アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

韓国日記<中>安重根と伊藤博文・渋沢栄一

2023年05月29日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.
  
   

 5月27日、プサン港から歩いて15分ほどでプサン駅。KTX(高速鉄道)に約2時間40分乗ってソウルへ。

 まず向かったのは「安重根(アンジュンクン)義士記念館」だ。
 安重根(1879~1910)は日帝の植民地支配(強占)に抗し、祖国の独立を求めて抗日運動の先頭に立った。1909年10月26日、ハルピン駅で伊藤博文をピストルで射殺。ちょうど5カ月後の1910年3月26日、早々と死刑が執行された。

 日本政府は今日まで一貫して「安重根は暗殺者」と規定するだけで、その経歴や事件の背景には触れようとしない。日本の教科書もその政府方針に従っている。

 しかし、韓国では違う。安重根は「義士」であり、「民族の英雄」なのだ。

 「記念館」には公判での安重根の陳述が紹介されている。伊藤射殺の動機は「祖国の独立と東アジアの平和」のためであり「けっして伊藤への私恨ではない」と強調している。

 安重根の評価は、日本と韓国で見方がまったく異なる典型的な例だ。
 必要なのは、歴史の事実を、その経緯と背景を含めて多面的に知ること、教えることだ、とあらためて思う。ウクライナ戦争下、なおさらそう思う。

 記念館展示の最後には、来館者が一言感想を欠いて付箋を貼る壁がある。多くの付箋が貼られていたが、日本人(日本語)のものは1枚もなかった。日本語で「日本では伊藤博文が美化されていて恥ずかしい」と書いて、隅に貼らせてもらった。

 次に行ったのは「韓国銀行貨幣博物館」だ。「安重根義士記念館」からタクシーで5分ほど、同じ南大門エリアにある。近い。

 ここもぜひ行きたかった。この目で確かめたいものがあったからだ。それは1907年に始まったこの建物の建設工事の「定礎」と書かれた石碑だ。この文字を書いたのが伊藤博文だからだ。これが「安重根記念館」の近くにあるのは興味深い。

 石碑の説明版には、伊藤が「植民地支配の元凶」であること、その歴史を忘れないためにこの碑を残すのだということが明記されている。

 この(旧)韓国銀行の建物は、もともと日本第一銀行が使用するために造られた。通貨・経済面から植民地支配を完成・強化する拠点となった。伊藤が「定礎」を書いたのはそのためだ。

 伊藤と二人三脚で経済面から植民地支配の先頭に立ったのが、日本第一銀行の頭取だった渋沢栄一だ。「貨幣博物館」には韓国歴代の紙幣が展示されているが、最初の紙幣の肖像は3種類ともすべて渋沢だ。

 日本では伊藤とともに渋沢も美化されている。NHK大河ドラマのモデルにもなった。
 そして、来年の貨幣肖像画変更では、福沢諭吉に代わってついに渋沢が最高額紙幣の肖像になる。渋沢が韓国紙幣の肖像になったのは植民地支配の象徴だったが、それが来年から日本紙幣で再現される。あまりにも象徴的・戦略的と言わねばならない(福沢も朝鮮侵略主義者であり、その本質が隠蔽されて美化されていることでは渋沢と変わらないが)。

 伊藤博文、渋沢栄一、そして安重根。この3人の歴史的評価が韓国と日本で百八十度違うのは、日本が植民地支配の歴史を風化・隠ぺいしてきたこと、さらにさせようとしていることに共通の原因がある。根は1つなのだ。

(写真は上左から、記念館入ってすぐにある安重根の像と血で書かれた「大韓獨立」の旗のレプリカ、安重根の写真、射殺される直前の伊藤=正面奥、「貨幣博物館」、伊藤の筆による定礎の石碑、渋沢が肖像にあった韓国紙幣)
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