ブログ 「ごまめの歯軋り」

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歴史散歩 石母田 正著 「中世的世界の形成」 岩波文庫

2009年12月12日 | 書評
土地所有を巡る古代寺院東大寺と武家の戦い 第9回

第2章 「東大寺」ー国家鎮護大寺院の「不輸不入制」寺領の拡大 (2)

 1033年板蝿杣を庄園として立券したことは、国衙の課役を免除された「本免田」から「出作地」という普通の庄園経営に移行したことを示す画期的な施策であった。国衙との抗争という知恵比べで、東大寺はあらゆる不正と不法、姦計を駆使して無能な国衙を欺いて公田を寺領に変えていった。そして1174年には院宣をえて黒田庄の「不輸不入制」を確立した。板蝿杣の庄園化から黒田庄の「不輸不入制」の確立までの140年間の東大寺の課題は、「杣工」=庄民の出作した公領をいかに一円寺領化するかにあった。国衙の反対する論点は黒田本庄25町の「不輸不入制」は認めるが、その庄園四至内の公田に作出した土地には税負担を、庄園四至外の公田に対しては税負担と国役を義務付けるというものであった。国衙(税務署)の言い分は住民居住地決定主義である。それに他する東大寺の言い分は庄民は寺の人間(寺奴)だから、庄民の所有する土地は東大寺のもので、国家鎮護寺である東大寺に対する課税や国役は認めないという強引な主張であった。庄民の属性決定主義といえる。神の使いには税金を課すことは出来ないという古代神権思想で強弁した。これを「寺奴の論理」という。庄園を本免田として一部容認する事自体が土地の国有制からなる律令制の崩壊になるのだが、国衙の論理はそこは慣習法として私有を認めて領地主義から課税する法理である。古代法である古代奴隷制の律令制は、中国の「均田制」の輸入でもともと理念上の普遍法として成立し、出発点の時点で現実の土地所有形態と矛盾していたのだから、これが慣習法と調整を取るということは政治上の問題である。古代の律令制と仏教は観念上の産物で、古代支配階級の国家理念であった。それが時代とともに変質し現実と擦り合わせが行われる時、古代理念と現実との抗争が起きるのは当然である。東大寺は古代理念を振りかざして、変質した古代貴族の矛盾をつけば正論となるのである。「泣く子と正論には勝てない」とはこのことである。
(続く)


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