 ラッシュを見ると、恥ずかしいことだらけだった。歌舞伎では自分の演じた姿を見ることもできず、セリフを録音して後から聞くこともなかったが、映画は全部それを撮影録音し、演じた自分を醒めた目で観察することができる。ひばりや共演者はみんな自分の個性を発揮し、さすがだと感じた。それに引き換え、自分はと言えば、拙さばかりが目立って、穴があったら入りたい心境だった。
 ずっと女形をやっていたせいなのだろうか。まず声が高いのが気になった。それに早口である。ラリルレロの発音がダヂヅデドに聞こえる。セリフも棒調子だ。目もどこを見ているのやら、あらぬ方ばかり見ていて、定まらない。チャンバラも下手だ。地に足が着いていなし、刀を振り回しているだけで、間が取れていない。
 錦之助は、ラッシュを見て、本当にこのまま映画俳優として続けていかれるのかどうか、自信が揺らぎ、自分の将来が不安になった。だが、そんなことは言っていられない。歌舞伎界を飛び出して、あれほど自分が望んだ道に入って、その一歩を踏み出しのだ。これから人の何倍も勉強し、映画俳優として絶対モノになってやる、と固く心に誓った。




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