ブログ 「ごまめの歯軋り」

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石母田正 著 「日本の古代国家」 岩波文庫(2017年)

2019年05月03日 | 書評
ぼたん

推古朝から大化の改新を経て律令国家の成立に至る過程を論じた7世紀日本古代国家論  第2回

序章 [日本古代史研究](その2)

本書「日本の古代国家」の詳細に入る前に、迷路に入り込まないように各章のまとめをしておこう。
第1章 「国家成立史における国際的契機」: 国際関係を国家が成立するための独立の要素と考える。アジア的な首長制では首長は共同体を代表し、地理的な要因で他国との往来が盛んになれば、その首長制=王権は強化される。7世紀の東アジアの戦争と朝鮮半島での混乱が古代日本において国家権力の集中をもたらした。それは西洋帝国主義の侵略を前にした明治維新と同じ関係にあった。7世紀後半の唐・新羅連合軍と白村江での海戦の敗北による対外危機に対応して、律令制による国家整備が喫緊の課題となった。7世紀初頭には中国大陸では随が成立し、7世紀中葉には唐の高宗による高句麗征討による東アジアの緊張の影響が大きかった。同じ時期朝鮮半島でも三国で権力集中が起き、国家整備が行われた。百済型、高句麗型、新羅型の三タイプの国家が出来上がった。推古朝の聖徳太子の「摂政」は新羅型に近い権力集中であった。その後曽我入鹿は高句麗がたの「専制」を目指した。大化の改新で実権を握った中大兄皇子は新羅型の万機総摂の権力集中を行った。天皇の称号推古朝の対随交渉の中で生まれ、朝鮮の新羅・百済を朝貢させる「大国」意識も生まれたとされる。対随・唐の関係では日本や朝鮮三国は隷属国家であることは間違いないのだが、なおその中での序列順位をめぐる「大国意識」である。
第2章 「大化改新の史的意義」: 645年乙巳の変の後、蘇我本家を滅ぼした中大兄皇子は大化改新に乗り出した。従来の歴史学では大化改新詔第1条によって、改新の目的な屯倉・田荘の停廃・収公つまり私地私民を廃して公地公民制(班田収受法へ)を実現することと考えられてきた。本書では日本書記の五つの詔・奏、第四条の史料批判によって、改新の第1の課題は、「律的な土地調査」(校田)を行うことであったと見る。それは各首長(古代豪族)の領域内の田地総面積の調査が税制(田之調)の成立の前提であった。大和政権とは7世紀前までは豪族連合(王民制)であった政治形態を色濃く残していた。更に第2の課題は、領域内の民戸・男丁を調査登録する(編戸)ことにあったとする。豪族の所有たる民戸を把握してこれを公民制への転換を図る領域的国家が成立するのであった。その改革を実施する基盤として、東国における国造の力は伴造・屯倉を包摂し、それを評造(こおりのみやつこ)に再編成し領域国家の成立に持ち込むことであった。国造の領域支配が制度化され行政区画となった。一方国造の裁判権や徭役賦課権には介入しないで首長の在地における権力基盤に依存した。推古朝の官司制とはかなり異質で断絶が見られる。それは第1章で述べた軍事的関心と律令国家制への刺激が契機となったようだ。
第3章 「国家機構と古代官僚制の成立」: 支配者階級の共同の機関である国家官僚機構の成立と二官八省について述べる。石母田氏は663年の甲子宣や「近江令」から、天智朝国制はまだ過渡的なものであったとする。続いた天武・持統朝において、689年の「飛鳥浄御原令」によって律令制国家機構が成立し、班田収受法・租庸調制が全国的に確立し、国家の武装化が軍団制、道制によって進んだ。雑徭から兵役の分離、調の人頭税化、田租など税制面から国家の成立は飛鳥浄御原令によって全面的に完成したと考えられる。大化改新前の官僚制は機内豪族の代表者からなる丈夫層の議政官の代表である太政官が上奏して勅を仰ぐ「論奏式」であって、君主権から相対的に独立性の強い勢力が天皇権力を牽制していた。天皇大権である官制大権・官吏任命権・軍事大権・刑罰権・外交と王位継承権についても、律令制国家は「東洋的専制国家」を目指したが、伝統的部族秩序の強固さは無視できない。官僚機構である八省の内部官庁は複雑な組織をもつ三省(宮内・中務・大蔵)と簡単な組織の民部省に大別され、歴史的な部族の権利が入り組んだ古い官庁と民部省のような新しい公民を対象とする国家官庁が出来たと考えられる。
第4章 「古代国家と生産関係」: 現実に在地を支配している「在地首領制」の農民把握(支配)と古代奴隷制が、一片の紙の詔で「公地公民制」に移り変われるはずがないと誰しも考える。逆に在地首領がいなかったら、官僚の数が圧倒的に少なく事務能力技術も低かった天皇政府機構が全国を支配できるわけがない。畿内の点と道制の線を抑えるだけの軍事力で国内統治は無理であろう。税金を集めることだって不可能である。本書の理論的中心となる「在地首領制」が国家の毎日を支えていた。律令制財政の基礎は租庸調と雑徭であるが、首長層が共同体を支配して徭役労働を供給したとみるのである。大化の改新以前は、祭祀儀礼に伴い収穫の一部を初穂として首長へ貢納する義務があり、これが天皇に対する田租や調の貢納に転嫁されることで律令制財政が成立した。大化の改新後も収公を伴わない私有田「賦田制」があり、古代から中世の歴史はいつもこの私有地と国家所有地をめぐる複雑な争いで、班田収授法や公地公民制が全面的に施行された例はないと考える方が理解しやすい。国家の経済的な土台である生産関係から見ると、天皇制国家機構は「在地首領制」の上に乗っかった空疎な上部機構にすぎない、農耕生産民の経済的関係は古代奴隷制の域にあったとみるべきかもしれない。首長制こそが古代国家の第一義的な、本源的なものであったというのが本書の結論である。しかし首長層は相対的奴隷制という生産関係を維持しつつ、国造制によって大王の秩序に編成されてゆく。国造による人民支配がすなわち隷属関係が成立する第1の道であった。律令制国家においては、地方の首長支配は国造制から郡司制に変化した。首長対人民という第1次的生産関係があり、その上に律令制国家対公民という第2次的関係が成立していた。 

(つづく)
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