ブログ 「ごまめの歯軋り」

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石母田正 著 「日本の古代国家」 岩波文庫(2017年)

2019年05月19日 | 書評
芍薬

推古朝から大化の改新を経て律令国家の成立に至る過程を論じた7世紀日本古代国家論  第13回

第2章 「大化改新の史的意義」(第3講)
2) 人民の地域的編成 王民制から公民制:
 エンゲルスは「家族・私有財産・国家の起源」において「国家を特徴づけるものは第一に領域による人民の区分である」という。近代国家において生活する人間にとって当然に思われることも、それ自体が歴史の所産である。律令制国家では明確そして典型的な形で存在する。人民の戸籍・計帳による把握がそれであり、それに対応する行政権力の構造は、里(郷)から郡、さらに国にと領域区分を基礎として重層的に構築されてきた。先行する時代には身分的・部族的編戸・雑戸籍が特徴であったが、律令の特徴は地域的編戸・公民籍に特徴があるといえる。雑戸とは領域内に散在分布する雑戸という身分(世襲職業)に属する民戸だけを抄出して戸籍を作る。令制における雑戸は大化の改新前には部民の遺制であったが平安時代には消滅する。大化の改新前の編戸には二つの方式があった。一つは屯倉に付属する田部の「丁籍」、「名籍」は「雑戸」と同じ身分的・部族的編戸である。二つは帰化人の集団を戸として編成する場合で、「田部」に近い編戸である。また戸を単位とする集団の編成の仕方はおそらく朝鮮から学んだとみられる。大化改新後の編戸(庚牛年籍、庚寅年籍)の特徴は、以前とは異なった統治様式または人民編成原理の上に立つ。地域的な編成を確立した庚牛年籍の端緒は、族制や身分、支配・統族関係にかかわりなく領域内のすべての民戸を、その居住地において把握することであった。推古朝における支配体制の基礎にある一つの秩序は「王民制」である。王民制の起源は5世紀にあって、「氏姓」として政治体制になるのは6世紀以降のことであった。ヤマト王権を中心に結集していた畿内・近国の臣連・伴造、推古朝の群卿・大夫層は一つの統一体を形成していた。それは内廷・外廷と官吏の総体としての一個の政府として存在するが、それは国家としては未熟であった。王民制においては「最高の統一体」としての王権は、「有姓階級」の唯一の贈与者としてその秩序の形成主体であった。大伴・物部・忌部をはじめとする伴造制の発展は、統一体の内部において分業の発展の結果、多数の伴造や伴部を分化させた。それらの伴造はその根拠地において部民を保有し、それによる分業と私有制の展開が王民制を土台にして発展した。王権に代表される統一体の国制は、王権内部の家産的組織(内廷)にせよ、またはその外部の統一体全体に関する組織(外廷)にせよ、姓を負うことによって王権に奉仕する「氏」の集合体となる。氏が伴・部という民を地方諸国に保有する独立(縦割り)秩序を作る。公民制は王民制とは異なる原理であるので、姓による王民秩序(氏姓制)の複雑な分化が国としての秩序を持たないので、改新政府はこれを改めることが課題となった。第2の課題は王民制内部での私有制の発展が税収を阻害するので、税制の基礎となる公民の編戸原理を導入することであった。大化改新の史的意義は、王民制から公民制に基づく国家への転換にある。しかし公民的編戸の発展は、王民制を排除しない。地域的編戸は身分的・部族的編戸を取り込んでそれを体制化することにあった。天智朝の「定姓」や天武朝の「八姓」も王民制を支配層の内部秩序として役割を果たした。

(つづく)
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