この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ラッキー・ユー。

2007-07-02 23:27:46 | 新作映画
 カーティス・ハンソン監督、エリック・バナ主演、『ラッキー・ユー』、ユナイテッド・シネマなかま16にて鑑賞。

 鑑賞後、あぁ、映画を観た、と実感できる映画がある。
 映画を観たのであれば、そのことを実感できるのって当たり前だろ、そう思う人もいるかもしれないが、そうじゃない。
 例えば、生きているからといって、実際に生きていると実感できることなんてそうはないはずだ。
 生きていると実感できることが素晴らしいことなのであれば、映画を観たと実感できる映画もまた同じことがいえるのではないだろうか。

 先日の『ダイ・ハード4.0』のレビューで自分はこんなことを書いた。
 この映画の脚本を書いたヤツは観客はアホだと思っているアホだと。
 『ダイ・ハード4.0』は結構な興行収入を稼いでいるようだが、そのことを撤回するつもりはない。観客もまた何よりもわかりやすさを求めているということなのだろう。そのうちわかりやすさが至上の命題となって登場人物がネームプレートを胸につけるか、履歴が書かれたプラカードを掲げている映画が出来るのかもしれない。
 『ラッキー・ユー』の脚本の上手さには舌を捲いた。
 冒頭の主人公ハックと質屋の女主人の会話のシーン、ほんの五分ほどのシーンであるのに、ハックがすこぶる頭の切れる奴だということ、彼の父親がギャンブラーであること、彼と父親が上手く行っていないこと、彼が経済的に逼迫した状況にあるということ、そして何より彼が凄腕のギャンブラーであるということなどがわかるのだ。
 無論それらの情報が無理矢理詰め込まれた感は一切ない。ごく自然に、きわめてさりげなく二人の会話でわかるように脚本が書かれているのだ。
 この脚本を書いたヤツは(つまりはカーティス・ハンソン)天才だな、と冒頭のシーンを観てほとほと感心してしまった。
 登場人物の名前をわからせるために夜中の三時に隣人がドアを開けて彼の名を呼ぶどこぞのアクション映画とは偉い違いだ。

 本作は本物のギャンブル映画だ。
 ギャンブル映画に本物と偽物があるのか、と問われる方もいるかもしれないが、答えはイエスだ。
 例えば近作でいえば『007/カジノ・ロワイアル』、あの作品の中でもポーカーのシーンがあった。だが本作と比べたらいかに『007』のポーカー・シーンがお粗末だったかがわかる。『007』では先にカードが明らかになった方が必ず負けていた。一人の例外もなく。勝ち負けが事前にわかるギャンブルなど退屈以外の何ものでもない。
 その点本作は違う。主人公ハックはギャンブラーとして天才的な資質を持っているのだが、父親との確執のあまり勝負に対して冷静になれず、幾度となく勝負に敗れている。
 勝った!と思わせといて実は負けていた、というシーンが作中二度、三度ある。ここまで勝負弱いとギャンブラーとして生きていけないんじゃないか、とも思うが、だからこそポーカー・シーンは観ていて手に汗握るのだ。
 これほどの迫力のギャンブルシーンがある映画は今までなかったのではないか、そう思えるほどだ。

 脚本、ギャンブルシーン、ともにすこぶる出来がいいのだけれど、キャスティングに関してもいうことがない。
 主人公のハックは生粋のギャンブラーだ。つまり言い換えれば人間としてはきわめて最低なヤツってことになる。
 最低な奴を最低のまま演じていては観ている方としては感情移入できない。
 ギャンブラーとしては凄腕だが、人間としては最低、でも観ている側は感情移入してしまうという難しい役柄をエリック・バナはとても上手く演じていたと思う。
 そのハックの恋人であり、幸運の女神でもあるビリーをドリュー・バリモアがこれまた上手く演じていた。
 だいたいドリュー・バリモアが世間知らずのうぶな女性を演じるなんて、それだけで違和感を覚えてもいいはずなのだけれど、キュートなビリー役が彼女にピッタリなのだ。

 2007年はようやく半年が過ぎたばかりだが、『ラッキー・ユー』は間違いなく本年のベスト1作品だと思う。それどころかオールタイムでもかなりの上位に食い込むぐらいに気に入った作品だ。
 が、それなのに、本作は公開一週間目で一日一回上映という映画感がざらだ。
 それに主な映画レビューブログでもほとんど取り上げられていないようだ。
 そもそも上映館が驚くほど少ない。九州ではわずかに四館だ。
 さらにいえば本作をわずかに取り上げているブログでもそれほど評判はよろしくない。
 いわく、ポーカーのルールが今一つわからなかったので本作を楽しめなかった、云々。
 (自分もポーカーに関してはまったくの素人だが)おぃおぃっていいたくなってしまった。
 ポーカーのルールをまったく知らない人でも作品を楽しめるようにカーティス・ハンソンはビリーをポーカー初心者という設定にしてくれているのだろうに、これ以上何を望むというのだろう?
 そのうちネームプレートが胸についてないと人物の見分けがつかないって言い出す人も現れるんじゃないかって危惧してしまった。
 ともかく本作は鑑賞後映画を観たと実感させてくれる映画だ。つまり至福の時間を与えてくれる傑作だ。
 ただし、観客はアホであるという前提で脚本は書かれていないということを付け加えておく。 
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする