ブログ 「ごまめの歯軋り」

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読書ノート 吉澤誠一郎著 「清朝と近代世界 19世紀」シリーズ中国近現代史 ① 岩波新書 

2011年11月03日 | 書評
存亡の危機に直面した清朝の近代化への挑戦 第6回

1) 清朝の繁栄とアヘン戦争まで (3)

 1729年雍正帝はアヘンの販売とアヘン窟の経営を禁止し、嘉慶帝もアヘン貿易を禁止する禁令を出したが、実効性は無く、むしろインドからのアヘン輸入は増加の一方であった。その背景にあるのがイギリス領東インド会社のインド支配の進展である。19世紀初めの東インド会社の貿易の主たる買い付け物資は茶であり、イギリスの毛織物を広州に運んだが、売れ行きはあまりよくなく東インド会社は銀で決済した。東インド会社はアヘン禁令を知っていたので、アヘン貿易を担ったのはイギリスの地方貿易商人であった。しかし下の図に示したように東インド会社と地方貿易商人の貿易活動は表裏の関係で密接に結びついていたのである。いわばダミー会社を使ったアヘン貿易ともいえる。大手市中銀行がサラ金業者に資金を供給し、グレーゾーンの高利貸金業と営んでいるようなものである。
表の取引とは中国の茶を英国が東インド会社を使って買い付ける流れである。東インド会社は毛織物の輸出との差額を銀で支払っている。東インド会社はロンドンに茶を送って決済手形を得る。裏の取引とはイギリス地域貿易商人がインドから仕入れたアヘンを密輸業者を通じて中国に売り、中国から銀を受け取る。地域貿易業者はこの銀を東インド会社に持って決済手形をえてロンドンに送る。こうして表の取引と裏の取引において、銀と決済手形は循環しているのである。
(つづく)


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