もう半年ほど前のことになりますが、『キック・アス』のレビュー記事を書いた際、自分は映画の内容そっちのけで福岡県民の県民性について以前から思っていたことを言いたい放題に言いました。
なぜそんなことをしたかというと、どんなに面白い映画であっても、それを上映している映画館の存在自体を知らなければ、この場合は『キック・アス』を上映していたシネ・リーブル博多のことですが、意味がないって思ったからです。
で、ついでに他にもどーにかした方がいいんじゃないかと思っていたことを書いたわけです。
シネ・リーブル博多の認知度の低さについての記事を書いてしばらくしてから、実際シネ・リーブル博多が閉館しちゃうのですから、我ながら先を見る目があるのかないのか、、、まぁ先を見る目があったとしても空しいばかりですが。
まぁともかく、その記事は内容が内容だけに出来るだけ挑発的な口調を心がけて書きました。
そうするべきだと思ったのです。
荒らされるのを覚悟で書きました。
が、しかし、、、挑発的な口調で書いた割にはまったく反応がなくて、このときは、やっぱり自分には他人を挑発するような行為は向いてないんだなぁと思ったんですが。
今から二週間ぐらい前に、よーやく、おそらく福岡県民と思われる方からコメントがありました。
はっきり言わせてもらうと、遅い、です。どーせならもっと早くにそのコメントが欲しかった。
で、その方から、映画と福岡県民の県民性に何の関係があるのか?というもっともな意見をもらったので、今日は映画とは切り離して、飲酒運転についてのみ話をしてみたいと思います。
実際飲酒運転をする輩を、どれほどバカだ、アホだと罵ったところで、それは言い過ぎだ、という人はいないでしょう。
なのでその人たちのことについてはこれ以上何も言いません。共通認識だと思うので。
福岡県では毎週のように飲酒運転撲滅運動が行われています。
どこぞの幼稚園児を引っ張り出してきて、ドライバーに「飲酒運転はやめて♪」と呼びかけさせています。
はっきりいわせてもらうと飲酒運転撲滅運動って無駄なんじゃないですかね。
酒を飲むってことは酔っぱらうということであり、酔っぱらうというのは理性を無くすということです。理性のない人間に「酒を飲んだら運転は止めましょう」と正論を述べたところでまったくの無駄ではないかと思うのです。
酔っ払いというのは自分が酔っぱらっているということが自覚できない人間なのですから。
飲酒運転撲滅運動というものは、自分たちはこんなに飲酒運転を無くそうとしているぞ!という単なるパフォーマンスではないかと思えるのです。
まぁパフォーマンスはパフォーマンスでも構わないのですが…。
大学の授業で喫煙に関する講義がありました。
九十分間煙草による弊害をつらつら説明していた講師が授業の終わり際、こうのたまうんです。
喫煙に関する授業の後の一服が上手い、と。
九十分間ひたすら煙草のことを考え続けると、煙草が吸いたくて吸いたくて仕方がなくなる。
同じことが飲酒運転撲滅運動に関してもいえるのではないでしょうか。
飲酒運転をやめようと呼び掛けることが逆に飲酒運転を増やしている。
考えすぎであればいいですけどね。
飲酒運転のことについて考えるときに自分が一番腹が立つのは、実際に飲酒運転をする輩ではなく、飲酒運転撲滅運動を繰り広げる関係者でもなかったりします。
一番腹が立つのはその他大勢です。
タイトルにある通り、飲酒運転を無くすのは簡単なことです。
車にアルコールチェッカーを装備して、呼気にアルコールを検知したら、車が動かないようにすればいい。それだけです。
車にアルコールチェッカーを装備すれば、当然その実費がかかります。精度と普及率によっても違うでしょうが、一万円か二万円といったところでしょう。
世の運転手のほとんどが、この出費を厭うのです。飲酒運転をしない自分がなぜそんなお金を負担しなければならない、と。
飲酒運転をする輩は底なしの馬鹿である、と断言してよいでしょう。
飲酒運転撲滅運動の関係者もあまり頭がいいとは思えない。
でも、アルコールチェッカーを装備することをごねる、一般ドライバーも上記の二者に頭の悪さでは引けを取らない、と思うのです。自分は、そして自分の家族は、飲酒運転の事故による被害者にはならない、と考えている時点で。
福岡県は今年もブッチギリで飲酒運転による事故数で独走しているようです。
県議会はどうやら罰則を盛り込んだ条例を作ることで、全国ワースト一位の座を返上したいようですが、罰則を強化すれば飲酒運転が減ると考えてる時点で、こりゃ無理だな、と思います。
飲酒運転についてつらつら考えていたらまたお酒が飲みたくなりました。
ビールを切らしているのでちょっとそこのコンビニまで車で行ってきます。
こんな蒸し暑い夜は一刻も早くビールを口にしたいです。
もうそのこと以外考えられません。。。嘘。
なぜそんなことをしたかというと、どんなに面白い映画であっても、それを上映している映画館の存在自体を知らなければ、この場合は『キック・アス』を上映していたシネ・リーブル博多のことですが、意味がないって思ったからです。
で、ついでに他にもどーにかした方がいいんじゃないかと思っていたことを書いたわけです。
シネ・リーブル博多の認知度の低さについての記事を書いてしばらくしてから、実際シネ・リーブル博多が閉館しちゃうのですから、我ながら先を見る目があるのかないのか、、、まぁ先を見る目があったとしても空しいばかりですが。
まぁともかく、その記事は内容が内容だけに出来るだけ挑発的な口調を心がけて書きました。
そうするべきだと思ったのです。
荒らされるのを覚悟で書きました。
が、しかし、、、挑発的な口調で書いた割にはまったく反応がなくて、このときは、やっぱり自分には他人を挑発するような行為は向いてないんだなぁと思ったんですが。
今から二週間ぐらい前に、よーやく、おそらく福岡県民と思われる方からコメントがありました。
はっきり言わせてもらうと、遅い、です。どーせならもっと早くにそのコメントが欲しかった。
で、その方から、映画と福岡県民の県民性に何の関係があるのか?というもっともな意見をもらったので、今日は映画とは切り離して、飲酒運転についてのみ話をしてみたいと思います。
実際飲酒運転をする輩を、どれほどバカだ、アホだと罵ったところで、それは言い過ぎだ、という人はいないでしょう。
なのでその人たちのことについてはこれ以上何も言いません。共通認識だと思うので。
福岡県では毎週のように飲酒運転撲滅運動が行われています。
どこぞの幼稚園児を引っ張り出してきて、ドライバーに「飲酒運転はやめて♪」と呼びかけさせています。
はっきりいわせてもらうと飲酒運転撲滅運動って無駄なんじゃないですかね。
酒を飲むってことは酔っぱらうということであり、酔っぱらうというのは理性を無くすということです。理性のない人間に「酒を飲んだら運転は止めましょう」と正論を述べたところでまったくの無駄ではないかと思うのです。
酔っ払いというのは自分が酔っぱらっているということが自覚できない人間なのですから。
飲酒運転撲滅運動というものは、自分たちはこんなに飲酒運転を無くそうとしているぞ!という単なるパフォーマンスではないかと思えるのです。
まぁパフォーマンスはパフォーマンスでも構わないのですが…。
大学の授業で喫煙に関する講義がありました。
九十分間煙草による弊害をつらつら説明していた講師が授業の終わり際、こうのたまうんです。
喫煙に関する授業の後の一服が上手い、と。
九十分間ひたすら煙草のことを考え続けると、煙草が吸いたくて吸いたくて仕方がなくなる。
同じことが飲酒運転撲滅運動に関してもいえるのではないでしょうか。
飲酒運転をやめようと呼び掛けることが逆に飲酒運転を増やしている。
考えすぎであればいいですけどね。
飲酒運転のことについて考えるときに自分が一番腹が立つのは、実際に飲酒運転をする輩ではなく、飲酒運転撲滅運動を繰り広げる関係者でもなかったりします。
一番腹が立つのはその他大勢です。
タイトルにある通り、飲酒運転を無くすのは簡単なことです。
車にアルコールチェッカーを装備して、呼気にアルコールを検知したら、車が動かないようにすればいい。それだけです。
車にアルコールチェッカーを装備すれば、当然その実費がかかります。精度と普及率によっても違うでしょうが、一万円か二万円といったところでしょう。
世の運転手のほとんどが、この出費を厭うのです。飲酒運転をしない自分がなぜそんなお金を負担しなければならない、と。
飲酒運転をする輩は底なしの馬鹿である、と断言してよいでしょう。
飲酒運転撲滅運動の関係者もあまり頭がいいとは思えない。
でも、アルコールチェッカーを装備することをごねる、一般ドライバーも上記の二者に頭の悪さでは引けを取らない、と思うのです。自分は、そして自分の家族は、飲酒運転の事故による被害者にはならない、と考えている時点で。
福岡県は今年もブッチギリで飲酒運転による事故数で独走しているようです。
県議会はどうやら罰則を盛り込んだ条例を作ることで、全国ワースト一位の座を返上したいようですが、罰則を強化すれば飲酒運転が減ると考えてる時点で、こりゃ無理だな、と思います。
飲酒運転についてつらつら考えていたらまたお酒が飲みたくなりました。
ビールを切らしているのでちょっとそこのコンビニまで車で行ってきます。
こんな蒸し暑い夜は一刻も早くビールを口にしたいです。
もうそのこと以外考えられません。。。嘘。