ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文語訳 旧訳聖書 Ⅰ 律法(モーゼ五書)岩波文庫

2020年02月04日 | 書評
夜明け前の筑波山 2019年2月14日 午前6時0分

旧約聖書全39書のうち律法は、モーゼ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を収める  第2回

1) 総 序

1-1) 旧約聖書とは


                               
旧約聖書の分類配列と内容の概略

分 類        書 名                                   概 要
Ⅰ 律 法
        モーゼ五書 創世記 楽園の追放と人間の堕落、カインとアベルの殺人、ノアの箱舟、バベルの塔、アブラハム・イサク・ヤコブの三代の族長の話しとイスラエル十二氏族、ヨセフのエジプトでの苦労が語られる。悪徳の 町ソドムとゴモラの滅亡など
 出エジプト記   エジプトでの奴隷生活から指導者モーゼによる出エジプト、シナイ山でのモーゼの十戒と戒律、ヤハウエ神との契約が語られる。信仰と生活の原点となる。紅海を渡る際、海が割れてエジプトの追手を凌いだ話など周知の話も多い。
         レビ記     イスラエル民族のうちレビ人は祭儀を扱う聖職者部族に定められた。前半は供物・犠牲・儀礼など細かく記載される。倫理規定、禁忌規定では「落穂を拾うべからず」はミレーの絵画となった。「汝の隣人を愛すべし」は新約聖書のキリストに受け継がれた。
         民数記     イスラエル民族の人口数を記載していることで有名。時代はシナイ山から始まるので出エジプト記と重複する。約40年の荒野での放浪生活からヨルダン川の東岸に到着、神との契約の地カナンに定着するまでの戦闘記。律法の記載
          申命記     申命とは繰り返し述べた律法(神の定めた倫理規定、禁忌規定)の書のこと、モーゼの十戒が繰り返される。モーゼはヨシュアを後継者に指名、カナンの地での生活を指示した。「人はパンのみで生きるものにあらず」は有名な聖句

Ⅱ 歴 史    
        ヨシュア記    ヨシュア記、士師記、サムエル記上下を「前預言書」とするが、それは歴史書であると同時に預言者(ヨシュア、サムエル、エリシア)であったからだ。「モーゼ六書」に入れられたこともある。モーゼ の後継者(預言者)ヨシュアに率いられたイスラエル民族はカナンの地に進出、奪った地を12部族に分割した。紀元前13世紀ごろの歴史である。全体が、エホバがヨシュアに向かって言った言葉「我が僕 モーゼが汝に命じた律法を守ったなら、なんじは幸福を得必ず勝利する」に貫かれている。ヨルダン川の渡河にも水止めの奇蹟が経験され、各地の戦争で勝利し支配地を拡大する。ヨシュアは死を前にして 律法を守ることを厳命する。
         士師記    イスラエル民族はカナンの地に定着したが、先住民族との抗争が続く。エホバはイスラエルの民の宗教的・道徳的背反を懲らしめるために先住民との戦争を利用した。士師とは部族連合の指導者のことで デボラ、ギデオン、サムスンの活躍を描く。女性預言者デボラも士師の一人でカナンの王を滅ぼした時エホバへの賛歌「デボラの歌」を歌った。これは旧約聖書最古の詩文だとされる。モアブ人と闘ったエホデ、ミデアン人と闘ったギデオン、ペリシテ人と闘ったサムスンについては詳しく描かれた。イスラエルに統一王国ができる紀元前12世紀の歴史である。
         ルツ記    イスラエルの王ダビデの系譜を語る。ベツレヘムに住んでいたナオミと夫、二人の息子は飢饉により異郷の地モアブに移住する。二人の息子はモアブの娘と結婚するが、ナオミは夫と2人の息子に先立たれ た。ベツレヘムに帰るナオミに付き添ったのは息子の嫁ルツだけであった。ベツレヘムでは夫の親戚のボアズの麦畑で2人は落ち穂拾いで生活をした。ボアズは刈り入れで落ち穂を多くして生活を助け、やがてボアズとルツは結婚し男子オベデが生まれ、エッサイ、ダビデと家系は受け継がれた。律法の「レビ記」にも落ち穂を遺すして貧しきものを救う話は申命記にも記されている。ミレーはこの話を題材に落ち穂拾いを描いた。
     サムエル記(上・下)  サムエルは紀元前11世紀のイスラエルの士師・預言者であった。サムエルの息子は不正と収賄を働き、イスラエルの民は王の選出を希望した。王に選ばれたサウルによるイスラエル部族連合体が王政に移行し、サウル、ダビデ、ソロモン王が南北を統一しイスラエル王国を拡大した。ダビデはペリシテ人を倒し、あまりに強いダビデにサウルは反感を抱き殺害を図るが、サウルの子ヨナタンはダビデを助ける。戦死したヨナタンを悼んだダビデの「ああ勇者は仆れる」という言葉は名高い。王位に就いたダビデも部下ウリアの妻を横取りするため、ウリアを前線に送り戦死させるという過ちを犯す。ダビデの子アムノンは異母妹を犯して兄に殺される。詩篇にはダビデの歌を遺す。
      列王紀略(上・下)  王位はダビデの子ソロモンに継承され、イスラエル王国は全盛期を迎えた。エルサレムに豪華な神殿が作られ、「ソロモンの知恵」と讃えられたように智恵と聡明にすぐれていた。智恵を試さんとしたシバの女王の驚きの話は名高い。しかしソロモンの子レハベアムの時代にヤラベハムの反乱が起き、レハベアムの北のイスラエルとヤラベアムの南のユダ王国に分裂。王国の危機は異教のバール神への傾斜によってたびたび引き起こされた。警告は預言者エリア、エリシア、アモス、ホセア、イザヤによって発せられた南北の王朝史を語る。最期に北イスラエルは東の大国アッシリアによって紀元前722年に亡ぼされ、南のユダ王国はアッシリアによって紀元前585年に亡ぼされた。イスラエルの民はアッシリアの首都バビロンに連行され捕囚の生活となった。
       歴代志略(上・下)   サムエル記(下)、列王紀略(下)と重複する内容が多いが、イスラエル民族の系図の詳述とダビデによるエルサレム神殿計画と、ソロモンによる神殿建設に重点が置かれている。従ってダビデの過ちやソロモンの異教徒支援の話は描かれていない。イスラエル王国分裂後の北のイスラエル王国と南のユダ王国の記述では、エルサレム神殿のある南のユダ王国の歴史にくわしい。イスラエル民族の浮沈はすべてエホバ神への信仰の度合いとか異神への信仰かによっている。最後はアッシリアのネプカデネザル王によるエルサレムの陥落とバビロンへの捕囚となるが、ペルシャ王クロスによる解放まで(紀元前538年)で終わっている。
エズラ書 バビロニアがペルシャに亡ぼされ、ペルシャ王クロスによるバビロン捕囚からの解放後、イスラエル民族は神殿復活・律法の復興運動にいそしむ。後半は祭祀エズラによる罪の反省と祈りが中心となる。これを「エホバの戒め」と呼ぶ。 
        ネヘミヤ記     書いてある内容はエズラ書と同じで、バビロンの捕囚から解放後のエルサレム神殿の再建、そして罪の反省と祈りが中心である。ペルシャの寛容政策によってユダヤ律法の復興運動が盛んとなった。イスラエルの指導者ネヘミヤによって記された。
エステル書 紀元前5世紀ペルシャ王クセルクス1世の時代にペルシャに住むイスラエル人の話である。バビロンの捕囚の経験者モルデカイの幼女エステルはユダヤ人であることを隠して育った。後年アハシュエロス王の皇后になり、権力者ハマンのユダヤ人絶滅計画を、王への働きかけで未然に防いだ。

Ⅲ 諸 書     
         ヨブ記       諸書は「知恵文学」とも呼ばれ、詩文が多い。神への賛歌、信仰の人生の教訓・格言集である。紀元前3世紀ごろの作品集とみられる。信仰も厚く行いも正しい人ヨブは、家庭・財産に恵まれた生活を送っていた。悪魔サタンはヨブの信仰を試すように、神に試練を課すよう持ちかける。ヨブに災難が襲い家庭は崩壊し財産をすべて失っても信仰は捨てなかった。次の段階でヨブの身体に重い皮膚病が発症し、皆に嫌われる生活に一変した。ここでは正しい行いの人がなぜ不幸に逢うのか、はたして神は正義なのかという「神義論」がテーマとなっている。ヨブは人間が神を知るとはどういうことなのか、神と人間の関係を突き詰めて考える。
詩篇 詩篇は神に対する賛美と感謝、懇願。信頼が中心となった全150篇からなる。約半数はダビデの作と書かれているが、真偽のほどは分からない。119篇にある「アレフ」、「ベテ」、「ギメル」・・・はヘブライ語のアルファベットで段落を示している。文語訳「詩篇」は長年にわたりヨーロッパ近代文学へ影響が大きい。
          箴言       箴言とは「戒めとなる言葉」であり広い意味では教訓・格言・処世訓である。狭い意味では「エホバを畏るるは知識の本なり」という思想が根幹にある。「ソロモンの箴言」と言われることもあるが、ソロモン以前から本書が書かれた紀元前3世紀までにわたる言葉の集積である。
伝道之書 集会で語る人を伝道者という。ヘブライ語聖書では「コヘレトの言葉」という題名になっている。著者はソロモンと言われることもあるが、ソロモンではない。伝道者にせよコヘレトにせよ、固有名詞ではなく広い意味では自由な思想家のような存在である。冒頭に「空の空なる哉、すべて空なり・・日の下には新しきものなし」といった衝撃的な言葉で始まり、厭世的な内容でヘレニズム文化の影響が大きい。
雅歌 男女が愛し合い讃えあう歌という旧約聖書では極めてユニークな詞華集である。多くはソロモンの作といわれるが、ソロモンとは直接な関係はない。古代オリエント世界の中でイスラエル民族の愛の賛歌の集成となった。ヨーロッパ近代文学への影響は大きい。

Ⅳ 預 言
        イザヤ書     「三大預言書」とは、イザヤ書、エレミア書、エゼキエル書を呼ぶこともある。預言という言葉は神からその言葉を預かり伝えるものという意味である。預言者はただ未来を予言する予言者、呪術師とは異なる。イザヤ書は北イスラエル王国及び南ユダ王国の分裂時代の預言者イザヤの預言集である。イザヤはすべて同一人ではなく、紀元前736年ー701年ころに活躍したイザヤ自身の言葉を第1イザヤ(Ⅰ-39章)、第2イザヤは紀元前6世紀後半解放前の苦難の時期、バビロン捕囚の嘆きの書 黙示文学と言われる。第3イザヤは紀元前538年ペルシャ王クロスによりイスラエル人キア人解放のころで信仰と律法の順守を求める。成立は紀元前5世紀前半とみられる。歴史的には3段階のイザヤという預言者の話である。
        エレミヤ記    預言者エレミヤの活動時期は、大国アッシリアによる北イスラエル王国の滅亡(紀元前722年)、つづくバビロニアによる南ユダ王国の滅亡(紀元前586年)、さらに「バビロンの幽囚」とペルシャ王クロスによるイスラエルの解放(紀元前538年)というイスラエル民族の最も激動期にあたる。エレミヤの預言はエホバの教えである律法の順守であることは変わりないが、その形式的な順守より心の在り方を厳しく問うものであった。「心は万物よりも偽る者にして甚だ悪し」とか、祭祀の虚言を糺した。エレミアはまさに預言者中の預言者であるといえよう。バビロンの幽囚の嘆きの書であると同時に、イスラエル民族自身による信仰の回復に絶望し、「エホバいい給う見よ我がイスラエルの家とユダの家に新しき契約を立つ日来たらん」といい、新しい契約を希望するに至る。つまり旧約から新約への意向を考えていたようだ。エレミヤ記の成立は、エレミヤの書記バルクの記述が含まれるので紀元前6世紀前後とみられる。
        エレミヤ哀歌   単に「哀歌」と言われることもあるが、この書はエレミヤ記の後に置かれ「エレミヤ哀歌」となる。しかしエレミヤの言葉ではなく、異なる作者によるものからなり、それぞれに韻文としての特徴がある。紀元前597年のアッシリアによるエルサレムの占領以降のエルサレムと民族の悲惨な生活を余すところなく描いた。
        エゼキエル書   バビロン捕囚の嘆きの書。預言者エゼキエルはバビロニアによる第1回「バビロンの捕囚」の一人であった。神からエルサレムの滅亡の理由を説明するよう求められ、あたかも新約聖書のヨハネ黙示録を思わせる神との間の幻視を語る。イスラエル民族の宗教的、倫理的罪の糾弾は厳しい。最後にはエルサレムへの帰還と神殿の再建を、「枯れたる骨」の再生、新しいダビデの出現を願う希望の預言となる。
ダニエル書 ダニエルはエゼキエルと同じように、「バビロン捕囚」期の預言者であった。この書もエゼキエル書と同じように黙示録または幻視が多いが、知恵の書としても名高い。バビロニアの王ネプカデネザルの命により、王の夢から来るべき諸国の興亡を予言した。「獅子の穴」に放り込まれる危機に遭遇するが、諸国の興亡の預言を説いて止まなかった。「人の子ごとき者雲に乗りて来たり」という新約聖書の救世主のような預言がある。ダニエルは智慧と判断に秀でた預言者とされた。シェークスピアの「ヴェニスの商人」にもその名が出ている。
          ホセア書    ホセア書以下12篇の預言書は、アウグスチヌスの「神の国」以来「十二小預言書」と呼ぶことがある。アモスとホセアはイスラエル王国のヤラベアム2世の時代から滅亡期までにかけての預言者。「十二小預言書」全体の成立時期は紀元前3世紀から前2世紀とされる。ホセア書に同時代人として挙げられている王の名はイスラエル王国・ユダ王国末期のものであり、これを信ずるなら紀元前8世紀末の人物である。作者がホセアであることと、その預言期間がウジヤの治世からヒゼキヤの治世にまで及ぶとされる。神に度々反抗したイスラエルに対する裁きの音信であり、神はイスラエルを見放すという内容である
          ヨエル書    ヨエル、ヨナ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキは捕囚後開放時代の預言者である。黙示文学。作者はペトエルの子ヨエルであるという。ヨエル書の作製年代を、エルサレム帰還後で、エルサレム神殿再建完了(BC516年)の前に置く。
           アモス書    アモス書 にも、主の日(神による審きの日)の到来という、ヨエル書と同じテーマを扱っていることなどから、執筆年代はアモスやホセアと同年代(BC8世紀前半のヤラベアムⅡ世統治のころ)と考えている。作者はアモスで、南ユダ王国テコア出身の牧夫であったという。時期については、ウジヤ(ユダ王国)、ヤラベアム2世(イスラエル王国)の分裂王国時代であった。内容は大きく4つに分けることが出来る。①近隣諸国の民と、南ユダ王国、北イスラエル王国に対する神の裁きの宣告、②イスラエルの支配者たちへの悔い改めの要求、③裁きについての5つの幻(イナゴ、燃える火、重り縄、夏の果物、祭壇の傍らの主)、④ダビデの系統を引くイスラエル民族の回復である。
          オバデヤ書   オバデア、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼバニアはバビロン捕囚期の預言者である。筆者は伝統的にオバデヤ(オバデア)という名の人物とされる。この名は字義通りには「主(ヤハ)の僕(または崇拝者)」を意味する。オバデヤ書は大きく分けると「エドムの傲慢と滅亡」と「イスラエルの回復」の項目から成る。エドムとイスラエルの先祖は、エサウとヤコブの兄弟であり、したがって2つの民族は兄弟であるとみなされた。このような血族への暴虐によって、エドムは恥と滅びを永遠に蒙ると宣告される。作製時期は「エドムは兄弟であるイスラエル民族が攻撃されたときに見捨てたため、滅ぼされなければならない」という預言について考えると、紀元前605年から586年 - バビロンのネブカドネザル2世によりエルサレムが攻撃され、最終的にユダヤ人のバビロン捕囚が起こった時期が妥当である。オバデヤ書全体の主題は神の民の敵の滅びである。エドム人とは、イスラエルのかつての敵すべてを意味しており、文字通りのエドム人を指しているわけではないとする説がある。
          ヨナ書    内容は預言者のヨナと神のやりとりが中心になっているが、ヨナが大きな魚に飲まれる話が有名。前半は、ヨナ自身の悔い改めの物語を描き、後半は、ヨナの宣教によってニネベの人々が悔い改めたことを述べる。ヨナ書の主題は、預言者として神の指示に従わなかったことと、ニネヴェの人々が悔い改めたことに対して不平不満を言ったことに対するヨナの悔い改め (=神に仕える者としての生き方を正す) と、神は異邦人でさえも救おうとしておられることの二つである。
          ミカ書    作者は紀元前8世紀の預言者ミカに帰される。構成は7つからなり、本書の中でミカは支配階級に抑圧されている人たちの苦しみに共感し、横暴な人たち(その中には賄賂によって都合の良い預言をする預言者や祭司も含まれる)の不正を厳しく糾弾している。
           ナホム書   全3章から構成される。著者はナホムという名の人物とされる。 預言の主題はニネベの陥落とアッシリアへの裁きである。成立時期はエジプトのテーベの滅亡が記されているので、紀元前663年より後、ニネベが陥落した紀元前612年より前である。
         ハバクク書   本書は3章からなる。ハバクク書はユダヤが直面する民族的困難が増大する時代にあって、疑念が付されてきた神への絶対的な信頼と能力の妥当性という問題を扱っている。ハバククは「民の悪行に対する神の怒り」「異民族による怒りの執行」という観点に立つことによって、民族的困難と神への信頼を両立させる。また神の絶対性と将来の救済、「怒りのうちにも憐れみを忘れぬ神」という観念がみられる。
ゼフェニア書 伝統的にゼファニヤが作者とされる。ヨシヤ王(在位紀元前640年頃から前609年頃)の名があることから、紀元前7世紀後半ないしそれ以降に成立した。本書の目的は、エルサレム住民へ行いを改めるべく警告することであったろうと考えられる。
          ハガイ書   作者はバビロン捕囚後の最初の預言者ハガイである。エルサレム神殿の再建(紀元前515年)がその預言の主題となっている。ハガイとはヘブライ語で「祝祭」という意味である。
ゼカリア書 本書は14章からなり、小預言書の内では、比較的大部にわたる。内容としては、幻視に関する8つの記述、エルサレムに臨んだ災いを記念する断食に関する質問、諸国民に対する裁き・メシアに関する預言・神の民の回復に関する記述からなる。
          マラキ書   本書は3章からなる。預言の主題は宗教儀式の厳守、及び雑婚の禁止である。マラキは当時の形式的な礼拝を咎めた。マラキとはヘブライ語で「私の使者」という意味である。当時、捕囚から帰還した頃は市民権は無く、旱魃や大量発生したイナゴのため凶作が続き、更には周囲に敵意を持つ民族が居住していたため、非常に衰退していた。そのような状態でイスラエルの民は神殿を再建した。祭司の堕落や、軽薄な雑婚・離婚、捧げ物の不履行などが蔓延していた。ネヘミヤがエルサレムに不在で人々が混乱に陥っている際にマラキがメッセージを語ったのである。

(つづく)




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