錦之助ざんまい

時代劇のスーパースター中村錦之助(萬屋錦之介)の出演した映画について、感想や監督・共演者のことなどを書いていきます。

錦之助の代表的シリーズ作は?

2006-08-20 00:02:27 | 錦之助ファン、雑記
 錦之助の映画は、シリーズ作品が非常に少ない。これは、『新諸国物語』のような初期の子供向きの映画や『宮本武蔵』5部作は別として、また『子連れ狼』などテレビの連続時代劇は除いて、大人向きの娯楽時代劇の映画についての話である。シリーズものは、だいたい3作までで終わっている。たとえば、『源氏九郎颯爽記』は3作、『殿さま弥次喜多』も3作、『若き日の次郎長』も3作、一番長く続いた『一心太助』でもわずか5作だった。(が、厳密に言えば、「一心太助」シリーズも3作だったと言えよう。)

 他の時代劇スターの代表的なシリーズ作を調べてみると、ライバルだった市川雷蔵のヒット・シリーズ『眠狂四郎』は12作(昭和38年~昭和44年)、勝新太郎の『座頭市』はなんと26作(昭和37年~昭和48年、平成元年に1作ある)である。この二人のシリーズ作が始まった頃には、錦之助のシリーズ作はほぼすべてが終わっているのだから驚く。雷蔵は昭和44年に37歳で夭逝したが、死ぬまで眠狂四郎を演じ続けた。眠狂四郎は初めは鶴田浩二が演じていたが、雷蔵に代わってから大ヒットし、雷蔵の十八番(おはこ)となって長続きした。雷蔵が亡くなると、東映の松方英樹が大映に招かれ、狂四郎を演じたが、これはさすがに不評で2作で打ち切られた。座頭市は勝新太郎の独壇場だった。勝新は、座頭市という当たり役を掴んでから、まるで専売特許のように何度も繰り返し座頭市を演じた。手を変え品を変え、工夫を凝らして作り続けた。大映が倒産してからも、自分の独立プロで作り続けたのだから、その執念たるやすごいものである。もちろん、これは一般の観客の人気にも支えられてのことであって、これほど数多く作ってファンに見放されなかったのだから、娯楽映画としても見上げたものだと思う。(私はリアルタイムでは大映の映画をあまり観ていないが、雷蔵の『眠狂四郎』はビデオでほぼ全部観た。副題は忘れてしまったが、傑作だと思った作品が3,4本ある。勝新の『座頭市』はアクが強すぎて、あまり私の好みではない。勝新のシリーズ作では、時代劇ではないが『悪名』と『兵隊やくざ』を好んで観ている。)

 これと比べてみると、錦之助のシリーズ作は異常な短さで、いともあっさり終わってしまった。製作側にも錦之助にもシリーズに賭ける執念というものが感じられなかった。はっきり言って、3作だけではシリーズとは呼べないかもしれない。私は決して錦之助の悪口を言うわけではないが、雷蔵の眠狂四郎、勝新の座頭市といったような、これぞ錦之助といった時代劇のヒーロー役は残念ながら錦之助にはなかったのではないかと思っている。「いや、十八番というのは出演作の数の多さではない。錦之助には宮本武蔵がある、拝一刀がある」と言うファンもいるかもしれない。それも重々承知の上である。が、宮本武蔵は、片岡千恵蔵や三船敏郎の映画もあり、錦之助だけの武蔵とは言えない面があると思う。拝一刀は若山富三郎の映画が4本あり、錦之助の拝一刀はテレビの時代劇だったことが私には気に入らない。
 それでは、大映ではなく、錦之助と同じ東映のスターが主演したシリーズ作には何があるだろう。これは、何と言っても、御大市川右太衛門の『旗本退屈男』が断トツである。右太衛門の早乙女主水之介は戦前からの当たり役であるが、戦前戦後を合わせると映画だけで30作はあるという。舞台上演とテレビを合わせれば数十本に上るだろう。東映時代だけでも12年間で19作あるのだからすごい。片岡千恵蔵のシリーズ作といえば、時代劇では遠山の金さんに扮した「いれずみ判官」がある。これはいろいろタイトルを変えて製作されたがはたして何本作ったのだろう。錦之助と一時期人気を二分した大川橋蔵には、『若さま侍捕物帳』9作(昭和31年~昭和37年)と『新吾十番勝負・二十番勝負・番外勝負』全8作(昭和34年~39年)がある。雷蔵や勝新ほど強烈ではないが、橋蔵と言えば映画では葵新吾というイメージ(テレビでは銭形平次)が残っている。

 さて、錦之助のシリーズ作はどうかというと、どれも中途半端な形で途切れている。なにか非常に後味の悪い終わり方なのだ。私の意見では、『殿さま弥次喜多』だけは際物的な作品なので、シリーズ化には向かなかったと思うが、『源氏九郎』は、錦之助の美剣士物の代表的なシリーズとしてもっと製作してほしかった。最後になった『源氏九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶』(昭和37年3月公開)は、私も小学生ながら、封切りを楽しみにして映画館へ足を運んだ。もちろん、ガキの私には伊藤大輔という巨匠など知るよしもなく、なんだか複雑で難しい映画だなーという印象だった。この印象は後年ビデオで観たときも同じだった。力が入りすぎて、不完全な娯楽大作になっていたと思う。
 『若き日の次郎長』は、若き日だけでなく子分を大勢引き連れた次郎長になってからも錦之助に演じてもらいたかったと、これは今でも残念に思っている。第3作『東海のつむじ風』(昭和37年1月公開)でこのシリーズは終わるのだが、このあと、錦之助が次郎長に扮した映画がもう1本作られる。『次郎長と小天狗・殴り込み甲州路』(昭和37年9月公開)という映画で、同じマキノ雅広監督だが、主演は次郎長の錦之助ではなく、大前田英五郎の息子を演じた北大路欣也だった。結局『次郎長三国志』の続編は、翌年鶴田浩二が次郎長になって、マキノ監督の別の東映作品(昭和38年)が作られる。私は、鶴田が次郎長、佐久間良子がお蝶に扮したこの映画も大好きだったが、もし錦之助が続けて次郎長を演じていたらどんなに良かっただろう、と思わずにはいられなかった。(つづく)




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