この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ナイトミュージアム。

2007-03-22 23:59:20 | 新作映画
 ベン・スティラー主演、『ナイトミュージアム』、3/10、Tジョイ久留米にて鑑賞。

 えっとこの作品、ざっとレビューサイトを見た限りではかなり評判がいいみたいです。
 大人も子供も単純に楽しめるファミリー映画の佳作、みたいな感じ?
 確かにその通りではあるんだけど、、、正直自分はもう一つ楽しめなかったです。
 期するものはそれなりにあったんですよ。ファンタジー映画は嫌いじゃないし、ドタバタコメディも好きだし。
 でも自分は本作を鑑賞していて脚本の荒さばかりが鼻についたかなぁ。
 例えば主人公ラリーの同僚で、伝説的なネイティブアメリカンの女性、サカジャエウァに特別な思い入れがある学芸員の女性がいるんですけどね、彼女は閉館後のサカジャエウァに会わせようというラリーの手を振り切って一度は家に帰っちゃうんですよ。
 その彼女がラリーの言葉が正しかったのを知るのは明け方近く、博物館の展示物がメインストリートへと行進しているのを見かけた、タクシーの中なんです。
 待て待て。
 何故彼女はそんな時間帯にタクシーに乗っていたんでしょうか?
 どこかに向かう途中だったのか、それとも夜中にタクシーに乗って散歩するのが彼女の趣味だったのか、それに関する説明が(確か)ないんですよね。
 他にもラリーの前任の警備員が三人いるんですけどね、本作はラリーが夜警について騒動が始まったというイメージがあります。
 もちろんそんなはずはなく、ラリーが着任する前から展示物は夜になると好き勝手に動いていた(という設定な)のですが、どう考えてもあの三人では騒ぎは収められないだろう、って気がします。
 つまり、ラリーが来る以前の博物館の夜がどうだったか、どうしてもイメージできないんですよね。ルーズベルト大統領(の蝋人形)が前任者三人とどのようなコミュニケーションを取っていたのかもこれまたさっぱりイメージが湧かない。
 ファンタジーっていうのは、他のジャンルでもそうかもしれないですけど、スクリーンに映っている部分はもちろんのこと、その枠に収まらない部分でもその世界の住人たちの息遣いが感じられないとリアリティもまた感じ取れないんですよね。この場合のリアリティっていうのは存在感と言い換えてもいいですけど。
 例えば『ロード・オブ・ザ・リング』ではスクリーンに映し出されてない、その外側にも中つ国に生きるものたちの息遣いが確かに感じ取れたし、ぐっとマイナーな作品になるけれど『ボロワーズ』でもそれは同様でした。
 でも『ナイトミュージアム』ではそれが感じ取れない。
 ラリーが着任する前夜まで毎晩展示物がどんちゃん騒ぎを起こしていたってどうしても思えないんだよなぁ。
 まぁそんな穿った見方をするのは自分ぐらいなものだと思うので、『ナイトミュージアム』、観に行っても損はしないと思いますけどね。
コメント (6)
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