自分は折紙が趣味です。
一口に折紙といっても多岐に渡るのですが(音楽が趣味というだけでは具体性に欠くのと一緒)、自分は主に創作をしています。
創作、つまり新しい作品を生み出すことですね。
他人の考えた作品を折ることはあまりありません。
新しい作品を生み出す、なんていうと「すごい!」と思われる方もいるかもしれませんが、必ずしもそうではないんですよね。
例えば新しいトランプのゲームを考えたからといって、それがすごいことなのかどうかはそのゲームの完成度、それに面白いかどうかに寄りますわね。
新しいものを考える=すごいことではないのです。
自分の創作した折紙作品を自己評価すると、悪くはないんじゃないかといったところですね。
最近の創作作品でお気に入りはこれ。

《折鶴の小箱》です。
箱の壁四面に折鶴が組み込まれている小箱です。
この作品のウリは重ねられることでしょうか。

壁の上辺のへりと下辺のへこみの角度がたまたま同じだったんですよね。
もちろん狙ってそう作ったわけではなく偶然なんですけどね。
そういう偶然もあるのかと創作した本人が驚きました。
さて、長くなりましたがこれからが本題。
お気に入りの作品があるということはお気に入りでない作品もあるということで、それがこれ。

《双涙》と名付けました。
二枚の紙を使った作品です。当然切込みはありません。
なぜ気に入らないかというと(見てもらったらわかると思いますが)両端がピシッと揃ってないからです。
計算では綺麗な涙の形になるはずでした。
なぜ計算通りに行かなかったかというと、一言でいえば「紙に厚さがあるから」でしょうか。
紙に厚さがある以上、外側に組み込まれた方は膨らみます。
例えば箱の外箱と内箱では外箱の方を若干大きめに作らないといけないですよね。
上手い例えじゃなくてゴメンなさい。
とにかく言いたいのは、折紙作品を創作するといっても必ずしも成功作ばかりじゃないってことです。
失敗作も当然ある。
だから、折紙の創作なんて気軽にやっていいんですよ。
既存の作品にちょこちょこっと手を加えて自分なりの新しい作品を作り出す。
頭の中に思い描いていたものを作り出した時、また全く思ってもみなかったものが出来た時のカタルシスといったらないですよ。
まぁ本当に新しい作品なのかどうかは調べないとわからない、いや時に調べてもわからないことなんですけどね。笑。
一口に折紙といっても多岐に渡るのですが(音楽が趣味というだけでは具体性に欠くのと一緒)、自分は主に創作をしています。
創作、つまり新しい作品を生み出すことですね。
他人の考えた作品を折ることはあまりありません。
新しい作品を生み出す、なんていうと「すごい!」と思われる方もいるかもしれませんが、必ずしもそうではないんですよね。
例えば新しいトランプのゲームを考えたからといって、それがすごいことなのかどうかはそのゲームの完成度、それに面白いかどうかに寄りますわね。
新しいものを考える=すごいことではないのです。
自分の創作した折紙作品を自己評価すると、悪くはないんじゃないかといったところですね。
最近の創作作品でお気に入りはこれ。

《折鶴の小箱》です。
箱の壁四面に折鶴が組み込まれている小箱です。
この作品のウリは重ねられることでしょうか。

壁の上辺のへりと下辺のへこみの角度がたまたま同じだったんですよね。
もちろん狙ってそう作ったわけではなく偶然なんですけどね。
そういう偶然もあるのかと創作した本人が驚きました。
さて、長くなりましたがこれからが本題。
お気に入りの作品があるということはお気に入りでない作品もあるということで、それがこれ。

《双涙》と名付けました。
二枚の紙を使った作品です。当然切込みはありません。
なぜ気に入らないかというと(見てもらったらわかると思いますが)両端がピシッと揃ってないからです。
計算では綺麗な涙の形になるはずでした。
なぜ計算通りに行かなかったかというと、一言でいえば「紙に厚さがあるから」でしょうか。
紙に厚さがある以上、外側に組み込まれた方は膨らみます。
例えば箱の外箱と内箱では外箱の方を若干大きめに作らないといけないですよね。
上手い例えじゃなくてゴメンなさい。
とにかく言いたいのは、折紙作品を創作するといっても必ずしも成功作ばかりじゃないってことです。
失敗作も当然ある。
だから、折紙の創作なんて気軽にやっていいんですよ。
既存の作品にちょこちょこっと手を加えて自分なりの新しい作品を作り出す。
頭の中に思い描いていたものを作り出した時、また全く思ってもみなかったものが出来た時のカタルシスといったらないですよ。
まぁ本当に新しい作品なのかどうかは調べないとわからない、いや時に調べてもわからないことなんですけどね。笑。