歌舞伎三大名作の一つ、「菅原伝授手習鑑」は本来、通し狂言なのだが、歌舞伎では三段目「車引」と四段目「寺子屋」だけが単独で頻繁に上演される人気狂言である。とくに「寺子屋」は歌舞伎ファンなら知らぬ人がないほど有名だが、錦之助は六代目菊五郎と吉右衛門の間にはさまって、小太郎という重要な子役を演じている。
錦之助が初めて小太郎をやったのは、五歳の時で、昭和十三年五月、歌舞伎座における「菊吉公演」だった。武部源蔵が菊五郎、松王丸が吉右衛門、七代目宗十郎が松王丸の妻千代である。
翌十四年にも同じ歌舞伎座で一月から二月の二ヶ月ロングランで「寺子屋」を出している。一月の上演の評判がよほど良かったのであろう、続演となった。この時は武部源蔵が吉右衛門、松王丸が菊五郎と役が入れ替わり、千代は時蔵で、六歳になった錦之助が小太郎である。
簡単に「寺子屋」のあらすじを書いておこう。
大宰府に流された菅原道真(物語の中では菅丞相)の忠臣武部源蔵は妻戸浪とともに逃げのび、道真の息子秀才を自ら開いた寺子屋でかくまっている。そこへ、謀反人藤原時平の家臣春藤玄蕃がやって来て、秀才の首を討てと源蔵に命じる。困り果てた源蔵は寺子屋に入ったばかりの品の良い小太郎を、秀才の身代わりに討って、その首を玄蕃と検分役の松王丸の前に差し出す。秀才を見知っている松王丸が首実検する。松王丸は、道真に大恩があったので、違う首とは知りながら秀才に間違いないと言い、首を持って玄蕃とともに立ち去る。そのあと、小太郎の母千代が迎えに来て、発覚を恐れた源蔵は、千代を殺そうと斬りかかる。その時、小太郎の手文庫から弔いの品が現れ、源蔵は小太郎が身代わり覚悟で寺子屋へ送られて来た子だったということを知る。そこへ松王丸が道真の妻園生の方を連れて戻って来て、秀才に引き合わせ、二人は母子の対面をして喜び合う。一方、松王丸は、源蔵に事の仔細を打ち明ける。小太郎は、松王丸と妻千代の子で、松王丸は秀才を守るためわが子を犠牲にしたのだった。二人は、小太郎の亡がらを弔い、野辺の送りをする。
錦之助の小太郎は、二ヶ月間毎日、伯父吉右衛門の源蔵によって首を討たれていたということになる。
錦之助は、昭和三十年九月に出版した自伝「ただひとすじに」の中で、前年九月に亡くなった故吉右衛門のことを思い浮かべ、「寺子屋」の小太郎をやって「伯父と共に舞台を踏んだ感慨は今更のように胸を締めつけられる想いです」と書いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/ef/7867624df75658c71c535bcbcebf4386.jpg)
「寺子屋」錦之助(小太郎)と吉右衛門(源蔵)
昭和十六年一月、「寺子屋」は歌舞伎座でまた同じ配役で再演されている。錦之助はまた小太郎である。道真の妻園生の方を六代目福助(のちの六代目歌右衛門)が演じている。
さらに、二年後の昭和十八年一月と二月も歌舞伎座は「寺子屋」を出し、菊五郎の松王丸、吉右衛門の源蔵は同じだが、男女蔵(三代目左團次)が千代をやり、時蔵は源蔵の妻戸浪をやっている。
さて、錦之助はと言うと、この頃は十一歳で大きくなったからだろう、小太郎は卒業して、道真の子菅秀才に役が変っている。もう首は討たれなくなった。秀才の母園生の方は、前と同じで、福助改め六代目芝翫(六代目歌右衛門)なので、錦之助の母親役は若き日の美しい芝翫(当時二十六歳)になった。この二人の母子対面、是非見たかったものだ。
錦之助が初めて小太郎をやったのは、五歳の時で、昭和十三年五月、歌舞伎座における「菊吉公演」だった。武部源蔵が菊五郎、松王丸が吉右衛門、七代目宗十郎が松王丸の妻千代である。
翌十四年にも同じ歌舞伎座で一月から二月の二ヶ月ロングランで「寺子屋」を出している。一月の上演の評判がよほど良かったのであろう、続演となった。この時は武部源蔵が吉右衛門、松王丸が菊五郎と役が入れ替わり、千代は時蔵で、六歳になった錦之助が小太郎である。
簡単に「寺子屋」のあらすじを書いておこう。
大宰府に流された菅原道真(物語の中では菅丞相)の忠臣武部源蔵は妻戸浪とともに逃げのび、道真の息子秀才を自ら開いた寺子屋でかくまっている。そこへ、謀反人藤原時平の家臣春藤玄蕃がやって来て、秀才の首を討てと源蔵に命じる。困り果てた源蔵は寺子屋に入ったばかりの品の良い小太郎を、秀才の身代わりに討って、その首を玄蕃と検分役の松王丸の前に差し出す。秀才を見知っている松王丸が首実検する。松王丸は、道真に大恩があったので、違う首とは知りながら秀才に間違いないと言い、首を持って玄蕃とともに立ち去る。そのあと、小太郎の母千代が迎えに来て、発覚を恐れた源蔵は、千代を殺そうと斬りかかる。その時、小太郎の手文庫から弔いの品が現れ、源蔵は小太郎が身代わり覚悟で寺子屋へ送られて来た子だったということを知る。そこへ松王丸が道真の妻園生の方を連れて戻って来て、秀才に引き合わせ、二人は母子の対面をして喜び合う。一方、松王丸は、源蔵に事の仔細を打ち明ける。小太郎は、松王丸と妻千代の子で、松王丸は秀才を守るためわが子を犠牲にしたのだった。二人は、小太郎の亡がらを弔い、野辺の送りをする。
錦之助の小太郎は、二ヶ月間毎日、伯父吉右衛門の源蔵によって首を討たれていたということになる。
錦之助は、昭和三十年九月に出版した自伝「ただひとすじに」の中で、前年九月に亡くなった故吉右衛門のことを思い浮かべ、「寺子屋」の小太郎をやって「伯父と共に舞台を踏んだ感慨は今更のように胸を締めつけられる想いです」と書いている。
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「寺子屋」錦之助(小太郎)と吉右衛門(源蔵)
昭和十六年一月、「寺子屋」は歌舞伎座でまた同じ配役で再演されている。錦之助はまた小太郎である。道真の妻園生の方を六代目福助(のちの六代目歌右衛門)が演じている。
さらに、二年後の昭和十八年一月と二月も歌舞伎座は「寺子屋」を出し、菊五郎の松王丸、吉右衛門の源蔵は同じだが、男女蔵(三代目左團次)が千代をやり、時蔵は源蔵の妻戸浪をやっている。
さて、錦之助はと言うと、この頃は十一歳で大きくなったからだろう、小太郎は卒業して、道真の子菅秀才に役が変っている。もう首は討たれなくなった。秀才の母園生の方は、前と同じで、福助改め六代目芝翫(六代目歌右衛門)なので、錦之助の母親役は若き日の美しい芝翫(当時二十六歳)になった。この二人の母子対面、是非見たかったものだ。
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