ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 プラトン著 久保勉訳 「ソクラテスの弁明」、「クリトン」(岩波文庫 1927年)

2015年05月27日 | 書評
スパルタに破れた後のアテナイの混乱期、「焚書坑儒」の犠牲者ソクラテスの裁判記録 第9回
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プラトン著 「ソクラテスの弁明」(その5)
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「死刑確定」を受けて
29、 有罪・死刑投票をしたアテナイ人諸君は、高齢で死ぬ日も遠くない自身(ソクラテス)の死を待つだけの辛抱が足りなかったばかりに、賢人ソクラテスを死刑に処したという汚名と罪科を負わされるだろう。諸君を批議する人々は自身(ソクラテス)を賢人と呼ぶであろうから。諸君は自身(ソクラテス)が有罪になった理由は、「言葉の不足」「有罪を免れるためいかなる言動も厭わない姿勢の欠如」だと考えるだろう。しかし自身に言わせれば「厚顔・無恥・迎合意図の不足」である。自身はいかなる危険を前にしてもらしく振る舞うべきでないと信じていたし、後悔は無い。死を免れることは困難ではない。死を免れるより悪を免れる方がはるかに困難である。悪は死よりも速く駆ける。老年の私は死に追いつかれ、若い諸君は悪に追いつかれた。
30、 自身(ソクラテス)を有罪と断じたる諸君への予言。諸君には死刑より遙かに重き刑が課されるだろう。諸君は諸君の生活についての弁明を免れるために今回の行動に出たが、結果はその意図とは反対になるだろう。自身(ソクラテス)が阻んでいた、若く峻烈な多くの問責者が、諸君の前に現れ、諸君を深く悩ますだろう。正しくない生活に対する批議を、批判者を殺害・圧伏することで阻止しようとする手段は、成功も困難で立派でもない。最も立派で容易な手段は、自ら善くなるよう心掛けることである。
31、 無罪投票をしてくれた諸君(正当な「裁判官」諸君)へ。「ダイモニオンの声」は、今回の件で一度も現れなかったので、今回の出来事はきっと善い事である。死を禍だと考える者は間違っている。
32、 また、死は一種の幸福であるという希望には以下の理由もある。死は「純然たる虚無への回帰」か、「生まれ変わり、あの世への霊魂移転」かのいずれかである。前者であるならば、死は感覚の消失であり、夢一つさえ見ない眠りに等しいものであり、驚嘆すべき利得である。後者であるならば、数々の半神・偉人たちと冥府で逢えるのだから言語を絶した幸福である。
33、 「裁判官」諸君(無罪投票をしてくれた諸君)も、「善人に対しては生前にも死後にもいかなる禍害も起こり得ないこと、神々も決して彼を忘れることがないこと」を真理と認め、楽しき希望を以て死と向き合うことが必要である。したがって、自身(ソクラテス)は告発者や有罪宣告をした人々にも、少しも憤りを抱いてはいない。なお、自身(ソクラテス)の息子達が成人した暁には、自身(ソクラテス)が諸君にしたように、彼らを叱責・非難して悩ませてもらいたい。蓄財よりも徳を念頭に置くように、ひとかどの人間でもないのにそうした顔をすることがないように。去るべき時が来た。自身(ソクラテス)は死ぬために、諸君は生きながらえるために。両者の内、どちらが良き運命に出逢うか、神より他に知る者はいない.。

(つづく)



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