ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 岩井克人著 「資本主義を語る」 ちくま学芸文庫

2009年12月12日 | 書評
資本主義は本質的に不安定 第12回 最終回

対談2:柄谷行人・岩井克人 「貨幣・言語・数」 (2)

 古典派経済学とマルクスは「労働価値説」を発見した。マルクスは最期まで労働価値説を信じていた。古典派から出たハイエクの自由至上主義がアメリカ金融資本を生み破綻した。貨幣は強いようだが、その決済を無限に先送りする。バランスシートで毎年決算はしない、フローシートがプラスになってさえいれば良いとする自転車操業である。時々決算を迫られるときがくる。それが恐慌である。市場における売り買いは他者とのコミュニケーションの問題で、交換媒体としての貨幣の問題は別の次元である。貨幣の起源は、共同体間の取引において属人的な「信用」を不要とし、貨幣そのものに「信用」が与えられている利点を生んだからだ。信用を云々する時間もない取引を可能とした。すばらしい発明品である。いわば信用という信仰を全員が認めた時に成立した。そういう意味で宗教と貨幣は、「最後の審判」と「決済日」という類似性を持つのである。そしてどちらも永遠に延期する事ができる。レーニンが言う様に「革命のための最上の方法はインフレを起こして、信仰(幻想、価値観)を破壊する事である」 革命やナチズムはインフレの後にやってきたのも歴史の示すとおりである。マルクスは労働価値説を徹底的に信じて「価値形態説」に進んだが、「金」の価値につまずいて不完全に放棄してしまったが、「信用」において価値記号説を展開する中で、無価値なものでも貨幣として皆が信じて使えば価値を持つという考えに到達した。貨幣と信用という宙吊り構造が成立したのである。マルクスの「剰余価値」は資本→商品→資本’(増殖)において、(資本’-資本)が剰余価値であった。こうして産業資本主義が拡大することは広く認めるところである。自己増殖する資本の運動は「自己」の差異化と同じである。経済は市場における自己差異化運動とさまざまな経済外部要因との間の相互作用である。バブル崩壊とは自己差異化が永遠に続くものではない事を示した。資本主義の外部とは歴史の始まりにおける「貨幣」の成立という奇跡のことである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿