不思議博物館を訪問したのは、博物館自体に興味があったから、というのもあるのですが、もう一つ別に理由があって、それは何かというと自分が作った連鶴を誰かに直接見てもらいたかったのです。
しばらく前の記事で連鶴のことを書いたら、あるネットの親しい友人から「連鶴は凄いな~と思いながら見てますよ」というありがたい言葉をもらいました。
本当に嬉しかったです。
本当に、本当に嬉しかったのですが、けれど自分はその言葉をそのまま信じることは出来ませんでした。
その人の人格を疑っているのではありません。
むしろその逆で、その人の心根の優しさを知っているからこそ、その言葉はもしかしたら落ち込んでる友人への慰めの言葉なのかもしれないと思ってしまうのです。
だから、誰かに直接作品を見てもらい、その反応を見たかったのです。
連鶴を持参して初対面の人に見てもらうのは本当に緊張しました。
もし連鶴を見てもらって、その反応が「何、このゴミ?」というようなものだったら、自分はもう立ち直れないかもしれません。いや、まず間違いなく立ち直れない。
連鶴は自分にとって最後の心の支え、誇り、みたいなものなので、もし頭から否定されたら、多大な精神的ダメージを喰らってしまう…。
しかし、幸いその心配は杞憂でした。
連鶴は自分が思ったよりずっと好評でした。
他人の言葉を素直に信じることが出来ない自分でも、さすがに目の前で作品を様々な角度から覗き込んだり、首を傾げたりするのを見ると、あぁ、この人は本当に自分の作品に感心してくれているんだなって思えます。
これまでオフ会やカラオケパーティに参加しても、ここに自分の居場所はないなぁってずっと居心地の悪さばかり覚えていたんですけど、不思議博物館にいる間は、すごく居心地がよくて、久しぶりに穏やかな気持ちになれました。
毎週までは通えないけど、月一以上では訪れたいなって思っています。
しばらく前の記事で連鶴のことを書いたら、あるネットの親しい友人から「連鶴は凄いな~と思いながら見てますよ」というありがたい言葉をもらいました。
本当に嬉しかったです。
本当に、本当に嬉しかったのですが、けれど自分はその言葉をそのまま信じることは出来ませんでした。
その人の人格を疑っているのではありません。
むしろその逆で、その人の心根の優しさを知っているからこそ、その言葉はもしかしたら落ち込んでる友人への慰めの言葉なのかもしれないと思ってしまうのです。
だから、誰かに直接作品を見てもらい、その反応を見たかったのです。
連鶴を持参して初対面の人に見てもらうのは本当に緊張しました。
もし連鶴を見てもらって、その反応が「何、このゴミ?」というようなものだったら、自分はもう立ち直れないかもしれません。いや、まず間違いなく立ち直れない。
連鶴は自分にとって最後の心の支え、誇り、みたいなものなので、もし頭から否定されたら、多大な精神的ダメージを喰らってしまう…。
しかし、幸いその心配は杞憂でした。
連鶴は自分が思ったよりずっと好評でした。
他人の言葉を素直に信じることが出来ない自分でも、さすがに目の前で作品を様々な角度から覗き込んだり、首を傾げたりするのを見ると、あぁ、この人は本当に自分の作品に感心してくれているんだなって思えます。
これまでオフ会やカラオケパーティに参加しても、ここに自分の居場所はないなぁってずっと居心地の悪さばかり覚えていたんですけど、不思議博物館にいる間は、すごく居心地がよくて、久しぶりに穏やかな気持ちになれました。
毎週までは通えないけど、月一以上では訪れたいなって思っています。