乙一原作、成海璃子主演、『きみにしか聞こえない』、ユナイテッド・シネマなかま16にて鑑賞。
恋愛映画は観ない主義だ。
なぜか?理由は簡単、恋愛映画を観るとムカムカしてくるからだ。
世の中にはホラー映画を観ると殺戮衝動に駆られる異常者がいるようだが、自分は恋愛映画を観るとチェーン・ソーを手に持って幸せそうなカップルを後ろから襲いたくなる。もしくは駅前の雑踏でマシンガンを乱射したくなる。もしくは日本刀を片手に(以下略)。
だが残念なことにというべきか、幸いなことにというべきか、チェーン・ソーもマシンガンも日本刀も手元にないので妄想を実行に移すことは出来ない。
かつてホラー映画がすべての諸悪の根源とばかりに規制の対象となったが(それは今もだけれど)、どうだろう、恋愛映画を観て異常行為に走る奴がいたら、恋愛映画は規制の対象となりうるのだろうか?
まぁ常識的に考えてならないだろう。その場合罪を問われるのは100パーセント罪を犯した異常者の方だ。
結局のところなぜホラー映画が規制の対象となるのかというと、ホラー映画が異常者を生み出すと考えた方が気が楽になる人が世の中には大勢いるからだ。
残念ながらそうじゃあない。
もっとも気が楽になりたいっていう気持ちはわからないでもない。
さて、異常者たる自覚のある自分は、世のため人のため、もしくは幸せそうなカップルのため、可能な限り恋愛映画は観ないように努めているのだが、この『きみにしか聞こえない』は公開前から観に行く気満々だった。
それはなぜかというと成海璃子の熱烈なファンであるから、、、ではなく、原作者である乙一のファンだったからだ。
乙一ファン歴は長い。このブログの記事をどれぐらいの人が読むのかは知らないが、その中でも一、二を争うぐらいのファン歴は長いのではないかと思う。何しろ彼のデビュー作である『夏と花火と私の死体』を始め、ほとんどの著作の初版本を持っている。
持っていないのは新書版が文庫化されたものとあとは人に貸して返って来なかった『暗いところで待ち合わせ』だけだ。
まったく、人に本を借りて返さないヤツは死ね!!
などと書くと真っ先に自分も死なないといけないわけだが。
ともかく、熱烈な乙一ファンとしては観に行かないわけにはいかないのだ。
さて、肝心の映画の感想だが、、、よかった。異常者たる自覚のある自分でさえも危うくうるっと来そうになった。ごく真っ当な感性の持ち主であれば号泣必至だろう。
映画は原作に比べ、一つだけ人物設定が改変されたところがあるのだが、これが非常に効果的だった。
映画化に際しての原作の改変、大概の場合、何で変えにゃならんかったの?といいたくなることが多い。同じ乙一原作の『暗いところで待ち合わせ』では主人公の男性が単なる田舎ものから中国から帰化した青年になっていた。その改変に意味があるようには思えなかった。物語的にその方が盛り上がるからというより、どちらかというとその青年を演じた香港の俳優のスケジュールを押さえられたから改変した、そんな感じだった。
だが本作の改変は非常に意味があった。小出恵介扮するシンヤがヒロインであるリョウ(成海璃子)の嘘を見抜くのに非常に上手く使われていて感心した。切なさに、思わず泣きそうになった。危く異常者として失格するところだった。
切ない恋愛物が好き、という方には必見の作品だろう。乙一ファンも充分満足できるクオリティだと思う。
ただし、上質の恋愛映画を観るとムカムカしてカップルを襲いたくなるという人は当然のことながら観に行くのを止めておいた方が世のため人のためである。
恋愛映画は観ない主義だ。
なぜか?理由は簡単、恋愛映画を観るとムカムカしてくるからだ。
世の中にはホラー映画を観ると殺戮衝動に駆られる異常者がいるようだが、自分は恋愛映画を観るとチェーン・ソーを手に持って幸せそうなカップルを後ろから襲いたくなる。もしくは駅前の雑踏でマシンガンを乱射したくなる。もしくは日本刀を片手に(以下略)。
だが残念なことにというべきか、幸いなことにというべきか、チェーン・ソーもマシンガンも日本刀も手元にないので妄想を実行に移すことは出来ない。
かつてホラー映画がすべての諸悪の根源とばかりに規制の対象となったが(それは今もだけれど)、どうだろう、恋愛映画を観て異常行為に走る奴がいたら、恋愛映画は規制の対象となりうるのだろうか?
まぁ常識的に考えてならないだろう。その場合罪を問われるのは100パーセント罪を犯した異常者の方だ。
結局のところなぜホラー映画が規制の対象となるのかというと、ホラー映画が異常者を生み出すと考えた方が気が楽になる人が世の中には大勢いるからだ。
残念ながらそうじゃあない。
もっとも気が楽になりたいっていう気持ちはわからないでもない。
さて、異常者たる自覚のある自分は、世のため人のため、もしくは幸せそうなカップルのため、可能な限り恋愛映画は観ないように努めているのだが、この『きみにしか聞こえない』は公開前から観に行く気満々だった。
それはなぜかというと成海璃子の熱烈なファンであるから、、、ではなく、原作者である乙一のファンだったからだ。
乙一ファン歴は長い。このブログの記事をどれぐらいの人が読むのかは知らないが、その中でも一、二を争うぐらいのファン歴は長いのではないかと思う。何しろ彼のデビュー作である『夏と花火と私の死体』を始め、ほとんどの著作の初版本を持っている。
持っていないのは新書版が文庫化されたものとあとは人に貸して返って来なかった『暗いところで待ち合わせ』だけだ。
まったく、人に本を借りて返さないヤツは死ね!!
などと書くと真っ先に自分も死なないといけないわけだが。
ともかく、熱烈な乙一ファンとしては観に行かないわけにはいかないのだ。
さて、肝心の映画の感想だが、、、よかった。異常者たる自覚のある自分でさえも危うくうるっと来そうになった。ごく真っ当な感性の持ち主であれば号泣必至だろう。
映画は原作に比べ、一つだけ人物設定が改変されたところがあるのだが、これが非常に効果的だった。
映画化に際しての原作の改変、大概の場合、何で変えにゃならんかったの?といいたくなることが多い。同じ乙一原作の『暗いところで待ち合わせ』では主人公の男性が単なる田舎ものから中国から帰化した青年になっていた。その改変に意味があるようには思えなかった。物語的にその方が盛り上がるからというより、どちらかというとその青年を演じた香港の俳優のスケジュールを押さえられたから改変した、そんな感じだった。
だが本作の改変は非常に意味があった。小出恵介扮するシンヤがヒロインであるリョウ(成海璃子)の嘘を見抜くのに非常に上手く使われていて感心した。切なさに、思わず泣きそうになった。危く異常者として失格するところだった。
切ない恋愛物が好き、という方には必見の作品だろう。乙一ファンも充分満足できるクオリティだと思う。
ただし、上質の恋愛映画を観るとムカムカしてカップルを襲いたくなるという人は当然のことながら観に行くのを止めておいた方が世のため人のためである。