ブログ 「ごまめの歯軋り」

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小林秀雄全集第4巻    「Xへの手紙」より「アンドレ・ジイド」

2006年11月22日 | 書評
「アンドレ・ジイド」
小林秀雄氏の作品に啓発され刺激されたりして興味を覚え読み出した文豪の本は多い。しかしこのアンドレ・ジイドの作品は皆目読んでいないので、私には発言する資格はない。作品名を挙げると「アンドレ・ワルテルの手帖」、「贋金造り」、「背徳者」、「地の糧」、「パリュウド」、「法王庁の抜け穴」、「ドストエフスキー論」などである。氏の論点の一部を紹介するに留める。
「アンドレ・ジイドほど世のいわゆる定評を許さない、変貌に変貌を重ねてきた作家はいない。固定した方向をもった感情,明確な輪郭を持った思想というものは絶無である。かれの心はいつも複数だ。」
「アンドレ・ジイドはまず何をおいても鋭敏な透徹した批評家である。苛烈執拗な自己解剖家である。知性が勝ちすぎた人は世間から敬遠されやすい」
小林秀雄氏はどうもアンドレ・ジイドの信奉者か、批評家としての生活信条を学んできた形跡が大である。自分とジイドをダブらせて筆を進めているのでどこからが小林氏の見解か不明になる。

「批評について」
「実際の処を言えば,芸術の領域には、作品がとりもなおさず問題の充分な解決でないような問題はない」というジイドの「背徳者」の序文を引用して批評活動の難点を言葉の問題に見出した。「言葉の表現による理論一般がこの言葉の伝統的な力に傷ついている」といって、日本の文芸批評の頼りなさを嘆いているようだ。結局「この世を如実に描き、この世を知り尽くした人にもなお魅力を感じさせる技を文学上のリアリズムと言う」を理想としたようだが、日本にそんな文学があったためしはないのだが。

「未成年の独創性について」
小林氏はドストエフスキーの「未成年」と言う作品を「青年が自己を語った小説で、青年を完全に虜にして,青年の内心に滑り込み、青年を唆し一切をさらけ出させたかくの如き作品を私は知らない」と絶賛した。私はトルストイにしてもドストエフスキーにしてもその複雑怪奇な人間相関を頭に叩き込んで読み進めないと話を見失う。いつも人間相関図を作ってメモにして読み進めるのが常である。これ以降、小林氏はドストエフスキーの作品を執拗に取り上げる。氏は世のロシア文学者よりもはるかにロシア通である。そこで氏が説くドストエフスキーの特徴の一つに「およそ彼ほど哲学とか思想とかを好んだ小説家はいない。彼の作品程思想の重荷を負った小説はない。全作中、抽象的思索或いは常識的思想の片鱗を見せない作品は見出せない。」を挙げるに留め、あとは次の論文から仔細に検討しようと思う。難解だけでなく、地獄まで見抜く大変なリアリスト・思想家だそうだ。乞うご期待。





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