世の中にはネタバレが苦手という人が多いようです(こちら)。
自分はというとまったくネタバレを気にしないですね。
何ならオチまでしっかりとわかった上で映画を見る、ということもあるぐらいです。
なぜネタバレを気にしないのか?
理由はいくつかあります。
まず、数え切れないぐらいの映画が公開される中で、どの映画を観て、どの映画を観ないかは、ある程度情報を仕入れた上で判断しなければいけません。
そしてその情報自体がすでにネタバレである可能性は否定できないんですよね。
例えば『ショーシャンクの空に』。
自分が大好きな映画ですが、Amazonの商品紹介ではこう書いてあります。
妻とその愛人殺しの容疑で終身刑の判決を受ける、銀行マンのアンディ。無実の罪ながら投獄されるが、決して希望を捨てず、自由を得られる明日を信じ続ける。一方、古株の囚人レッドはそんなアンディに、「刑務所で希望をもつのは禁物」だと忠告する。アンディとレッドの友情を中心に、ショーシャンク刑務所で生きる男たちのさまざまな人間模様を描いていく。人生の不条理や悲しみを問いかけながらも、たどり着くラストシーンは見る者の胸をさわやかに、だが強く打つ。
無実の罪ながら?
アンディが妻と愛人を本当に殺したのかどうかは、最初のうちはよくわからないんですよ。そういうふうに演出されています。
にもかかわらず、紹介文でアンディが無実だなどと書くのは大いなるネタバレといってよいです。
この紹介文を書いた人はアンディが無実だと書いたことがネタバレになるとはまったく思っていないのでしょう。
どこからがネタバレとなり、どこまでがネタバレにならないか、その判断は人それぞれで非常に難しく、極端な話、それを気にしていては感想すら語れません。
だから自分はネタバレを気にしないのです。
しかしもっと大きな理由があります。
それは真の傑作はネタバレを気にしないとということです。
傑作とはどんな作品を指すのでしょう?
その定義は人それぞれだと思いますが、自分は傑作とは再鑑賞が可能な作品のことだと思っています。
再鑑賞の際、当然その映画のストーリーはわかりきっています。どのようなクライマックスを迎えるかも、そしてどんな結末なのかもわかっています。
しかしそれらがわかった上で、傑作はこの後どうなるのだろう?どんな結末を迎えるのだろう?と見ていてハラハラドキドキします。
一度や二度見たぐらいでハラハラドキドキ感が半減する映画は最初からその程度の映画なのだ、自分はそう思います。
まぁ偉そうなことを言ってしまいましたが、再鑑賞の際、初見の時と同様に感動できるのは、もしかしたら単純に記憶力の問題なのかもしれない、と思ったりもしますけどね。
そうでないことを願わずにいられません。
自分はというとまったくネタバレを気にしないですね。
何ならオチまでしっかりとわかった上で映画を見る、ということもあるぐらいです。
なぜネタバレを気にしないのか?
理由はいくつかあります。
まず、数え切れないぐらいの映画が公開される中で、どの映画を観て、どの映画を観ないかは、ある程度情報を仕入れた上で判断しなければいけません。
そしてその情報自体がすでにネタバレである可能性は否定できないんですよね。
例えば『ショーシャンクの空に』。
自分が大好きな映画ですが、Amazonの商品紹介ではこう書いてあります。
妻とその愛人殺しの容疑で終身刑の判決を受ける、銀行マンのアンディ。無実の罪ながら投獄されるが、決して希望を捨てず、自由を得られる明日を信じ続ける。一方、古株の囚人レッドはそんなアンディに、「刑務所で希望をもつのは禁物」だと忠告する。アンディとレッドの友情を中心に、ショーシャンク刑務所で生きる男たちのさまざまな人間模様を描いていく。人生の不条理や悲しみを問いかけながらも、たどり着くラストシーンは見る者の胸をさわやかに、だが強く打つ。
無実の罪ながら?
アンディが妻と愛人を本当に殺したのかどうかは、最初のうちはよくわからないんですよ。そういうふうに演出されています。
にもかかわらず、紹介文でアンディが無実だなどと書くのは大いなるネタバレといってよいです。
この紹介文を書いた人はアンディが無実だと書いたことがネタバレになるとはまったく思っていないのでしょう。
どこからがネタバレとなり、どこまでがネタバレにならないか、その判断は人それぞれで非常に難しく、極端な話、それを気にしていては感想すら語れません。
だから自分はネタバレを気にしないのです。
しかしもっと大きな理由があります。
それは真の傑作はネタバレを気にしないとということです。
傑作とはどんな作品を指すのでしょう?
その定義は人それぞれだと思いますが、自分は傑作とは再鑑賞が可能な作品のことだと思っています。
再鑑賞の際、当然その映画のストーリーはわかりきっています。どのようなクライマックスを迎えるかも、そしてどんな結末なのかもわかっています。
しかしそれらがわかった上で、傑作はこの後どうなるのだろう?どんな結末を迎えるのだろう?と見ていてハラハラドキドキします。
一度や二度見たぐらいでハラハラドキドキ感が半減する映画は最初からその程度の映画なのだ、自分はそう思います。
まぁ偉そうなことを言ってしまいましたが、再鑑賞の際、初見の時と同様に感動できるのは、もしかしたら単純に記憶力の問題なのかもしれない、と思ったりもしますけどね。
そうでないことを願わずにいられません。
ネタバレで興味が半減するような映画はその程度の映画だとのことですが、アクション映画やスペクタクル映画ならそれでいいでしょう。でも「シックス・センス」のような映画でネタバレしてたら見る気がしないのではないですか。
衝撃的な結末のみを求めていたら、『シックスセンス』は再鑑賞するに値しない映画かもしれません。
ただ、衝撃的な結末って、単に予想外の結末を言うのではないですよね。
きちんと伏線を張り巡らし、ミスリードを利かし、その上で筋道が通った結末を用意する、その技巧がすでに芸術であるといっても過言だとは思いません。
衝撃的な結末だけでなく、そういった技巧をも楽しむのであれば、多少のネタバレは気にならないものです。
雫石さんはオチを知っていたら『シックスセンス』を見る気にはなれませんか?