もう半年ほど前のことになりますが、『キック・アス』のレビュー記事を書いた際、自分は映画の内容そっちのけで福岡県民の県民性について以前から思っていたことを言いたい放題に言いました。
なぜそんなことをしたかというと、どんなに面白い映画であっても、それを上映している映画館の存在自体を知らなければ、この場合は『キック・アス』を上映していたシネ・リーブル博多のことですが、意味がないって思ったからです。
で、ついでに他にもどーにかした方がいいんじゃないかと思っていたことを書いたわけです。
シネ・リーブル博多の認知度の低さについての記事を書いてしばらくしてから、実際シネ・リーブル博多が閉館しちゃうのですから、我ながら先を見る目があるのかないのか、、、まぁ先を見る目があったとしても空しいばかりですが。
まぁともかく、その記事は内容が内容だけに出来るだけ挑発的な口調を心がけて書きました。
そうするべきだと思ったのです。
荒らされるのを覚悟で書きました。
が、しかし、、、挑発的な口調で書いた割にはまったく反応がなくて、このときは、やっぱり自分には他人を挑発するような行為は向いてないんだなぁと思ったんですが。
今から二週間ぐらい前に、よーやく、おそらく福岡県民と思われる方からコメントがありました。
はっきり言わせてもらうと、遅い、です。どーせならもっと早くにそのコメントが欲しかった。
で、その方から、映画と福岡県民の県民性に何の関係があるのか?というもっともな意見をもらったので、今日は映画とは切り離して、飲酒運転についてのみ話をしてみたいと思います。
実際飲酒運転をする輩を、どれほどバカだ、アホだと罵ったところで、それは言い過ぎだ、という人はいないでしょう。
なのでその人たちのことについてはこれ以上何も言いません。共通認識だと思うので。
福岡県では毎週のように飲酒運転撲滅運動が行われています。
どこぞの幼稚園児を引っ張り出してきて、ドライバーに「飲酒運転はやめて♪」と呼びかけさせています。
はっきりいわせてもらうと飲酒運転撲滅運動って無駄なんじゃないですかね。
酒を飲むってことは酔っぱらうということであり、酔っぱらうというのは理性を無くすということです。理性のない人間に「酒を飲んだら運転は止めましょう」と正論を述べたところでまったくの無駄ではないかと思うのです。
酔っ払いというのは自分が酔っぱらっているということが自覚できない人間なのですから。
飲酒運転撲滅運動というものは、自分たちはこんなに飲酒運転を無くそうとしているぞ!という単なるパフォーマンスではないかと思えるのです。
まぁパフォーマンスはパフォーマンスでも構わないのですが…。
大学の授業で喫煙に関する講義がありました。
九十分間煙草による弊害をつらつら説明していた講師が授業の終わり際、こうのたまうんです。
喫煙に関する授業の後の一服が上手い、と。
九十分間ひたすら煙草のことを考え続けると、煙草が吸いたくて吸いたくて仕方がなくなる。
同じことが飲酒運転撲滅運動に関してもいえるのではないでしょうか。
飲酒運転をやめようと呼び掛けることが逆に飲酒運転を増やしている。
考えすぎであればいいですけどね。
飲酒運転のことについて考えるときに自分が一番腹が立つのは、実際に飲酒運転をする輩ではなく、飲酒運転撲滅運動を繰り広げる関係者でもなかったりします。
一番腹が立つのはその他大勢です。
タイトルにある通り、飲酒運転を無くすのは簡単なことです。
車にアルコールチェッカーを装備して、呼気にアルコールを検知したら、車が動かないようにすればいい。それだけです。
車にアルコールチェッカーを装備すれば、当然その実費がかかります。精度と普及率によっても違うでしょうが、一万円か二万円といったところでしょう。
世の運転手のほとんどが、この出費を厭うのです。飲酒運転をしない自分がなぜそんなお金を負担しなければならない、と。
飲酒運転をする輩は底なしの馬鹿である、と断言してよいでしょう。
飲酒運転撲滅運動の関係者もあまり頭がいいとは思えない。
でも、アルコールチェッカーを装備することをごねる、一般ドライバーも上記の二者に頭の悪さでは引けを取らない、と思うのです。自分は、そして自分の家族は、飲酒運転の事故による被害者にはならない、と考えている時点で。
福岡県は今年もブッチギリで飲酒運転による事故数で独走しているようです。
県議会はどうやら罰則を盛り込んだ条例を作ることで、全国ワースト一位の座を返上したいようですが、罰則を強化すれば飲酒運転が減ると考えてる時点で、こりゃ無理だな、と思います。
飲酒運転についてつらつら考えていたらまたお酒が飲みたくなりました。
ビールを切らしているのでちょっとそこのコンビニまで車で行ってきます。
こんな蒸し暑い夜は一刻も早くビールを口にしたいです。
もうそのこと以外考えられません。。。嘘。
なぜそんなことをしたかというと、どんなに面白い映画であっても、それを上映している映画館の存在自体を知らなければ、この場合は『キック・アス』を上映していたシネ・リーブル博多のことですが、意味がないって思ったからです。
で、ついでに他にもどーにかした方がいいんじゃないかと思っていたことを書いたわけです。
シネ・リーブル博多の認知度の低さについての記事を書いてしばらくしてから、実際シネ・リーブル博多が閉館しちゃうのですから、我ながら先を見る目があるのかないのか、、、まぁ先を見る目があったとしても空しいばかりですが。
まぁともかく、その記事は内容が内容だけに出来るだけ挑発的な口調を心がけて書きました。
そうするべきだと思ったのです。
荒らされるのを覚悟で書きました。
が、しかし、、、挑発的な口調で書いた割にはまったく反応がなくて、このときは、やっぱり自分には他人を挑発するような行為は向いてないんだなぁと思ったんですが。
今から二週間ぐらい前に、よーやく、おそらく福岡県民と思われる方からコメントがありました。
はっきり言わせてもらうと、遅い、です。どーせならもっと早くにそのコメントが欲しかった。
で、その方から、映画と福岡県民の県民性に何の関係があるのか?というもっともな意見をもらったので、今日は映画とは切り離して、飲酒運転についてのみ話をしてみたいと思います。
実際飲酒運転をする輩を、どれほどバカだ、アホだと罵ったところで、それは言い過ぎだ、という人はいないでしょう。
なのでその人たちのことについてはこれ以上何も言いません。共通認識だと思うので。
福岡県では毎週のように飲酒運転撲滅運動が行われています。
どこぞの幼稚園児を引っ張り出してきて、ドライバーに「飲酒運転はやめて♪」と呼びかけさせています。
はっきりいわせてもらうと飲酒運転撲滅運動って無駄なんじゃないですかね。
酒を飲むってことは酔っぱらうということであり、酔っぱらうというのは理性を無くすということです。理性のない人間に「酒を飲んだら運転は止めましょう」と正論を述べたところでまったくの無駄ではないかと思うのです。
酔っ払いというのは自分が酔っぱらっているということが自覚できない人間なのですから。
飲酒運転撲滅運動というものは、自分たちはこんなに飲酒運転を無くそうとしているぞ!という単なるパフォーマンスではないかと思えるのです。
まぁパフォーマンスはパフォーマンスでも構わないのですが…。
大学の授業で喫煙に関する講義がありました。
九十分間煙草による弊害をつらつら説明していた講師が授業の終わり際、こうのたまうんです。
喫煙に関する授業の後の一服が上手い、と。
九十分間ひたすら煙草のことを考え続けると、煙草が吸いたくて吸いたくて仕方がなくなる。
同じことが飲酒運転撲滅運動に関してもいえるのではないでしょうか。
飲酒運転をやめようと呼び掛けることが逆に飲酒運転を増やしている。
考えすぎであればいいですけどね。
飲酒運転のことについて考えるときに自分が一番腹が立つのは、実際に飲酒運転をする輩ではなく、飲酒運転撲滅運動を繰り広げる関係者でもなかったりします。
一番腹が立つのはその他大勢です。
タイトルにある通り、飲酒運転を無くすのは簡単なことです。
車にアルコールチェッカーを装備して、呼気にアルコールを検知したら、車が動かないようにすればいい。それだけです。
車にアルコールチェッカーを装備すれば、当然その実費がかかります。精度と普及率によっても違うでしょうが、一万円か二万円といったところでしょう。
世の運転手のほとんどが、この出費を厭うのです。飲酒運転をしない自分がなぜそんなお金を負担しなければならない、と。
飲酒運転をする輩は底なしの馬鹿である、と断言してよいでしょう。
飲酒運転撲滅運動の関係者もあまり頭がいいとは思えない。
でも、アルコールチェッカーを装備することをごねる、一般ドライバーも上記の二者に頭の悪さでは引けを取らない、と思うのです。自分は、そして自分の家族は、飲酒運転の事故による被害者にはならない、と考えている時点で。
福岡県は今年もブッチギリで飲酒運転による事故数で独走しているようです。
県議会はどうやら罰則を盛り込んだ条例を作ることで、全国ワースト一位の座を返上したいようですが、罰則を強化すれば飲酒運転が減ると考えてる時点で、こりゃ無理だな、と思います。
飲酒運転についてつらつら考えていたらまたお酒が飲みたくなりました。
ビールを切らしているのでちょっとそこのコンビニまで車で行ってきます。
こんな蒸し暑い夜は一刻も早くビールを口にしたいです。
もうそのこと以外考えられません。。。嘘。
先週末は性懲りもなくツタヤでDVDを借りまくりました。
本当はスティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』を借りようと思ったんですけどね、Eさんと約束をしていたので。
自分にとって約束は百グラムの純金より重いのです。
つまり、約束は百一グラムってこと。笑。
それはさておき、借りようと思った『シンドラーのリスト』、在庫が一本しかなくて、しかもその一本が貸し出し中。
『シンドラーのリスト』、スピルバーグの代表作の一つなのに!
などといいつつ、自分もこれまで未鑑賞だったんですけど。笑。
というわけで、Eさん、約束を果たすのはもう少し先になるようです。
代わりに、準新作が百円だったので借りまくった次第です。
さて、少し前にもやはり五本DVDを借りて、記憶に残るのは『ヒルズ・ハブ・アイズ』だけだったんですけど、今回はまだ打率が高かったです。
中でも一番気に入ったのは『ワナオトコ』。これ、めっちゃ面白かったです。
昨年惜しまれつつ(かどーかは知らないが)完結した『SAW』シリーズの脚本家が新たに贈るホラーアクションエンターティメントです。
『SAW』シリーズって説教強盗ならぬ説教殺人鬼というキャラクターと、ピタゴラスイッチ的な殺人ギミックが新機軸だったじゃないですか。
この『ワナオトコ』、そのピタゴラスイッチ的な殺人ギミックに特化した作品なのです。
この作品に出てくる殺人鬼、ここでは「ワナオ君」と呼ぶことにしましょう、このワナオ君、殺人鬼は殺人鬼なんですけど、人を殺すにしても自分が仕掛けたトラップに引っかかってじゃないと満足しないというすごくわがままな殺人鬼なんですよ。
ときには犠牲者が罠にかかるのをじーっと身を潜めて待ってたりするんですが、なかなか罠に引っかからないので痺れを切らして、自分から姿を現し、罠の方に突き飛ばしたりしますからね。
そんなんするなら、罠を仕掛ける意味ねーじゃん!とツッコミたくなります。笑。
このワナオ君と対決するのが元金庫破りの前科者だけど、すごく善人のアーキンさん。
このアーキンさん、改心して真面目に内装の仕事をして働いてるんですが、別れた元妻の借金返済のために再び盗みを働くことを決意するのです。別れた元妻のために、ってのが泣かせるよね!
で、宝石ブローカーの家に忍び込み、いざ金庫の前に陣取った彼なのですが、無人のはずの屋敷の中に人の気配を感じて…。
こうしてワナオ君とアーキンさんの血で血を洗う、知略を尽くした戦いが始まります、、、って基本的に終始アーキンさんが一方的に屋敷の中を逃げ回るだけなんですけどね。笑。
『ヒルズ・ハブ・アイズ』のレビューを書いたとき、真っ当なホラー映画作家は、人並み以上の倫理観を持ち合わせている、という自分なりのホラー映画論を述べました。
この作品でもそれは強く感じましたよ。
確かにこの作品において、殺される人はこれ以上ないってぐらい残忍な殺され方をしています。でもそれだけじゃないんです。
アーキンさんは、一度は罠が張り巡らされたトラップハウスから、見事脱出を果たすんですよね。もちろん首尾よくお宝もいただいた上で。
こうなりゃもう屋敷には用はなし、ひたすら妻の元に向かえばいいじゃないですか。ハニー、もう借金のことは心配しなくていいぜ、とか何とかカッコつければいい。ウハウハのハッピーエンドですよ。
でもふと振り返った彼は、見てしまうんです。屋敷の二階の窓に、一家の次女が取り残されているのを。
一瞬、何てこった!って顔をするんですが、それ以上迷うことなくアーキンさんは屋敷に取って返すのです。
これが人並み以上の倫理観を持ち合わせた人間の行動でなくて何なんですか?
当然そのように演出する監督も同様のことがいえるでしょう。
こうしてアーキンさんとワナオ君の第二ラウンドの火蓋が切って落とされるのです。
はてさてアーキンさんは無事少女を救い出すことが出来るのでしょうか?
ここから先はちょっとネタバレになって恐縮ですが、アマゾンのレビューをざっと読んでいたら、オチのつけ方に文句をつけている方が若干見られました。
それもまぁわからないではないのです。
ホラー映画において、主人公がきちんと殺人鬼(やモンスター)を退治して終わる方が見ている側としてもスッキリするし、個人的にその方が作品の完成度も上がるように思えます。
最初から続編ありきという製作スタンスは正直感心しません。
しかし、作り手からすれば、せっかくユニークなキャラクターを創造したというのに、それが一作限りで葬られるのは如何にももったいない、と考えるのも無理もない話です。
そこら辺の作り手の迷いが中途半端な結末に繋がったのでは、って思いました。
本当はスティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』を借りようと思ったんですけどね、Eさんと約束をしていたので。
自分にとって約束は百グラムの純金より重いのです。
つまり、約束は百一グラムってこと。笑。
それはさておき、借りようと思った『シンドラーのリスト』、在庫が一本しかなくて、しかもその一本が貸し出し中。
『シンドラーのリスト』、スピルバーグの代表作の一つなのに!
などといいつつ、自分もこれまで未鑑賞だったんですけど。笑。
というわけで、Eさん、約束を果たすのはもう少し先になるようです。
代わりに、準新作が百円だったので借りまくった次第です。
さて、少し前にもやはり五本DVDを借りて、記憶に残るのは『ヒルズ・ハブ・アイズ』だけだったんですけど、今回はまだ打率が高かったです。
中でも一番気に入ったのは『ワナオトコ』。これ、めっちゃ面白かったです。
昨年惜しまれつつ(かどーかは知らないが)完結した『SAW』シリーズの脚本家が新たに贈るホラーアクションエンターティメントです。
『SAW』シリーズって説教強盗ならぬ説教殺人鬼というキャラクターと、ピタゴラスイッチ的な殺人ギミックが新機軸だったじゃないですか。
この『ワナオトコ』、そのピタゴラスイッチ的な殺人ギミックに特化した作品なのです。
この作品に出てくる殺人鬼、ここでは「ワナオ君」と呼ぶことにしましょう、このワナオ君、殺人鬼は殺人鬼なんですけど、人を殺すにしても自分が仕掛けたトラップに引っかかってじゃないと満足しないというすごくわがままな殺人鬼なんですよ。
ときには犠牲者が罠にかかるのをじーっと身を潜めて待ってたりするんですが、なかなか罠に引っかからないので痺れを切らして、自分から姿を現し、罠の方に突き飛ばしたりしますからね。
そんなんするなら、罠を仕掛ける意味ねーじゃん!とツッコミたくなります。笑。
このワナオ君と対決するのが元金庫破りの前科者だけど、すごく善人のアーキンさん。
このアーキンさん、改心して真面目に内装の仕事をして働いてるんですが、別れた元妻の借金返済のために再び盗みを働くことを決意するのです。別れた元妻のために、ってのが泣かせるよね!
で、宝石ブローカーの家に忍び込み、いざ金庫の前に陣取った彼なのですが、無人のはずの屋敷の中に人の気配を感じて…。
こうしてワナオ君とアーキンさんの血で血を洗う、知略を尽くした戦いが始まります、、、って基本的に終始アーキンさんが一方的に屋敷の中を逃げ回るだけなんですけどね。笑。
『ヒルズ・ハブ・アイズ』のレビューを書いたとき、真っ当なホラー映画作家は、人並み以上の倫理観を持ち合わせている、という自分なりのホラー映画論を述べました。
この作品でもそれは強く感じましたよ。
確かにこの作品において、殺される人はこれ以上ないってぐらい残忍な殺され方をしています。でもそれだけじゃないんです。
アーキンさんは、一度は罠が張り巡らされたトラップハウスから、見事脱出を果たすんですよね。もちろん首尾よくお宝もいただいた上で。
こうなりゃもう屋敷には用はなし、ひたすら妻の元に向かえばいいじゃないですか。ハニー、もう借金のことは心配しなくていいぜ、とか何とかカッコつければいい。ウハウハのハッピーエンドですよ。
でもふと振り返った彼は、見てしまうんです。屋敷の二階の窓に、一家の次女が取り残されているのを。
一瞬、何てこった!って顔をするんですが、それ以上迷うことなくアーキンさんは屋敷に取って返すのです。
これが人並み以上の倫理観を持ち合わせた人間の行動でなくて何なんですか?
当然そのように演出する監督も同様のことがいえるでしょう。
こうしてアーキンさんとワナオ君の第二ラウンドの火蓋が切って落とされるのです。
はてさてアーキンさんは無事少女を救い出すことが出来るのでしょうか?
ここから先はちょっとネタバレになって恐縮ですが、アマゾンのレビューをざっと読んでいたら、オチのつけ方に文句をつけている方が若干見られました。
それもまぁわからないではないのです。
ホラー映画において、主人公がきちんと殺人鬼(やモンスター)を退治して終わる方が見ている側としてもスッキリするし、個人的にその方が作品の完成度も上がるように思えます。
最初から続編ありきという製作スタンスは正直感心しません。
しかし、作り手からすれば、せっかくユニークなキャラクターを創造したというのに、それが一作限りで葬られるのは如何にももったいない、と考えるのも無理もない話です。
そこら辺の作り手の迷いが中途半端な結末に繋がったのでは、って思いました。
三つ前の記事で七月の三連休に長崎の佐世保に行くつもりです、と書きました。
十五日の夜に出発して、疲れたら途中の道の駅かどこかで一泊、それで翌十六日は昼間に佐世保観光、夜は旅館に泊まれたらいいなって思ってました。
で、その十六日の旅館が取れました。
予約した自分がいうのもなんですけど、まさか夏休みのど真ん中の三連休の宿が、旅行に出かける一週間前に取れるとは思ってませんでした。
まぁ五月の三連休のときは出かける二日前に宿の予約を入れましたけどね。笑。
高望みをしなければ宿なんてものはいつだって取れるものなのです。
ところで、今度佐世保に行くのでどこかお薦めの観光地はありますか?と長崎在住のマイミクの方に聞いたら、佐世保よりも長崎市街の方が観光するのにはいいですよ、というようなアドバイスをもらいました。
ん~~~、観光地として佐世保より長崎の方が観光地として見るところがいっぱいあるだろうなってことは知ってるつもりです。
長崎には修学旅行でも家族旅行でも行ったことはあるので。
ただその何度かの長崎行きで思ったのは長崎は車で行くところではないな、ってことです。
電車で行って観光するのにはいい感じなんでしょうけれど。
まぁそれでもまったく観光スポットがないってわけではないだろうと思って検索したら、上手い具合にヤフーの知恵袋で「長崎県佐世保市に旅行へ行くのですが、ハウステンボス以外で穴場なオススメの場所を教えてください」って質問してる人がいたんですよ。
こりゃいいや、って思いました。
自分は佐世保に行くつもりではあるけど、ハウステンボスには興味がないのです。ディズニーランドにすらまーったく惹かれない自分がハウステンボスに惹かれるわけがない。
その質問に対する回答者は一名いました。以下回答を転載。
「西海パールシーリゾート」くらいしか無いのです・・・・・。 ハウステンボスしか無いところなのよ。
そうですか、佐世保にはハウステンボスの他には「西海パールシーリゾート」くらいしかありませんか…。
くそっ、意地でも佐世保を堪能してきてやる!!!
十五日の夜に出発して、疲れたら途中の道の駅かどこかで一泊、それで翌十六日は昼間に佐世保観光、夜は旅館に泊まれたらいいなって思ってました。
で、その十六日の旅館が取れました。
予約した自分がいうのもなんですけど、まさか夏休みのど真ん中の三連休の宿が、旅行に出かける一週間前に取れるとは思ってませんでした。
まぁ五月の三連休のときは出かける二日前に宿の予約を入れましたけどね。笑。
高望みをしなければ宿なんてものはいつだって取れるものなのです。
ところで、今度佐世保に行くのでどこかお薦めの観光地はありますか?と長崎在住のマイミクの方に聞いたら、佐世保よりも長崎市街の方が観光するのにはいいですよ、というようなアドバイスをもらいました。
ん~~~、観光地として佐世保より長崎の方が観光地として見るところがいっぱいあるだろうなってことは知ってるつもりです。
長崎には修学旅行でも家族旅行でも行ったことはあるので。
ただその何度かの長崎行きで思ったのは長崎は車で行くところではないな、ってことです。
電車で行って観光するのにはいい感じなんでしょうけれど。
まぁそれでもまったく観光スポットがないってわけではないだろうと思って検索したら、上手い具合にヤフーの知恵袋で「長崎県佐世保市に旅行へ行くのですが、ハウステンボス以外で穴場なオススメの場所を教えてください」って質問してる人がいたんですよ。
こりゃいいや、って思いました。
自分は佐世保に行くつもりではあるけど、ハウステンボスには興味がないのです。ディズニーランドにすらまーったく惹かれない自分がハウステンボスに惹かれるわけがない。
その質問に対する回答者は一名いました。以下回答を転載。
「西海パールシーリゾート」くらいしか無いのです・・・・・。 ハウステンボスしか無いところなのよ。
そうですか、佐世保にはハウステンボスの他には「西海パールシーリゾート」くらいしかありませんか…。
くそっ、意地でも佐世保を堪能してきてやる!!!
久しぶりのブログ更新です。
久しぶりっていっても一週間ぶりぐらいなんですが。
それでもブログの書き方を忘れ、何が書きたいのかもわからなくなってしまいましたよ。
書くネタ自体はないことはないんですけれど。
そんなわけでいつにも増して駄文、雑文かもしれませんが、ご容赦、お付き合いお願いします。
たまに、ですが、ブログのアドレスで検索をかけることがあります(ブログ名で検索することもある)。
やっぱり自分のブログが世間でどのように評価されているのか、気になるじゃないですか(といっても評価以前に目に留まることすらほとんどないんですが)。
もしかしたら、2chあたりで「こいつのブログを荒らしてやろうぜ!」とかトピックを立てられていたら怖いですし(被害妄想乙)。
当然検索の第一位は自分のブログなんですが(そりゃ当たり前)、中には自分のブログの記事を取り上げてくださる方もいたりします。こちら。
何の記事を取り上げてくれたんだろうと思ったら、以前、一度玉砕した連鶴の作品に、再チャレンジして完成させた、という記事でした。こちら。
そっか、注目してくれた人もいたのか…。
あの記事は、というかあの作品は、自分としてはかなり苦労して完成させたんですけど、ブログでも、そしてミクシィのコミュでも、恐ろしく反応が薄くて、すごく凹んだんです。もう連鶴なんてやってられない!って思いました(それ以来実際まったく作ってない)。
注目してるんなら注目してるって一言言ってくれないと、こっちとしてはやる気が出ないんですよね。お願いだから、いいと思ったんなら「いいですね!」って一言コメントしてもらいたいです。
これは何も連鶴作りだけにいえることではなく、小説の創作においてもそうですね。
少し前にマイミクのある方から、「どうして小説を書かなくなっちゃったんですか?」って質問されたことがあったんですけど、それに対する答えは明快で、それは「誰も自分が小説を書くことを望んでいないから」です。
お話のプロットだけなら何本もあります。でもそれを誰もが小説として楽しめるために文章化するのにはすごい手間暇がかかります。
誰も望んでいないのに、そんな苦労をするのは馬鹿馬鹿しくてやってられないですからね。
純粋に自分が楽しむためだけにお話を作るのであれば、頭の中で空想/妄想してればいいだけのことですから。
これまでホームページやブログで発表した作品は誰かのために、もしくは何かしら要望があって書いたものばかりです。
純粋に自分だけが楽しむために書いた作品、というものはありません。
自分は極端なのかもしれませんが、表現者、もしくは創作者というものは多かれ少なかれそうなんじゃないかと思います。
誰かに楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい、そう思うからこそ苦労して作品を生み出し、発表するんじゃないかな。
先日、親しくなったマイミクの方に、よかったら過去に小説を書いてたんで読んでもらえませんか、ってメッセージを送ったんですけど、軽くスルーされちゃいました。
でも、、、残念ではあっても仕方ないことかなって思います。
普段小説を読まないという人に、ネット小説を読め!というのは苦痛でしかないですからね。
しかも読んだあとに何かしら感想を述べなくちゃいけませんし。
そんなわけで自分は小説を書かない(書かなくなった)のです。
復帰早々、やたら暗い内容の記事を書いちゃいましたね。笑。
まぁそれも自分らしいかなって思います。
ブログはこれからも頻繁に書いていくつもりです。
どうしても書きたい!っていう欲求はないんですけど、他にやりたいことが何もないもので。。。
久しぶりっていっても一週間ぶりぐらいなんですが。
それでもブログの書き方を忘れ、何が書きたいのかもわからなくなってしまいましたよ。
書くネタ自体はないことはないんですけれど。
そんなわけでいつにも増して駄文、雑文かもしれませんが、ご容赦、お付き合いお願いします。
たまに、ですが、ブログのアドレスで検索をかけることがあります(ブログ名で検索することもある)。
やっぱり自分のブログが世間でどのように評価されているのか、気になるじゃないですか(といっても評価以前に目に留まることすらほとんどないんですが)。
もしかしたら、2chあたりで「こいつのブログを荒らしてやろうぜ!」とかトピックを立てられていたら怖いですし(被害妄想乙)。
当然検索の第一位は自分のブログなんですが(そりゃ当たり前)、中には自分のブログの記事を取り上げてくださる方もいたりします。こちら。
何の記事を取り上げてくれたんだろうと思ったら、以前、一度玉砕した連鶴の作品に、再チャレンジして完成させた、という記事でした。こちら。
そっか、注目してくれた人もいたのか…。
あの記事は、というかあの作品は、自分としてはかなり苦労して完成させたんですけど、ブログでも、そしてミクシィのコミュでも、恐ろしく反応が薄くて、すごく凹んだんです。もう連鶴なんてやってられない!って思いました(それ以来実際まったく作ってない)。
注目してるんなら注目してるって一言言ってくれないと、こっちとしてはやる気が出ないんですよね。お願いだから、いいと思ったんなら「いいですね!」って一言コメントしてもらいたいです。
これは何も連鶴作りだけにいえることではなく、小説の創作においてもそうですね。
少し前にマイミクのある方から、「どうして小説を書かなくなっちゃったんですか?」って質問されたことがあったんですけど、それに対する答えは明快で、それは「誰も自分が小説を書くことを望んでいないから」です。
お話のプロットだけなら何本もあります。でもそれを誰もが小説として楽しめるために文章化するのにはすごい手間暇がかかります。
誰も望んでいないのに、そんな苦労をするのは馬鹿馬鹿しくてやってられないですからね。
純粋に自分が楽しむためだけにお話を作るのであれば、頭の中で空想/妄想してればいいだけのことですから。
これまでホームページやブログで発表した作品は誰かのために、もしくは何かしら要望があって書いたものばかりです。
純粋に自分だけが楽しむために書いた作品、というものはありません。
自分は極端なのかもしれませんが、表現者、もしくは創作者というものは多かれ少なかれそうなんじゃないかと思います。
誰かに楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい、そう思うからこそ苦労して作品を生み出し、発表するんじゃないかな。
先日、親しくなったマイミクの方に、よかったら過去に小説を書いてたんで読んでもらえませんか、ってメッセージを送ったんですけど、軽くスルーされちゃいました。
でも、、、残念ではあっても仕方ないことかなって思います。
普段小説を読まないという人に、ネット小説を読め!というのは苦痛でしかないですからね。
しかも読んだあとに何かしら感想を述べなくちゃいけませんし。
そんなわけで自分は小説を書かない(書かなくなった)のです。
復帰早々、やたら暗い内容の記事を書いちゃいましたね。笑。
まぁそれも自分らしいかなって思います。
ブログはこれからも頻繁に書いていくつもりです。
どうしても書きたい!っていう欲求はないんですけど、他にやりたいことが何もないもので。。。
先週の土曜日、会社の近くのこじゃれたフレンチレストランでお昼を食べました。
そこは民家を改装したお店で、よくこんなところにお店を構えようと思ったな、と感心するような住宅街の一角にあります。
デザートしか写真を撮らなかったんですけど、デザートだけでも、レモンプリン、ロールケーキ、ジェラート、生チョコと結構豪勢なことがわかってもらえると思えます。
これでランチが¥1260っていうのはかなりリーズナブルなのではないでしょうか?
カップルで行くには最適なお店じゃないかな、ま、自分は男二人で行ったけどな!!
遠くに逝きたい、って思ってます。
あ、間違えた。
行きたい、だ。
ま、大した違いはないけど。
七月は三連休があるじゃないですか。
その三連休で遠出をしたいと思ってるのです。
三連休、ひたすら家でスーファミの『風来のシレン』をプレイする、っていうのも一向に構わないんですが、さすがに連休の間家から一歩も出ないというのは精神衛生上よろしくないだろうということで出かけることにした次第です。
本当なら近場の田主丸辺りでブルーベリー狩りをするぐらいでいいんですが、そういったイベントは一人じゃ出来ないですからね。
まぁ世の中一人カラオケも市民権を得てきてるみたいだし、一人ブルーベリー狩り、やってみるか!
嘘です。
やらないよ。
そこまで自虐的にはなりたくない。
そんなわけで愛車のフィットに乗って一人でどこか遠くに行こうと思っているのです。
ってそれも充分自虐的か…。
ほっといてくれ!!
候補地は、ゴールデンウイークに大分の佐伯に、その前が宮崎の高千穂に行ったので、今回は長崎の佐世保か、平戸にでも行ってみようかなと思っています。
といっても別段佐世保にも平戸にも然して興味があるわけではありません。
自分はこの地球上に行ってみたい場所、見てみたいものがありません。
ニューヨークのブロードウェーも、エジプトのピラミッドも、モンゴルの大平原も、アラスカのオーロラも、特に惹かれることがない。
でも、逆にいうと、行ったことのない場所、見たことないものであれば、どこに行っても、何を見ても楽しめる自信があります。
実際、佐伯も、高千穂も、さらにその前の島原も、それなりに楽しかったですから。
だから、佐世保であれ、平戸であれ、行ったらきっと楽しいだろうなとは思うのですが、、、まぁどうでしょうね。
いつもの如くテキトーに計画を立てています。
宿とか取れるんかいな…。
あ、間違えた。
行きたい、だ。
ま、大した違いはないけど。
七月は三連休があるじゃないですか。
その三連休で遠出をしたいと思ってるのです。
三連休、ひたすら家でスーファミの『風来のシレン』をプレイする、っていうのも一向に構わないんですが、さすがに連休の間家から一歩も出ないというのは精神衛生上よろしくないだろうということで出かけることにした次第です。
本当なら近場の田主丸辺りでブルーベリー狩りをするぐらいでいいんですが、そういったイベントは一人じゃ出来ないですからね。
まぁ世の中一人カラオケも市民権を得てきてるみたいだし、一人ブルーベリー狩り、やってみるか!
嘘です。
やらないよ。
そこまで自虐的にはなりたくない。
そんなわけで愛車のフィットに乗って一人でどこか遠くに行こうと思っているのです。
ってそれも充分自虐的か…。
ほっといてくれ!!
候補地は、ゴールデンウイークに大分の佐伯に、その前が宮崎の高千穂に行ったので、今回は長崎の佐世保か、平戸にでも行ってみようかなと思っています。
といっても別段佐世保にも平戸にも然して興味があるわけではありません。
自分はこの地球上に行ってみたい場所、見てみたいものがありません。
ニューヨークのブロードウェーも、エジプトのピラミッドも、モンゴルの大平原も、アラスカのオーロラも、特に惹かれることがない。
でも、逆にいうと、行ったことのない場所、見たことないものであれば、どこに行っても、何を見ても楽しめる自信があります。
実際、佐伯も、高千穂も、さらにその前の島原も、それなりに楽しかったですから。
だから、佐世保であれ、平戸であれ、行ったらきっと楽しいだろうなとは思うのですが、、、まぁどうでしょうね。
いつもの如くテキトーに計画を立てています。
宿とか取れるんかいな…。
マシュー・ヴォーン監督、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』7/2、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2011年23本目。
公開から三週間遅れですが、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を観てきました。
通常こういった大作映画は公開日初日に観るか、その翌日に観ることが多いんですけどね。
元々『X-MEN』シリーズがそんなに好きではなかったので、最初はスルーしようかと思っていたのですが、やたらネットでの評判がいいのと、公開後に監督が『キックアス』のマシュー・ヴォーンであることに気づいて、慌ててみてきました。
で、感想ですが、、、いや、面白い!さすがはマシュー・ヴォーン!!
もっと早く、出来れば公開直後に観に行けばよかったです。
まさにこれが「公開先に立たず」ですね(座布団、持っていかないで!!)。
アメコミを原作とするこの手のヒーローアクションものは、得てして深いテーマがあったりするものです。
例えば『スーパーマン』は絶対的な力を持つ者の孤独を描いた作品だと思いますし、『スパイダーマン』でよくいわれるのは「大いなる力には大いなる責任が伴う」という格言です。
本作で問われるのは、「他人と違うことは悪いことなのか?」ということです。
本作の登場人物はミュータントなのですから、もちろん一般人と外見も能力も違いがあるのですが、この問題そのものは何もミュータントに限ったものではないですよね。
我々も様々な「他人との違い」によって悩まされ、その深さ、方向性、解決法もまた様々です。
本作のミュータントたちも同様に、さほど悩んでない(ように見える)者、他人との違いに死ぬほど悩み、“普通”の存在になろうと足掻く者、最終的に他人との違いを受け入れ、むしろそれを誇りとする者と様々です。
「他人と違うことは悪いことなのか?」と問われれば、「いや、悪いことではない」と答えるのが、道徳的といえるでしょう。
しかし現実の社会には「他人との違い」を起因とした差別があります。
いわれのない差別など、する方が悪いに決まってますが、だからといってすべての被差別者がそれに立ち向かっていけるほど強いというわけではないですよね。
差別的な社会を容認して、自らの内の「他人との違い」を矯正する人がいたとしても、それは責められるものではないと思います。
本作ではビーストが自らの容姿を必要以上に気にするあまり、「普通」になろうとある行動を起こすのですが、、、それが(二重の意味で)思わぬ結果を招いて、観ていて悲しかったです。
何か重い話になっちゃいましたね。笑。
でも本作は単純にアクションエンターティメントとしても非常によく出来ていますから、単純に楽しむことも出来ると思います。
公開から日が経つので、公開終了まで間がないかもしれませんが、観ようかどうしようか迷っている方、何を観るか悩んでる方には本作はお薦めです。
お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
公開から三週間遅れですが、『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』を観てきました。
通常こういった大作映画は公開日初日に観るか、その翌日に観ることが多いんですけどね。
元々『X-MEN』シリーズがそんなに好きではなかったので、最初はスルーしようかと思っていたのですが、やたらネットでの評判がいいのと、公開後に監督が『キックアス』のマシュー・ヴォーンであることに気づいて、慌ててみてきました。
で、感想ですが、、、いや、面白い!さすがはマシュー・ヴォーン!!
もっと早く、出来れば公開直後に観に行けばよかったです。
まさにこれが「公開先に立たず」ですね(座布団、持っていかないで!!)。
アメコミを原作とするこの手のヒーローアクションものは、得てして深いテーマがあったりするものです。
例えば『スーパーマン』は絶対的な力を持つ者の孤独を描いた作品だと思いますし、『スパイダーマン』でよくいわれるのは「大いなる力には大いなる責任が伴う」という格言です。
本作で問われるのは、「他人と違うことは悪いことなのか?」ということです。
本作の登場人物はミュータントなのですから、もちろん一般人と外見も能力も違いがあるのですが、この問題そのものは何もミュータントに限ったものではないですよね。
我々も様々な「他人との違い」によって悩まされ、その深さ、方向性、解決法もまた様々です。
本作のミュータントたちも同様に、さほど悩んでない(ように見える)者、他人との違いに死ぬほど悩み、“普通”の存在になろうと足掻く者、最終的に他人との違いを受け入れ、むしろそれを誇りとする者と様々です。
「他人と違うことは悪いことなのか?」と問われれば、「いや、悪いことではない」と答えるのが、道徳的といえるでしょう。
しかし現実の社会には「他人との違い」を起因とした差別があります。
いわれのない差別など、する方が悪いに決まってますが、だからといってすべての被差別者がそれに立ち向かっていけるほど強いというわけではないですよね。
差別的な社会を容認して、自らの内の「他人との違い」を矯正する人がいたとしても、それは責められるものではないと思います。
本作ではビーストが自らの容姿を必要以上に気にするあまり、「普通」になろうとある行動を起こすのですが、、、それが(二重の意味で)思わぬ結果を招いて、観ていて悲しかったです。
何か重い話になっちゃいましたね。笑。
でも本作は単純にアクションエンターティメントとしても非常によく出来ていますから、単純に楽しむことも出来ると思います。
公開から日が経つので、公開終了まで間がないかもしれませんが、観ようかどうしようか迷っている方、何を観るか悩んでる方には本作はお薦めです。
お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
トッド・フィリップス監督、『ハング・オーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える』、7/2、ワーナー・マイカル・シネマズ筑紫野にて鑑賞。2011年22本目。
ヒットした映画の続編が作られることは必ずしも嫌いではありませんが、嫌いな続編映画というものはあります。
例えば『ダイ・ハード2』や『スピード2』がそれに当たります。
これらの続編映画の何が嫌いなのか?
出来がどうこうというわけじゃないんですよ。
前作で様々なトラブルを乗り越え、紆余曲折の末に結ばれたカップルが、新作では関係がリセットされて、赤の二人になってるってことがどうにも受け入れがたいんですよね。
前作を鑑賞した際、二人が生き残ってよかった、二人が結ばれてよかった、そう思った自分は何だったんだよ、って思っちゃうのです。
で、本作ですよ。
前作『ハング・オーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』において、歯科医のスティはヤリマンで高慢な彼女と別れ、一夜限りの相手のはずだったストリッパーのジェイドに愛の告白をします。
この告白のシーンはすごくいいなと思いましたし、二人がこれから幸せになればいいなと祝福してあげたくもなりました。
なのに、本作ではジェイドのことはまるでなかったことになっていて、ステュはタイ人のロレーンと結婚式を挙げるのです。
おいおい、ちょっと待てよ、と言いたい。
いろいろ脚本上の理由があったんだろうとは思います。もしかしたらキャスティングのトラブルがあったのかもしれない。
でもどのような理由があるにせよ、前作でステュとジェイドのことを祝福した者にとっては、二人は結局結ばれず、ステュはこのたび別の女性と結婚することになりました!では到底納得できるものではありません。
なぜ二人が結ばれなかったのか、きちんと納得のいく説明をして欲しいです。
難しいことを言ってるのかもしれませんが、その問題がクリアされてない以上、自分は本作に対して、高い評価をすることは出来ません。
あと、前作ではギリギリのラインに踏みとどまってすべてのエピソードを笑いのネタにしていたと思うんですけど、本作ではそれが一線を越えちゃったというか、DVDを購入するぐらい前作が好きな自分でも(廉価版だけど)、ちょっとそれはないよな、と思いたくなるシーンがありました。
ヤクのやり過ぎで人が死んでも、おふざけが過ぎて指を切り落としても、ここはバンコクだから(ドンマイ♪)の一言で済ませちゃうのはさすがにね…。
まぁでも基本的に前作を踏襲している作品なので、前作が面白かったという人は観ても損はないと思います。
お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
ヒットした映画の続編が作られることは必ずしも嫌いではありませんが、嫌いな続編映画というものはあります。
例えば『ダイ・ハード2』や『スピード2』がそれに当たります。
これらの続編映画の何が嫌いなのか?
出来がどうこうというわけじゃないんですよ。
前作で様々なトラブルを乗り越え、紆余曲折の末に結ばれたカップルが、新作では関係がリセットされて、赤の二人になってるってことがどうにも受け入れがたいんですよね。
前作を鑑賞した際、二人が生き残ってよかった、二人が結ばれてよかった、そう思った自分は何だったんだよ、って思っちゃうのです。
で、本作ですよ。
前作『ハング・オーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』において、歯科医のスティはヤリマンで高慢な彼女と別れ、一夜限りの相手のはずだったストリッパーのジェイドに愛の告白をします。
この告白のシーンはすごくいいなと思いましたし、二人がこれから幸せになればいいなと祝福してあげたくもなりました。
なのに、本作ではジェイドのことはまるでなかったことになっていて、ステュはタイ人のロレーンと結婚式を挙げるのです。
おいおい、ちょっと待てよ、と言いたい。
いろいろ脚本上の理由があったんだろうとは思います。もしかしたらキャスティングのトラブルがあったのかもしれない。
でもどのような理由があるにせよ、前作でステュとジェイドのことを祝福した者にとっては、二人は結局結ばれず、ステュはこのたび別の女性と結婚することになりました!では到底納得できるものではありません。
なぜ二人が結ばれなかったのか、きちんと納得のいく説明をして欲しいです。
難しいことを言ってるのかもしれませんが、その問題がクリアされてない以上、自分は本作に対して、高い評価をすることは出来ません。
あと、前作ではギリギリのラインに踏みとどまってすべてのエピソードを笑いのネタにしていたと思うんですけど、本作ではそれが一線を越えちゃったというか、DVDを購入するぐらい前作が好きな自分でも(廉価版だけど)、ちょっとそれはないよな、と思いたくなるシーンがありました。
ヤクのやり過ぎで人が死んでも、おふざけが過ぎて指を切り落としても、ここはバンコクだから(ドンマイ♪)の一言で済ませちゃうのはさすがにね…。
まぁでも基本的に前作を踏襲している作品なので、前作が面白かったという人は観ても損はないと思います。
お気に入り度は★★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。