74年前の1948年4月3日、朝鮮半島の南西にある火山島・チェジュド(済州島)で、朝鮮の分断に抗い、祖国統一を求めて蜂起した民衆に対し、「米軍を背景に(朝鮮半島)本土から送り込まれた軍隊、警察、民間の極右派テロ団」(梶村秀樹著『朝鮮史』講談社現代新書)によるジェノサイドが行われ、3万人ともいわれる犠牲者が出ました。いわゆる「4・3事件」です(写真左・中はチェジュドの「4・3平和公園」内墓碑=ハンギョレ新聞電子版より。右は事件の写真)。
「ウクライナ戦争」の中で迎える74年目の「4・3」は特別な意味を持っていると思われます。そこには共通の教訓があるからです。
「4・3事件」は、そもそも帝国日本による朝鮮植民地支配が根源であるうえ、民衆を弾圧した李承晩を中心とする「南」の部隊は帝国日本に育成された勢力であったことなど、日本ときわめて関係が深い事件です。しかし、当時も今も、事件を知っている日本人は多くありません。事件の事実が長く隠ぺいされてきたからです。
「4・3事件」はなぜ隠されてきたのか。鄭暎恵・大妻女子大教授(社会学)はこう指摘します。
「何故、当の日本人が四・三に関して、ここまで無知、無関心できたのか。それは日本社会に四・三を日本人に徹底的に隠蔽したい理由があったからでしょう。
昨日までの敵のアメリカが、「救世主」「恩人」として、日本人に再認識されることが初期占領政策の要でした。よって、そのマッカーサー司令部が、日本には男女平等や戦争放棄の憲法をもたらしたほぼ同時期、日本の植民地であった南朝鮮では直接軍政を敷いて、自由と民主主義を切望する民衆を無残に虐殺していた事実を日本国民が知ればどうなっていただろうか。アメリカの自由と民主主義の欺瞞性が露呈し、結果としてGHQによる極東支配は成功しなかったのではないか。
だから、GHQのみならず、後に自民党に結集する日本の親米派政治家や、朝鮮戦争下で米軍とともに日本軍復活を目指す旧軍部らは、日米軍事同盟を組み、日本国民を含め東アジアを支配するため、四・三を徹底的に隠蔽したのではないか。
在日米軍も日本を守るより、日本と東アジア支配の完遂を目指す拠点であることが、四・三の事実から見えてきます」(在日総合誌「抗路」2018年7月号)
「4・3事件」の2年後に勃発する朝鮮戦争、その後の日米軍事同盟の経過を見れば、鄭氏の指摘は的を射ているといえるでしょう。
そしてここに、「4・3事件」と今日のウクライナ情勢とのいくつかの共通点があります。
第1に、いずれも同じ民族同士の殺戮という悲惨な事件であり、その背景にアメリカ帝国の介入・覇権主義がある(あった)ことです(ウクライナ戦争の背景にあるNATOの東方拡大、米国による2014年「マイダンクーデター」画策など)。
第2に、アメリカの覇権主義は、「自由と民主主義」の看板を掲げながら強行される(された)ことです。
第3に、アメリカはその「自由と民主主義の欺瞞性」が暴露されることを恐れ、事実の隠ぺいを図る(図った)ことです。
そして第4に、日本は「4・3事件」で朝鮮半島におけるアメリカの戦略に追随したのと同じように、いまウクライナ情勢においても、日米軍事同盟(安保条約)を結んでいるアメリカに完全に追従していることです。
「4・3事件」から今日本人が学ぶべき教訓は、対米従属の日米軍事同盟(安保条約)を断ち切って、憲法9条の平和主義に基づいた言動で、ウクライナ戦争はじめ紛争停止・平和創造に尽力することではないでしょうか。