アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「ウクライナ戦争」下の「3・1」と「中立化宣言」

2022年03月01日 | 朝鮮半島の歴史・政治と日本.

     

 1919年3月1日、帝国日本の植民地支配下にあった朝鮮半島で、支配からの脱却を求める民衆のたたかいが広がりました。「3・1独立運動」です(写真左・中)。非暴力のこの民衆運動に対し、日本(朝鮮総督府)は、軍隊・警察を出動させ、虐殺で弾圧しました。

 民衆によって読み上げられた「3・1独立宣言文」は、日本の支配から脱すべき理由の第1に、「今後迫りくる脅威をなくすとともに、抑圧された民族の良心と消え去った国家正義を打ち立てること」を挙げています(23日付ハンギョレ新聞)

 ロシアによる軍事侵攻、米ロの軍事的覇権争いで民族の主権が踏みにじられた「ウクライナ戦争」の中で迎えた今年の「3・1」は、とりわけ重要な意味を持っています。

 注目されるのは、昨年の「3・1」に、当時「3・1独立宣言文」が読み上げられたソウルのタプコル公園で、「朝鮮半島永世中立化宣言文」が読み上げられたことです(写真右はタプコル公園内にある「3・1独立宣言」の碑)。

 これについては昨年3月1日のブログで書きましたが、ユン・コンチャ(尹健次)神奈川大名誉教授もこれに注目し、こう述べています。
現在朝鮮半島、とくに韓国では自主的平和統一、中立朝鮮の実現の気運が高まっているように思う。南北統一というよりは南北共存、その重要な案が「中立化」である」(在日総合誌「抗路」9号=1月号)

 「朝鮮半島永世中立化宣言文」は、パク・チョンヒ(朴正煕)独裁政権時代に民主化をたたかった「民青学連事件」(1974年)に連座し死刑を宣告されたイ・ヒョンベク(李賢培)氏が、2020年6月25日(朝鮮戦争勃発の日=1950年)に立ち上げた「朝鮮半島の中立化を推進する人々」(中推人)が起草しました。それはこう謳っています。

「朝鮮半島の中立化だけが、統一を妨げる相互不信と軍事的対峙という障害を解消し、周辺大国の利害関係から始まった抑圧の手綱を断ち切る唯一の道だ。(中略)中立化の道は、単にわが民族の生存だけのためではなく、米国や中国、ロシア、日本などを含む近隣諸国の共同利益にも合致する

 「中立化」とはどういうことでしょうか。イ氏はこう説明しています。

「簡単に言えば他国の戦争や紛争に介入しないことだ。国際法上、中立国は自衛目的でないいかなる戦争にも参加せず、自国を戦争に引き込むかもしれないいかなる協定も締結してはならない。欧州のスイスやオーストリア、南米のコスタリカなどが代表的な中立国だ。大韓帝国の高宗も日露戦争を控え、中立化を宣言したが、朝鮮半島を狙っていた大国たちはこれを認めなかった」(2021年2月24日付ハンギョレ新聞)

 中立化の具体的経路は?との質問に、イ氏はこう答えています。

「第1段階は南北の同時中立化宣言です。その次に、南北国家連合を構成して中立化と統一に備える協議を行います。最後に南北と米中など、朝鮮戦争における主交戦国が平和会談を開き、中立化などを含む平和条約を一括妥結します」「南北の人々が大同団結し、大衆運動で中立化を成し遂げてこそ、核問題も解決できます」(同)

 「韓米同盟」が国是とされる韓国で、軍事同盟を否定する中立化に現実性があるのか、との質問に、イ氏はこう答えています。

「中立化に進む最大の困難は、韓国で人々の意識を(中立化の方に)団結させることです。次に、北朝鮮の人たちに協力を求めることです。その次が外国勢力です。内部勢力に力があれば、外国勢力の問題は解決できます」

「朝鮮戦争(1950~53年)の停戦協定後、韓国人たちは日々(停戦協定体制に)縛られて生活しています。にもかかわらず、人々は幸せに暮していると錯覚している。私が今やっているのは、この停戦麻痺状態を壊すことです」(同)

 上記の「韓米同盟」を「日米同盟」に、「停戦麻痺」を「日米安保麻痺」に置き換えれば、そっくり日本にあてはまるのではないでしょうか。

 「ウクライナ戦争」は、大国による小国の侵略・支配の残虐さ、不正義とともに、軍事力・軍事同盟の害悪を露呈しています。軍備・軍隊のない世界を目指すうえでも、「3・1独立運動記念日」に合わせて表明された「朝鮮半島永世中立化宣言文」から私たち日本人が学ぶべきものはきわめて大きいのではないでしょうか。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウクライナ情勢・「軍事力・... | トップ | 「ウクライナ戦争」と石垣市... »